夏の共犯者〜なでしこと歩こう〜
【 四つ子の事件簿・場外編 】








「あら、一樹」
 自宅に向かう最後の角を曲がったそこに、まるで待ち伏せていたかのように掛けられ た声。
 いや、絶対待ち伏せてたんだ!
 反町は心の中でそう叫んだが、どちらにしても最悪の先制攻撃を食らったことにな る。
「偉いわね、時間通りよ」
「や、やあ、母さんこそ、こんな真っ昼間にわざわざ出迎えてくれるなんて、う、嬉し いなあ」
 反町は引きつった笑顔を返そうとするが、さすがは母親、それを上回るとびきりの笑 顔でそんな息子のわざとらしい言葉を弾き返した。
「何しろ3ヵ月ぶりですもんね、あなたが帰ってくるの。会社抜け出してお迎えに来て あげたわ」
「そ、そんな熱烈歓迎してくれなくても…」
「いーえっ」
 反町の母、とき子さんはきらりと目を光らせた。
「このチャンスを逃したら、直接尋問できるのはいつになるかわかったもんじゃない わ。さ、来てもらうわよ」
「え、どこに!?」
 反町はきょろきょろと周囲を見回した。自宅はあと数軒先、その生垣の向こうに門扉 が見えているのだが。
「もちろん会社によ。田島くんも借り出してきたから、証拠物件もたっぷり揃ってるし ね」
 その言葉に反町はぱっと母親の背後を覗き込んだ。さっきから自宅の前に停まってい た車、よく見ると運転席でばつの悪い顔をしているのはお馴染みの田島記者ではない か。
 東都新聞の社会部のデスクとしての立場を利用して、直接の部下ではない田島まで準 備してきたとなると、その執念はただごとでない。反町はがっくりうなだれた。
「あ、でも!」
 うなだれて、またすぐに反町は気を取り直す。
「岬が、来るんだ。今日、うちで落ち合う約束でさ」
「え〜、ホントに?」
 母親は疑わしげに目を細めた。
「そんなこと言って、誤魔化そうとしてるんじゃないの?」
「ほ、ホントだってば! 呼んでおいて俺がいないとマズイからさ!」
 反町は必死に食い下がるが、母親は聴く耳持たず田島の車に無理やり押し込める。
「どっちでもいいわ。岬くんなら少しくらい待っててくれるでしょ。お行儀良くね」
「そんなぁ〜!」
 反町の抗議の声はそのままフェイドアウトして行ってしまった。
「兄さんじゃ、勝ち目はないわね。母さんが本気になっちゃった以上」
 その声を聞きながら、玄関横の濡れ縁に腰掛けた葉月がため息をついた。
そして顔を上げる。
「せっかく来てもらったのに、こんな有様でごめんなさい、岬さん」
「……」
 岬はその葉月の前で生垣越しに車を見送っていた。
「気の毒に。思い切り心当たりがあるもんねえ…」
 仕事柄、彼らの行いについてもっとも突っ込みを入れているのが反町の両親である。 そういう意味では岬自身も他人事ではないのだが、同情しているような言葉の中にもあ まり危機感はないようだ。
「庭から入って正解だったわ。見つかってたら一緒に連れてかれる勢いだったもの」
「そうだね」
 当然、岬はその手の危険はちゃんと回避しつつ行動しているはずだった。
「じゃ、私たちも行きましょ、岬さん」
「えっ?」
 いきなり葉月がぽんと庭に下りたのを岬は呆気に取られて見つめる。
「すぐ近くなんだけど、母さんの代役でお願いします」
「う、うん」
 ぺこっと頭を下げられて、どこへとも尋ねる前に岬はうなづくしかなかった。
確かに、反町が戻るまで彼にはこの家にいても暇なのは事実だ。
 それに、葉月の言葉には兄の共犯者に向けて釘を刺す意図がちゃっかりと込められて いる。岬は苦笑を浮かべた。
「それとも、あまり人前に出るのはよくないとか?」
