Set in the Season Again    Fei 様






「どこ行くんだ? 乗れよ」
ぱっと振り向いた顔が幾分やつれて見えた。
「いよぉ! 若島津じゃねぇか!」
 やつれたという言い方は適当ではないかもしれない。ふっくらしていたはずの頬が少しそげて、確か に以前より痩せたようではあるが、その表情はあくまで明るい。
「っとに久し振りだなぁ、皆どうしてる? 大学生活はどうだ? 練習はきついか?」
 早口でポンポンと聞きながら車に手を掛ける。ドアを開けてやると、勢いよく飛び乗って来た。
「相変わらず騒がしい奴だな。質問はひとつづつにしろよな」
「はっは、いきなり説教されちまったぜ、参った参った」
 些細な事にのけぞって笑う。久しぶりに会って嬉しいと、全身で笑っている。そんなに素直にされると こっちが困ってしまう。
「いいから行先言えよ、クラクション鳴らされちまうぜ」
「おぉ、すまんすまん、一時から練習なんだ」
「なにぃ? じゃあ遊園地かよ」
「駅まででもいいぜ、時間ないんなら」
「しょうがないな、乗せたのが運だ、行ってやるよ」
「そう言ってもらえると思ったぜ、けんちゃん優しいからぁ」
 そんなことを言って擦り寄ってくる。思わずハンドルをとられそうになって慌てる。
「馬鹿っ! 危ないだろーがっっ! 俺は若葉マークしょってんだぞっ!」
「はっはっ、まーた怒られちったぁ」
 懲りずに俺の腕を遠慮なく叩く。こいつ、わかってんだろうか。
「日向どうしてる。相変わらず上級生にケガさせてるのか?」
「気になるのか?」
「日向が気になると言うより大学のサッカー部がどんな感じかなと思ってさ」
 含みを込めた聞き方をしたつもりだったが、意外とあっさりかわされてしまった。もっともこいつは何も わかっちゃいないだろうけど…。
「別に、変わらんよ。高校ん時みたいに昼間ずっと授業があるわけじゃないから、遊ぶ時間はできたか な。…まぁ、でも朝練や自主トレや、日向さんにつきあってるとそれどころじゃあないけどな…お前はど うだ、顔の肉が落ちたみたいだけど」
 信号待ちをいいことに、片手を伸ばして頬に触ってみる。多少すっきりしたとはいえ、触り心地の良さ はそれでも健在であった。松山は笑いながら俺の手を払った。
「精悍になったとでも言ってくれりゃいいのに…なんか知らんけど、皆に痩せたって言われるんだ。体重 は1kgくらいしか変わってないんだぜ」
「お前はフグみたいなほっぺたしてたからな」
「ひっでー! 影でそんなこと言ってたのかよ。どうせ日向だろ、ンなこと言うのはっ」
「そう思うか?」
「決まってらぁ」
 俺は小さく吹出した。フグといったのは反町で、日向さんは『餌を食ってるリス』って言ってたんだぜ。 あの人はおまえが思うよりずっとロマンチストなんだ。
「それはそうと、どうなんだ? 試合には出られそうか?」
 松山は武蔵を卒業後、プロになってクラブチームと契約を交わした。三杉と一緒に大学へ進むと皆が 思っていただけに、周りの驚きが大きかった。丁度、三年前東邦の誘いを蹴って武蔵に入った時と似 ていた。あの時もギリギリまでこいつの動向は不明で、ずいぶんヤキモキさせられたものだ。
「うーん、チャンスさえあればいつでも飛出すつもりだけどな。なにせ今うちのレギュラー、安定してるか ら…」
 そういう目が遠くを見ている。
「どうした、お前らしくもないな」
「どーいう意味だよ…。とにかくさ、今は無我夢中なんだよ。いろんな点での差をうめていくためにさ。… でも、まぁ見てなって、試合に出してもらいさえすりゃ、すぐにでもレギュラーとってみせらぁ」
 思いかけず、きっぱりと言った。俺はつい、助手席に視線を移してしまった。松山は一見、いつでもあ からさまではっきりしているという印象があるが、自分に関しては意外と慎重であることを、同じチーム で闘った俺達は知っている。周りのイライラなど全くおかまいなしだ。三年前もこの春も、いつまでもず るずると引摺っていて、様子を知っていた連中はかなり参っていたらしい。平気な顔をしていた三杉で さえ、時折溜息をついていたのを、俺は知っている。…もっとも当時はその理由をはきちがえたりしたも のだが。こういう奴が自分のことをはっきり言うとしたら、唯一日向さんと憎まれ口を叩きあう時だけだ と、一度三杉と話したことがあったっけ。
「自信あるんだな」
「伊達に代表のレギュラーやってたわけじゃ、」
 会話は大きなカーブに遮られた。俺はミラーの中の顔を見た。
(趣味悪いね)
 三杉には一度でばれた手法である。
(じゃあお前はやったことないのか?)
