ゆきうさぎ















 十二月の東京は寒いのだろうか。
 佐野は一人でそんなことをぼんやり考えていた。
 新幹線は静岡を通過中。ここに降りたことは2回ほどあるけれど、今日は通過。…そ う思いながらあっという間に背後に消えていったホームのことは忘れる。新幹線のホ ームなんてどこも似たり寄ったりだ。違うのは駅名表示くらい。だから、車掌さん、いち いちアナウンスしなくていいから。
 会いたい相手が今この町にいない、という事実が、佐野をそんなふうに投げやりにさ せていた。
 でも、もうすぐ。もうすぐ会える。4ヶ月ぶりの再会は東京になったのだ。12月の国立 競技場。最後のトヨタカップを一緒に観に行こう、と約束した。その日がとうとう来たの だ。
 もっと浮かれてもいいかな。
 そんなふうに客観的になっている自分を、ちょっと悲しく思う佐野だった。
 客観的ついでに。…佐野はため息をついて座席に深くもたれた。自分の膝から下が 目に入る。自分の服装、変に思われてないかな、とこっそり思う。
 あいつ、時々意味不明なこと言い出すんだよな。
 でも言うことをきいてやる俺ってオトナかも、とギリギリ納得する。
 なにしろあいつはガキだ。俺がオトナになるしかない。
 佐野はそう考えてようやく心の平穏を取り戻し、あと少しで会えるその相手のことを、 ちょっぴり浮かれた気分で考え始めた。





「おーっ、とうとう来たぜ、この日が!」
 外苑前駅の出口から地上に出て、新田は大きく伸びをした。伸びだけではなく大きな 声も一緒に出ていることはどうやら気づいていないらしい。
 歩道を行く何人かがちらっとこちらを振り返ったのにも構わず、新田は目指す方向へ どんどん歩く。乾いた風が足元のゴミくずを巻き上げるが、そんなこともどうでもいい。
「天気もまあまあだな。もう少し寒くても良かったけどな」
 また口に出しながら、ビルの間の空を見上げる。新田は上機嫌であった。
 信号が変わり、目指す待ち合わせ場所がその向こうに見えてくる。この日のためにリ サーチした、最高にロマンチックなロケーション。
 ここを二人で歩くのが夢だったんだなー。
 でもって計画通りにコトを運ぶんだ。
 新田の顔が思わず緩む。
「コトって、何だよ」
「う、うわ!」
 新田は危うく車道側に飛びのくところだった。その腕をつかんで引き止めてくれたの は…。
「佐野っ! おまえ、なんで…」
「なんでここにいるかって言うと、おまえと待ち合わせしてたからだ。時間も約束通りに 来て驚かれる筋合いはないけど」
「い、いや、そのことじゃなくて…」
 新田はばたばたと立ち直り、自分の腕をつかんでいる佐野の手をつかみ返すと真っ 正面に向き合った。
「俺の考えてること、なんでわかっちゃったんだろ、ってさ」
 そう言って両腕にぎゅっと抱きしめる。
「あー、でもすっげ嬉しい。ほんとに来てくれたんだ」
「こら、こんな場所で大げさだぞ」
「いいの、いいの」
 新田は一度佐野を放すと、まじまじとその姿を見つめた。佐野はその嬉しそうな顔を 見て、また少し微妙な気分になってくる。
「おまえの言った通りにしたぞ。厚着で来い、ってどういうことだよ。俺はそこまで寒さに 弱かないからな。九州だからって」
 佐野の服装は、アーミーパンツに丈長の白いフード付ジャケット。その下にはオフホ ワイトのアランセーター。さらに新田のしつこいまでのリクエストでニットキャップにマフラ ーまでして、もともと大きくはない佐野の体はすっかり埋もれてしまっている。
「寒さはあまり関係ないんだ。俺が、見たかっただけ」
「何だよ、それ」
「いいじゃん、めったに会えないんだから。…さ!」
「はぁ?」
 新田が両手を広げたので佐野はまた怪訝な顔になった。
「ほら、今度はおまえの番。俺を思いっきりギューって、ギューって!」
「いいよ、別に」
 呆れたのか、佐野はさっさと先に歩き出した。待ち合わせ場所から国立競技場に向 かって。
 そう、こここそが、有名なイチョウ並木道。まっすぐに続くロマンチックな冬の風景。
 新田はしばらくそこに立ったまま、自分の夢見たシーンの中を遠ざかっていく佐野の 後ろ姿を見つめていた。
 そしてやおら駆け出すと、その佐野に並ぶ。
「あのさ、俺、計画を密かに練ってたんだ」
「それはさっき聞いた。おまえが大声で叫んでたから」
 あれでは密かも何もあったものではない。
「トヨタカップももちろん楽しみなんだけどさ、俺、今日おまえに…思い切ってコクっちゃ おうって、ずっと思ってたんだ」
「…は、あ?」
 計画、って、それ?
 でもって、思い切ってって、今さら何を思い切るわけ?
 そう言ってやりたかったが、佐野は呆れたあまり、言葉をなくしてしまったようだ。
「佐野…」
 足を止めてしまった佐野を、新田は驚いたように振り返った。
「ごめん、びっくりした?」
「しないよ」
 それだけ答えて、しかし佐野は動かなかった。わけのわからない相手なのは知って いたが、ここまでとは。と、ただただ呆れていたのだ。
「え…とぉ」
 新田は少しだけ迷って、そして決心したらしかった。
「試合の後で話そうと思ってたんだけど、バレちゃったから今にする。いい?」
「いいも悪いもあるか。それにバレたんじゃなく自分でベラベラ言ったんじゃないか」
 と、答えるかわりに佐野は黙っていた。新田はそれをいいほうに解釈したらしく、やや 緊張気味に佐野の前に立った。
「俺、前からおまえのこと好きだったんだ」
「知ってる」
「代表チームの仲間としてじゃなく、恋愛対象として、だぞ」
「それも知ってる」
「恋愛対象ってことはカラダだって含めておまえのこと欲しい、って思ってんだ」
「だろうな」
 佐野の返事はどんどん温度が下がっていくようだった。さすがに新田も困った顔にな る。
「なあ、佐野、怒ってる? いきなりこんなこと言われて。それとも驚いただけ?」
「どっちでもないよ」
 佐野はぶっきらぼうに歩き出した。新田を残して。
 一瞬ぽかんとしてから、新田は大あわてで追いついてきた。
「おまえ、バカじゃない?」
 追いついて、並ぼうとしたその時に不意打ちの言葉をもらう。
「勝手に盛り上がってんじゃねーよ。俺はおまえのためにここに来たんじゃないからな」 「え?」
 新田は、それこそショックを受けたようだった。佐野はどんどん速度を速めながら、視 線は足元に落とし気味に話し続ける。
「俺は俺が来たかったから来たんだ。俺が、おまえに会いたかったから来たんだ。おま えを喜ばせるためじゃない」
「そ、そうなの?」
「好きだって思ってるの、おまえだけじゃないんだぞ」
 佐野はそこでやっとちらりと新田を見た。
「カラダだって、おまえと同じくらい俺も欲しいんだ。わかったか、バカ」
「またバカって言った〜」
 ショックを受ける場所がズレているのでは。
「バカだからバカって教えてやったんだ。ガキなだけかと思ったら、ここまでバカとは」
 佐野は大きなため息をついた。自分がオトナの役目を果たす覚悟はあったが、やっ ぱり限度はある。
「第一、コクってどうすんだ、今さら。俺たちとっくに相思相愛で、カラダがどうって、もう さんざん…」
「うんうん。そうだよな」
 新田は突然嬉しそうになった。そして有無を言わさずまた思いっきり抱きしめる。
「めったに会えないんだもんな、コクるくらいいいよな」
「新田、何言ってんだ、おまえ…?」
「佐野がコクってくれるなんて、俺は幸せモンだぁ! ね、キスならいいだろ?」
「…おまえ、ほんとに人の話聞いてないな」
「ダメ?」
「だから、ダメなわけないって言ってんの!」
 木枯らしはもちろんじんじんと寒かったが、このすれ違いっぷりの寒さには完敗だろ う。しかもここまでかみ合っていない会話で、当人達はちゃんと納得しているあたり、恋 は偉大だ。