 二人で地元の小さい商店街に差し掛かりながら葉月は屈託なく尋ねる。
 もうここまで来てしまっては今さらの質問だったが。
「そんなこと心配いらないよ。ボクは有名人なんかじゃないし」
「それはどうかしら。でも不思議よね、確かに岬さんてすごく上手にオーラを隠してる って感じ」
「オーラねえ…」
 葉月の指摘は実は間違いではなかった。必要に迫られてという意味もあって、岬は常 に群衆に紛れて目立たずにいることを心掛けている。そっくりと言われる4つ子の残り 3人が特に何もしなくても目立ってしまうのとはまったく逆だった。
「あ、着いたわ。このお店」
 葉月が指差したのは和服の店だった。いわゆる呉服店という名よりも着物屋とでも言 うほうが似合うような気軽な品揃えに見える。
「こんにちは〜。反町ですー」
「あら葉月ちゃん、いらっしゃい。できてるわよ」
 店の奥からふっくらした奥さんが顔を出した。葉月の顔を見て一度引っ込み、包みを 持って来る。畳紙を開くその手元を葉月は覗き込んだ。現われた浴衣に、ぱっと笑顔に なる。
「わあ、素敵!」
「お母さんの見立てですからね。葉月ちゃんに似合うと思うわ。着てみる?」
「えっ、ほんと。じゃあお願いします! 私一人だと危なっかしいから」
 葉月は嬉しそうな顔のまま、ちらっと背後を振り返った。事情がわからないままつい てきた岬は、入り口に立ち止まったままどうぞという顔でそれに応じる。
「まあ、今日はお兄ちゃんと一緒なの? 珍しいわね」
 奥さんは軽く岬に会釈して、葉月と一緒に奥に消えた。岬はその勘違いに少々脱力す るがいつものことだからそのままにしておいて自分は店先で待つことにする。
「お兄ちゃんの分はいいの?」
「は?」
 はっと振り返った岬を、にこにこと奥さんが見ていた。いつの間にかのれんのこちら 側に出てきていたらしい。
「わー、それいいわね、おばさん、兄さんの分もお願いします!」
 そんな声を上げながら奥から出てきた葉月を見て、岬はその会話に反論しそびれてし まった。
 えんじの地に白く染め抜いた大きな花がとりどりに散っている浴衣姿の鮮やかさに、 一瞬ぽかんとする。
「えへへ」
 葉月はそんな岬に照れたように笑顔を向けた。
「似合うかな?」
「…あ、うん。似合ってる、と思う」
「ね、可愛いでしょ?」
 奥さんの言葉にも、岬は素直にうなづく。
「は、はい」
「やったー。おばさん、このまま着て帰るわ。見せびらかそうっと」
「どうぞどうぞ。たっぷり見せびらかして。女の子は浴衣を着ると5割増しで可愛くな るんだから。浴衣のCMがわりによろしくね」
 奥さんは嬉しそうに笑いながら岬の近くまで歩いて来た。
「じゃあ、お兄ちゃんにはこれなんかどうかしらね」
「え、えっ?」
 油断していたところへ、いきなり浴衣を着せ掛けられて岬はあわてた。奥さんはそこ に何着か下がっていた男物浴衣の一枚を選び出したのだ。
 葉月も近づいて来てそんな岬に声を掛ける。
「兄さんの分もどうせ買うつもりだったの。ちょっと代役で合わせてみて」
「代役って、そんな…」
 似てるからって服の趣味まで同じとは限らないのだが。そう言ったところで聞いても らえそうな空気ではなくなっている。
 奥さんは別の一枚を選んで来た。
「こっちのほうがいいかしら。お兄ちゃんは葉月ちゃんよりも大人しい感じだから」
「誰が大人しいって…?」
「いいからいいから」
 葉月は奥さんの誤解は誤解のままで済ませようとしているようだ。
「兄さんのは濃い地がいいかも。ジャパンブルーって藍色でしょ」
