「いない?」 「いない」 少し離れた場所同士で声を掛け合う。 実は直接会話をするのは初めてかもしれない滝と反町だった。 夏の大会が終わったばかりの夏休み。合宿というより選抜選手たちの顔合わせという 意図で彼らはここに集められていた。 文字通りの死闘を演じた決勝戦。 引き分けという結果は、彼ら自身にもどこか決着がついていない空白感を残していた かもしれない。 「そっちはいつからだ?」 滝が渡り廊下の日陰側から声をあげた。 「んーと、昼食後のミーティングが終わってすぐかな」 「同じだな」 日なたに立ってまぶしそうに手をかざしながら答える反町に滝はうなづいた。そして 手招きをする。反町は少し考えた様子を見せてから駆け寄ってきた。 「まさかとは思ったけど、同時にいなくなったってことは…」 「ちょっとヤバイ、かもね」 互いに名前と顔が一致する程度の希薄な関係だが、人見知りをしない性格は同じらし く、屈託なくタメ口で会話し合う。 「まだあっちは行ってないんだ。行く?」 目的が同じと知って、2人は並んで捜索を続けることにした。 「なんかさ、あれからどう? おたくのキャプテン」 建物の端まで歩きながら戸口や窓をいちいち覗き込む。 「どうって言ってもねえ、翼はケガの治療優先だったから俺たちもあまりじっくり話し てないんだ」 滝は背伸びをして室内を窺ってから背後の反町に首を振ってみせた。反町は肩を落と してさらに向こうの棟を見やる。 「うちはねえ、あの通りの人だからあれはあれで一度頭がカラッポになったみたいで、 スッキリしたって感じではあるんだけど」 「なんだ、はっきりしないな。表彰式じゃあんなに晴れ晴れしてたじゃないか。俺たち は恐ろしい印象しかなかったから逆にビビったんだぜ」 「ははは、それは俺たちも同じ。まさか2人して嬉しそうにユニフォーム交換するなん て思いもしなかったよ」 だよなあ、とうなづきあいながら2人は記憶を反芻する。体力の限界を完全に超え て、そしてそれゆえにさらに走って行けたとしか言えないあの最後の決戦。 「ランナーズハイってか、フットボールハイ?」 「そいつはヤバイぞ。翼や日向ならともかく俺たちは常識がある」 「だといいね」 反町はニヤリと笑った。そういうことにしておかないと確かに大変だ。 あたりをぐるぐる周ってみて2人は結論を出した。この近くにはいない。 一人ずつでも十分に厄介な2人なのだ。一緒にしておくとどうなるのか、考えたくな いが不吉な予感だけはたっぷりとある。自然に足が速まった。 「ところでちらっと耳にしたんだけど、東邦って決勝戦をボイコットする気だったって ホントか?」 「え? ああ、まあね。今となってはお恥ずかしい集団心理ってやつで」 建物から離れて裏側に向かう道を進みながら反町は頭を掻いた。 「あれは日向さんのためにやったことなのか、俺たちが日向さんに依存しきってああな ったのか、微妙なんだよ。戦力面はもちろんだけど、なんかこう、ただ引っ張られる快 感ってか。ちょっと危ない集団だよね」 「ふうん」 冗談っぽく応じた反町だったが、滝は逆に真顔になった。 「俺たちも同じだな。あの『わき目もふらずに』っていう翼をただその後を追いかける ので精一杯ってふりをしながらさ、止めても聞かない奴だってのを言い訳にしてたかも な。結局あれだけ無理させて…。そうなることだって予想できたのに」 「それが俺たちの役目じゃん?」 反町は空を振り仰いだ。それから滝に目を戻して少し苦笑する。 「だって、俺たちがついってってたのは、偉大なる独裁者だろ?」 滝は目を丸くしてから、やっと口元を緩めた。 「独裁者ね。確かにな。独裁者に思う存分独裁させるのが俺たちの役目ってか」 2人は敷地の奥へ奥へと道を進んだ。グラウンド側は仲間が手分けして捜しているは ずだから、あえて無関係な方面を選んでみる。