TALK
〜 あるいは極私的みーみー論 〜
原作でもそうだと思いますが、この二人はお行儀が良くて頭が良くて
他人と摩擦を起こすなんてことは一切考えていない人達です。
それなのに 「三杉くん(岬くん)にだけは、なぜかこうなるんだよね」
なんだと思います。
彼らはその生い立ちにおいて常に 「いい子」 でなくてはならない、
「いい子」 であろうとする環境にいた人達です。 いい子でいるというこ
とは極端に言うなら子供性を押し殺して 「大人」 を演じることですよ
ね。彼らにとってそれが唯一解放され子供らしくいられる場がサッカー
だったわけで、もし出会ったのが別の場だったなら、二人とも澄ました
顔ですれ違ってそれで終わりだったと思います。
でも頭のいい二人は一目で互いの共通点に気づいてしまいます。裸
の自分の無防備さに恐怖したと同時に、その不思議な開放感に自分
でも驚いたはずです。そこでどうしたか。
二人は同情しあうのでなく、警戒しあうのでもなく、 あるいは馴れ合
ってしまうこともせず、 いきなり彼らだけの間において 「いい子」 であ
ることを放棄してしまいます。
自分が隠していた自分。それは彼ら二人の間だけで意味を持ち始め
るのです。自分と向き合うこと、自分の秘密を知ること。それは表と裏、
二つの面を持ちます。いっそ消してしまいたい、それとも大切に抱きし
めていたい。彼らは黙っていても相手がそう考えていることを見抜いて
しまい、見抜かれていることをも見抜いてしまいます。
だから駆け引きはなし。「嫌い」でもあり「愛している」でもあることに
矛盾はないのです。
この関係をどう呼べばいいか難しいところですが、そこを思い切って
「恋愛関係」だと強引に割り切ってしまうと意外とすとんと落ち着くもの
があります。あまりに頭が良すぎるために一見複雑怪奇な言動に思え
ますが、要は「恋人同士」なだけなんだと。
他の人間には大人びた落ち着いた人当たりのいい顔を向ける彼ら
が、二人で向き合うと途端に本音だけの「欲望」むき出しになってしま
う。ほほえましいじゃないですか。ふだんいい子な分、二人の時くらい
好きにさせてあげましょうよ。
その点気の毒なのはそのギャップに直面している周囲の人達でしょ
うが、サッカー仲間に関して言えばいろいろな意味で「超人」ばかりで
すからあまり心配はいらないと思います。もっともこの人達の反応だけ
をクローズアップするとただのギャグになりかねないので…もうなって
るか…小説の中ではたいてい岬くんと三杉くん二人きりでいいコト悪い
コトをやってもらってますけどね。
とにかく、これが結論です。岬×三杉は奇をてらったお笑いじゃな
い! 書くほうにも読むほうにも多少の(かなりの…)精神力を要する
のは確かですが、なるべくしてなったカップルなのは、絶対間違いない
です。
ねっ?
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