(彼は気づかないからね)
 そう言って含み笑いをしていた。つくづく俺達は似ているようだ。確かにちっとも気付いてない。目はま た遠くを見ている。
「ないぜ」
 随分間をおいてからの言葉のような気がした。松山のその一言がさっきの続きだと理解するのに少し の時間を要した。松山は気にせず続ける。
「同年代で最高のレベルを経験してるし、世界も見てきた。その俺がこれ以上ないってくらい一生懸命 なんだぜ。これでリーグ出れなきゃ日本サッカー界は大損だぜぇ」
 終りの辺は冗談口調になっていた。
「…お前、緊張してるな」
「はっはっ、やっぱり分るか? 実は心配で夜も寝られんのだ。朝は5時から目が覚めちまうし」
「それは大嘘だな」
「なに言ってんだ、俺はお前等が思うよかずーっと繊細なんだからなっ」
「世間の平均値ってもんを知ってからものを言うようにしろよ。お前に比べりゃ日向さんの方がはるかに 繊細だ」
「無茶苦茶言うな! そりゃお前の欲目だ!」
「お前の起床時間が何年も前から5時だってこと位知ってるさ」
 松山は暫くぶつぶつ文句を口にしていたが、やおら身を乗出すと、
「日向っていえば、あいつどこにも行かないのか?」
 話題変換を計った。
「さぁ…今んとこ予定は無いみたいだな」
 俺達の間で『どこかへ行く』と言えば、外国へのサッカー留学を指す。翼がブラジルへ行ってからとい うもの、話だけは腐るほどあったに拘らず、日向さんは依然日本でボールを蹴っている。
「俺、日向は絶対どっか行くと思ってたぜ」
「お前が足引張ったんじゃないか」
 俺の言葉を、松山は理解出来なかったようだ。きょとん、として何の事だよと聞き返した。
「それ位わからんのか情けない。自分で考えてみろ」
「わけのわからんこと言うなよっ、俺は日向を引止めた覚えは無いぞ。ンなこと、考えたこともない」
「短絡的に考えず、もちっとゆっくりと自分のしたことを思い出してみるんだな。三杉に聞くなよ、日向さ んが浮かばれん」
 わざと遠回しに言ってやる。松山は口を尖らせた。反応が面白いから、こいつをからかうのは止めら れん。しかも日向さんと違って、そのことを何時までも真剣に悩むなんてことは松山の場合あり得ない ので気も楽だ。今日だって、気になるようだったら帰ってすぐ三杉大先生に尋ねるだろう。こっちの注意 事項なんて、聞く耳持たんのである。
 三杉は、いわば松山の左脳である。松山が武蔵に来てグンと伸びたのは、明らかに三杉の手腕に 因るものだ。ふらのでキャプテン張ってた時の松山は、今から考えると何もかもやりすぎていた。三杉 と組んでからは、余計な事は一切考えずに済んだ。三杉が考えさせなかった。もともと松山は勘で走る タイプである。尤もらしい事を並べるけれど、後から無理矢理くっつけたことに違いない。武蔵で松山は サイドバックに居た。特別な時を除いて、三年間変わらずのレフトバックである。これがタッチラインぎり ぎりの所を猛スピードで上がって来て、勘弁してくれと言いたくなる様なセンタリングをあげる。この時、 ゴール前に三杉が居たりすると…自慢じゃないが高校サッカー界の至宝とうたわれたこの若島津健で さえ、
「うんざりする」
「あ? 何がうんざりだって?」
「森崎なんか、気が狂いそうだって嘆いてたもんだ」
「何の事だよ、お前ってよ、時々パズルみたいなこと言うよな。そういうとこ、淳そっくりだ」
 腕を組みながら松山が呟いた。今更お前に言われる事じゃないさ。けど…そういえば…。
「日向さんにも言われたな…つい最近、初めて」
「そりゃ、似てるなんて思わねぇぜ、普通」
 松山は再び自分を基準にものを言った。それから
「でもさ、三杉のは俺、気にならない」
 ずけずけと言いのける。言ったのが松山光でなければ車から突き落としてるぞ。
「俺の出題するパズルは気にさわるってか?」
「違う、どっちも気にさわったりしねぇよ。ただ、三杉のは解かなくても別に構わないって感じで、お前の は答えを捜さなきゃって思うんだよな」
 まぁ、大抵途中で諦めるけどな、と付加えた。
「…率直な意見をありがとう。ただひとつ訂正させてもらえれば、『諦める』んじゃなくて『忘れる』の間違 いだろう」
「かーっ、また憎まれ口たたきぁがる」
 言いながらシートを思いきり倒して寝そべってしまった。
「こら、何をやっとるんだ」
「ふて寝!」
「構わんが、本当に寝るなよ。もう着くぞ」
 聞いているのかいないのか、返事もしない。車は郊外に差掛かった。ゆっくりしたカーブと共に、目的 の遊園地が見えてきた。遊園地――松山の仕事場の事を皆そう呼ぶ。
「…サンルーフがある」