こちらはひたすら木々が繁っているばか りだったのだが。 「他人を巻き込むだけのエネルギーを持ってるキャプテンなら、それにちゃんと巻き込 まれてやるのが俺たちの甲斐性。だろ?」 「つらいよなあ。引っ張ってくほうもだけど、引っ張られるほうもさ」 「わかるわかる」 互いに苦笑を交わすしかない。 「なにしろあの自信過剰ぶりは尊敬に値するよね。こっちも乗っからないとどうしよう もないくらいのパワーで自分の力を信じてて、まっしぐらなんだもん」 「しかも計算づくじゃなく、天然の独裁者だし」 「天然じゃ、勝てないよな。俺たちじゃ手綱もブレーキもきかないんだから」 「まったくだ」 先に滝が噴き出して、反町も一緒に笑い出した。 「いいキャプテンなんだ」 「それにいいチームメイト」 2人はひとしきり笑って、そして互いの顔を覗きこんだ。 「なあ、俺たちもユニフォーム交換くらいしとけばよかったな」 「ほんと。なんだかんだで同じ立場だったんだもんね」 「んじゃ、気持ちだけもらっとくか」 「そうしよっ。俺もおまえのユニフォームもらっとく、見えないけど」 とうとう彼らは敷地の一番奥までやって来てしまった。この先は終わりだ。木立を透 かして境界であるネットフェンスが見え、その先は道路と隣の敷地になっているようだ った。 「外に出掛けてったって可能性もあるよね」 「バス停や駅のほうは何人かで見に行ったはずだけど」 2人が諦めきれずに周囲を見回していたその時。 「な、何か聞こえなかった?」 「確かに。…こっちかな」 2人は駆け出した。金属音のような重い音は一度きりで、その後はしんと静まり返っ てしまったが、その方向に見当をつけてどんどんと木立の間を抜けて行く。 「ちょっと、これ!」 反町が足元から拾い上げたのは木の枝だった。まだ青々と葉がついたまま無残に折れ た短い枝がいくつも散らばっている。 「おい、地面も!」 滝が指さしたのは木々の間の地面が不自然にえぐれた丸い跡だった。それも一つでは ない。 「間違いないよ、ここ、通ったんだ、あの2人」 「通ったって言っても、工事用の重機じゃないんだぜ…」 と言いかけた所で滝は口をつぐむ。いや、この喩えは笑えない。反町もちらりと振り 返って気の毒そうな顔をしたが、びくっと目をみはる。 「わっ、見て見て、酷い!」 痕跡をたどって行ったその先で、ネットフェンスが何メートルにもわたって無残な姿 を見せていたのだ。へこみ、たわみ、支柱は折り曲がり、さらには破れて大きな穴まで 開いている。 「う〜、一体ここで何をやってたんだ、あの2人は」 「ね、ね、あそこから出てったとか?」 2人の前に、フェンスが完全に倒れてその向こうへとがら空きになっている箇所が現 われた。しかもそこにはパンクしたらしいボールの残骸が一つ。 「やだよぉ〜、まさか2人で取っ組み合いやってたとか?」 「ボールを使ってか?」 「うんうん。十分ありえそう」 2人は恐る恐るそのフェンスの向こうを覗き込んだ。こちらの敷地は少し高くなって いて、1メートルほど下に道がある。 そしてその向こうは駐車場のような資材置き場のような、広くて乱雑なスペースにな っていた。 「なにやってんだ、おまえら」 「はあっ?」 いきなり声が掛けられて、滝と反町は絶句した。彼らが身を乗り出していたそのフェ ンスの外、ブロックで固めてあるその壁にもたれて日向がこっちを見上げていた。 その隣では翼がうまく日陰に入り込んで同じようにもたれて座り込んでいる。 2人の手にあるのは…。 |
「なにノンキにアイス食ってんの〜、2人して!」