「ああ、そうそう。一樹くんって代表選手だったわよね。すごいねー、オリンピック見 てたわよ」
「あ、どうも」
 オリンピックに出ていたのは岬も同じなのでとりあえずうなづいておく。
「私のはなでしこだし、これでお揃いになるかな」
 はあ、その花はなでしこでしたか。和柄の花のことには疎い岬はそこでやっと葉月の 言葉に納得する。
「じゃ、おばさん、ありがと!」
 男物浴衣と自分が着替えた服を袋に下げて、葉月は店を後にした。
 昼下がりの商店街はさっき来る時よりも少し人が増えているようだ。
「やあ、葉月ちゃん、いいねえ、浴衣」
 通りすがりに声がかかる。葉月は振り返ってクリーニング屋の主人に笑い掛けた。
「ありがとう、おじさん!」
「兄ちゃんと一緒かい、珍しいね」
 そんな調子で、顔なじみの人たちと言葉を交わしながら二人は商店街を抜けて行く。 「ねえ、ちょっと目立っちゃってるんだけど」
 浴衣姿の葉月は当然としても、さっきはまったく見過ごされていた自分までがやたら と注目を集めてしまっていることに岬は戸惑っていた。もちろん、その全員が反町家の 兄妹だと信じているようだったが。
「岬さんも浴衣に着替えてればもっと目立ったのに」
 葉月はくすくすと笑った。
「冗談。それにこれ、反町のなんだからボクは着ちゃだめだよ」
「大丈夫よー。それに、これってアリバイ作りになってるんだから」
「え?」
 岬はまじまじと葉月を振り返った。
「母さんが兄さんの分も浴衣を買うつもりだったのはホントよ。夏休みにはちゃんと自 宅に帰ってくる息子、ってのをアピールしておくんじゃないかな」
 葉月はいたずらっぽい目で肩をすくめた。
「母さんにとっても必要だし、兄さんだって同じよ。普通にサッカーやってる息子で す、ってアリバイ」
「……」
 事情はわからないでもないが、そういう家庭環境って、いいのか。
「それと、岬さんのアリバイにもなるでしょ?」
 そう言いながら、向こうから声をかけてくる自転車の出前のおじさんに手を振ってい る。
「今日本にいること、大きな声では言えないんじゃない? 兄さんになっておいたほう が安全よ、とりあえず。どうせ二人ともすぐ消える気だったんでしょ。うちには何か取 りに寄っただけで。だったら、アリバイ作りのチャンスは今だけですもんね」
「葉月くん…」
 ため息と一緒に岬はやっと口をはさむ。葉月はくるっと岬の顔を振り仰いだ。
「…それに、私にとっても役得だもの。岬さんとこうやっていられるの、貴重だし」
 役得役得、と葉月は嬉しそうに繰り返して自分の足元に目を落とす。
 カラコロと下駄の音が軽く響いて、なでしこ柄の裾が揺れていた。
「そこまで読まれてちゃしかたないな」
 岬は横から葉月の手を取った。はっと上げた葉月の顔が少し赤くなる。
「そういうことならもう少し目立っておくことにするよ。反町の代わりにね」
「…う〜、何だか嬉しくないな、その表現」
 その言葉とは裏腹に、葉月は嬉しさを隠さなかった。
「いいわ。正直じゃないとこも兄さんと同じだって思うから」
「君も、そのへんはいい勝負だよ」
 岬は苦笑する。
 さて、反町の尋問にはどれだけかかるのかわからないが、もうしばらくの間、このア リバイ作りに付き合うのも悪くない。
 ゆっくりと歩調を合わせて、この浴衣姿の少女と歩き続けることにした。




【 END 】










11600 hit のキリリクで RYOさんに
いただいたリクエスト「岬×葉月」です。
カップル未満の二人ですけどお許しを。
お待たせして、本当に申し訳ありません
でした〜。