 ぼそり、と言った。
「首出すと飛んでくぞ」
 日向さんはいつも上半身乗出してはもっとスピード出せと騒ぐ。俺自身スピードを出すのは嫌いじゃあ ないが、街中でそれをやられると流石に閉口する。
「三杉の車、これ無いんだ」
「あいつの車って、BMWだろーが。比べるなよ」
「これ無いから、寝っ転がると天井しか見えなくてよ、でもこれ有ると空見えていいな、空しか見えない なんて、久し振りだな」
「……」
「富良野に淳が初めて来た時な、あんまり広いから疲れるのも忘れるって言うんだよ。俺達はあれが 当り前だと思ってたから、笑ったんだよな。でもあいつはさ、…あいつさ、今度の総理大臣杯が最後の 最後かもなぁ」
 聞きながら胸がどきん、と鳴った。
「どういう事だ? 三杉がサッカーやめるなんて今や誰も信じやしないぞ」
 確かに心臓病もちとはいえ、高校に入ってからは試合中に倒れることも無く――依然ワンポイント・プ レイヤーではあったが――まこと順調そうに見えたのである。だからこそ俺も森崎も…全国のGKが頭 をかかえていたのだ。
「お前、三杉が病気持ちだってこと忘れてんじゃないかぁ? そりゃ俺だって、一緒に住むようになるま では信じたくなかったけどよ…あんな凄い奴が病気だなんてよ。でもあいつ、ほんとに病気なんだぜ」
 俺に訴えるというよりは一人言のような喋り方をして、身を起こした。遊園地の入口である。
「だから俺はがんばる。頑張れるだけ頑張る。名前をでっかくして恩返しする。お前等にも負けんぜ、 俺、天皇杯にゃ絶対出るからな、首洗って待ってな!」
 そう言ってちょっと俺の首を掴んで揺さぶった。一瞬、返す言葉を失った。松山がスポーツバッグを抱 えて車を降りようとした時にやっと、
「それはこっちのセリフだ、日向さんが聞いたら激怒するぜ」
 日向さんの名を使って言い返すことが出来た。
「おぅ、日向に言っとけ、ばっちりマークしてやるってな。一点もやらんぜ!」
 松山の、いわば口癖のようなものだが、今度ばかりは真実味を帯びていた。丁度、武蔵に入って飛 躍的な伸びをした時に感じたのと同じ様に。
「冗談きついぞ松山、あの人はどんな事があっても突破するさ。そして俺は絶対ゴールを許さん」
「ああ、楽しみでしょうがないぜ、じゃあ、正月に会おうぜ。今日はありがとな、また街で見掛けたら呼 んでくれ、この車、俺気に入った」
 思いくそドアを閉めて、走りだした。もう少し話していたい気もしたが…と、それを察したわけでもある まいが、振向いて戻って来た。ドアを大きく開いて半分乗込んで来ると、目玉をギョロリと動かして、
「さっきの事、淳のこと、日向には言うなよ。お前だから言ったんだからな、日向に知れるとあいつ単純 だから判断を誤る」
 早口でまくしたてた。
「…そんな事、百も承知だ。第一、俺があの人の悩む様なこと口にすると思うか」
 溜息混じりに笑いながら、額をひょいとこづいてやると、松山は大袈裟にのけぞって、
「それもそうだ、ちえっ、要らん心配してムチウチになっちまったぜ」
 これも笑いながら大声を出した。
「そんなことよりレギュラー取るのが先だろ!」
「わーったわーった! だからまぁ見てなって…おわっ!」
 時計をちらっと見て、松山は飛上がった。一時にあと10分しか無い。相当慌てたらしく、一度ドアに 頭をぶっつけたのも構わず一目散に遊園地に駈込んでいった。ドアも開けっぱなしである。やれやれ、 と手を伸ばしたついでに後ろ姿を見送ると、他の選手に捕まって頭を乱暴に掻き撫でられていた。
「全く、何時でも何処でも誰とでも、だな」
 独り言など言いながらドアを閉め、車を出した。夏の陽差しがパアーッと目を刺した。松山の練習を見 て行ってもいいのだが、お山で日向さんが待っているだろう。なにせ『ちょっと買物に』と言って出てきた 身である。…ふと日向さんに何て言おうと考えた。松山に会った、と言うだけでもひきつるだろう。また 強くなったみたいだなんて言おうものなら、例の偵察癖が出るやもしれぬ。…タケシには気の毒だが、 これも日向さんの発奮剤だ。せいぜい燃えてもらいたい。そうしないと、ひょっとすると、足下をすくわれ るかもしれない。
 松山は、プロになったのだ。





《 END 》







四つ子のブレーン(?) の一人、Fei さんの作
品です。「ビタースイート・クライシス」の初
版でゲストとして書いていただいたものなん
ですが、再販の時ページ数の関係で泣く泣
くカットすることになり、ずっと申し訳なく思っ
ていました。ここに掲載する事をご快諾くだ
さって感謝感謝です。