「あのー、デート中、ちょっとお邪魔しますー」
 邪魔を承知で邪魔するような奴はどんな目にあっても文句は言えないはずだ。
「ガールズファッションの『○○ッシュ・○○ッティ』ですけどー、今週の街角カップルのコ ーナーにお二人の写真、いいですか?」
 カメラを提げたオジさんと、派手に髪を結い上げたお姉さんが二人の前に現われたの は、その時だった。
「ダメだよ。佐野は俺の」
「そうですよね。そんなラブラブなカップルを紹介するコーナーなんですよー」
 スレ違いならこちらもいい勝負だった。
 新田は少し考え込む。
「写真はちょっとマズイんだ、俺たち。じゃあさ、うーんと離れてだったら、どう?」
「ロングなら、OKなんですね? どうしよっか?」
 こちらはカメラさんと協議中。
「悪いけど、そろそろ試合始まるから、行くよ。写真撮るなら、1回だけチャンスやるよ」 「まっ、エラソー。可愛い顔して言うわね」
 お姉さんは新田の態度が気に入ったらしい。





「いいのか、写真なんて。あの人たちは気づいてなくても、読者の女の子とか、俺たち のこと知ってるかもしれないぞ」
「へへへ。だからおまえにこういうカッコさせたんじゃん。大丈夫だって」
「おい、新田…!」
 すぐ目の前で見ても佐野が男とは気づかなかった取材の二人は、その厚着にすっか りだまされていたのだった。ここまでもこもこしてれば体型がどーこーなどわかるはず がない。
 曇り空からちらちら舞う雪の中、イチョウ並木のずーっと先で小さく写った小さなカップ ルのキスシーン。
「試合、始まっってるぞ、もう。急げ!」
 その可愛いシルエットを満足そうに見ながら新田は後を追って走る。追いつけるくせ にわざと数歩遅れて。
 『ゆきうさぎ』になった女の子。
 新年号のグラビアページに載ってしまったその写真には、そんなコピーが添えられて いた。
 もちろん、佐野が知ったら新田もただではすまなかっただろうが、その頃は冬の高校 選手権のまさに目前。二人の頭からはそんな雑誌のことはすっかり消えていたし、ほ ら、佐野もオトナだから。
 遠距離カップルは、そんなふうに今日も微妙に幸せだった。…という話。




【おわり】





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作者コメント:
初めて書いた新田×佐野です。もともと好きなカップル だったんだけど機会がなくて。冗談予告の「最後のトヨタ カップでラブラブデート」という課題を勝手にやってしまい ました。おひつじ座としし座。あまり考え込まないマイペ ースなカップルかと思います。ふだんの「さんざん」な様 子もいつか書いてみたいですね…(笑)