「あれ、三杉くん、なにして…」
しーっ、というポーズを見て急いで口を結んだ翼は、三杉が座っているソファーにそっと近
寄った。
三杉の横、ソファーの片側に体を丸めるようにして岬が眠っていた。クッションに半分埋まり
ながら、それはもう穏やかな寝顔を見せている。
「翼くん、見てごらん、おもしろいから」
「えっ?」
三杉はにっこりと手招きした。
「大丈夫、何をしても起きないよ、岬くんは」
そういえば…、と翼は思い出す。睡眠時間が異様に短い岬だが、その分というのか、いつ
でもどんな場所でも眠ってしまえるのが岬の特技だった。しかも、その眠りが深いのだ。
「ねっ?」
手を伸ばして岬の額の髪を指で流してみせる三杉に、翼はそれでもちょっとぎょっとしてし
まう。
「いつもはこんな表情、絶対見せてくれないくせにね」
「そ、そう?」
「僕と一緒の時もね、絶対先に眠らないって決めてるらしくて」
三杉は岬を見つめながら小さくふーっと溜息をついた。
「僕が眠ったのを確かめてから寝てるらしいよ。で、朝も必ず僕より先に起きてベッドを出て
るんだ」
「ふ、ふーん」
あまり突っ込まないほうがよさそうだ、と、さすがの翼も思ったらしい。
「こんな無害な顔して眠るんだね、岬くんて」
三杉はまっすぐに座り直すと両手を伸ばして岬の頭をすっと持ち上げた。
「わわ…!」
「ほら、こんなことしても…」
翼があわてて手を振り回しているのには見向きもせず、三杉は自分のすぐ目の前まで引っ
張り上げた岬の顔とまじまじと対峙した。
「よいしょ…っと」
そのままさらに体を引きずり上げておいて、ぱっと手を放す。岬はどさり、と三杉の胸の上に
落下した。当然ながら。
「やっぱり気がつかない」
「三杉くん、三杉くん…!」
乱暴というのではない。一応は「こわれもの注意」の扱いをしているらしく丁重な動作では
ある。が、もの扱いなのは間違いなかった。
「岬くん…」
うつぶせのまま眠り続ける岬を、今度はごろんと仰向けにする。両腕に抱き留めたそのま
まの形で、三杉は寝顔を真下に覗き込んだ。アルゼンチンで見たタンゴのポーズに似てる…
と唐突に連想した翼も翼であったが、そういうことをされながらなおもすやすやと眠り続ける
岬もたいしたものである。
「…あ、あのね、三杉くん」
「ん、なんだい、翼くん?」
顔だけをくるりと振り向けて、三杉はにっこりした。翼に対してはいつでもどこでも紳士的な
三杉である。
「それはわかったからさ、それよりカゼひかないように何かかけてあげたほうがいいと思う
な、オレ」
「優しいんだね、翼くん。岬くんも、本当はやさしいんだろうけれど…」
三杉は少しだけ眉を曇らせた。
「君にも、他の誰にでも優しいんだけれど、自分にだけは潔癖なくらい厳しいんだよね」
「三杉くん…?」
「だから僕に気を許さない。起きてる間じゅう、ガードを固めているんだ、岬くんは」
支えていた手を外してクッションに再び岬を預けると、三杉はまたまじまじとその寝顔を見つ
めた。
「こんな無防備な顔も可愛いけれど、やっぱり目を開けて、僕をにらみつけてるほうが素敵だ
よね、岬くんは。黙っていないで、いつものように容赦のない言葉を言ってくれないと」
「三杉くんって、平和主義者だと思ってた、オレ…」
「翼くん」
ちょっと驚いたように目を見開いた三杉は、翼を振り返ってくすりと笑った。
「僕はマゾヒストじゃないよ。ただ、退屈するのが嫌なだけさ」
退屈するよりは嵐を選ぶ、というわけか。
「単に、慣れてしまっただけかもしれないけどね」
凡人なら慣れるだけで人生全部使ってしまいそうである。さすがは三杉と言うか。
「さて、と」
三杉は腕時計に目をやった。
「そろそろ監督の招集がかかる時間だな」
「あ、そうだっけ」
「行こうか、翼くん」
「でもっ、岬くんを起こさなくてもいいの?」
「起きるものか、見ただろう?」
座ったままで翼の頬に手を伸ばす。指先が触れたところで三杉はゆっくりと立ち上がった。
「えーと?」
考える間もなく三杉の顔が静かにかぶさってくる。唇が触れる、その寸前…。
「ずいぶん楽しそうじゃない。ボクのいない間に」
「あっ、岬くん! よかった、起きたんだね」
翼の顔がぱっと輝く。この微妙な状況であっても、ミーティングに遅刻させたくないという思
いが何より優先しているらしい。
三杉もちらりと横目でソファーのほうを見下ろした。手は、まだ翼の頬に添えられたままで
ある。
「君がいたならいたで、もっと楽しいことになっていたんだけどね、岬くん」
「どういう意味、それ…?」
二人してよく似た笑顔で向き合う。
「解説が必要かな? 僕のことは誰よりよくわかってくれてると思ってたけど?」
「不本意ながらね」
二人の間には、例によってキラキラと美しい火花の破片が見えるようだった。
「ほんとだ…」
小さくつぶやいたのは翼だ。
「三杉くん、ほんとに岬くんのこと、好きなんだ」
普通に起こしてもおそらく起きない岬に、三杉は最も効果的で最も楽しめる方法を使った
のだろう。
翼は、さっきまでの楽しそうな表情にさらに輪をかけて楽しそうな今の三杉を見ながら納得
した。
「それに、きっと岬くんも…」
二人の楽しみのダシにされたことはまったく気にしていない翼である。翼は翼で、やっぱり
慣れてしまったものらしい。さすがはスーパー主人公。
ともあれ。
幸せそうな恋人たちのお邪魔をするような無粋な真似はせずに、翼はそーっとその場を抜
け出すことにしたのだった。
〔おわり〕
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