日向も翼もそれぞれにスティックアイスをのんびりとかじっていた。 「あはは〜、見つかっちゃった?」 「こら、翼、あははじゃない! アイスはともかく、勝手にいなくなったりして心配す るだろ!」 滝の言葉に日向は翼に視線を落とした。 「なんだ、やっぱり黙って出てきてたのか、おまえも」 「もってことは日向くんも? しょうがないなあ」 「しょうがないのは2人ともっ!」 この惨状にどれだけ肝を冷やしたかなどまったく考えていない翼と日向にとうとう切 れる。だがその反応は相変わらずだった。 「なんか息がぴったりだね、滝も反町くんも。どうしたの?」 「ぴったりにもなるよ、もう〜」 反町はその場に座り込んだ。滝も同じく肩をがっくりと落とす。 「んで? 説明してもらおうか、翼」 煮詰まり具合をその口調から察して翼はようやく素直に立ち上がった。ちょうどアイ スを食べ終わったからとも言うが。 「こんなとこまで来るつもりはなかったんだけど、ちょっと見つからない所で試したい キックがあってさ」 だから人のいない裏手にやって来たらしい。 「途中で日向くんとばったり出会ったんだ」 「な〜るほど。だいたい想像できた」 「要するにいつものクセで張り合ったんでしょ」 「まあ、ちょっとばかし」 日向もまるで悪びれずにそっぽを向いている。いや、多少は反省しているのか。 「うん、ちょっとばかしフルパワー出しちゃったかな」 「まったく…」 「でもフェンスはやりすぎでしょ、これはっ!」 「ああ、これはいいの」 反町が日向を睨むとなぜか翼が得意気に応えた。 「最初にうっかり壊しちゃってマズイって思ってたら、ここの現場のおじさんたちが見 に来て、明日からフェンスの取り替え工事をするから好きなだけ壊して構わないって言 ってくれたんだよ」 「なんだってぇ〜?」 改めて見回すと、資材置き場に見えたのは工事のための準備としてまとめてある機材 や材料などだったことに気づく。担当者たちはこれを置いて帰って行ったらしいが。 「だからって、これは…」 滝も頭を抱える。 「少しは手加減ってものを――」 しろと言いかけて滝は口をつぐんだ。そのまま反町と目を合わせる。 「そんな言葉はこのヒトたちにはないよ、滝」 「そうだったな」 その時ケータイの着メロが鳴った。滝が出る。 「…ああ、見つけた。今から連れて帰るから。…え? 駅で?」 滝はだんだん眉を寄せていった。そして通話を切るとまた段差の下の日向と翼に目を 向ける。 「そのアイス…買ったんじゃなかったんだな」 「え? あ、さっきのアイスのこと?」 翼がちょっとうろたえ、隣の日向に目をやった。日向はにやりと笑う。 「もうバレちまったみたいだぞ、翼」 「俺のせいじゃないもん! 日向くんだって…」 「な、何? なんなの?」 一人話が見えずに反町がうろたえる。こうなったら何が起こっても覚悟を決めるしか ないとわかっていても。 「一汗かいたから何か飲むものでもと思ってあっちの駅前までここから歩いてったらや かましい連中がいてな」 日向はこきこきと首を回しながら説明をした。 要するに、駅前で周辺住民の皆さんに迷惑をかけていた地元の暴走集団のお兄さんた ちがいて、それをたしなめたこのサッカー少年2人に逆ギレしたということらしかっ た。もちろん、彼らの運命は想像がつく。 「立木を蹴散らして、地面に穴ぼこ開けて、フェンスを思いっきり壊して、さらにバイ クも数台廃車にしちゃったと」 滝はさっきの電話で聞いた証言と合わせて事実をつなげてみせた。 「アイスはお礼にってくれたんだよ、売店のおばさんたちが」 「俺たちは被害者なんだ。文句を言われてもな」 「そうそう。ボール1個ダメになっちゃったし」 やっぱり反省はないようだ。探し回った挙句にそんな話を聞かされた別動班は、さぞ あせりまくったに違いない。滝の報告で今頃ほっとしているとは思うが。 「ダメにしたのは自分たちのくせに」 反町が聞こえよがしに独り言をつぶやいている。この上に放置されていた別のボール の残骸と合わせて、被害は2個というわけだ。 「ずいぶんエネルギーを持て余してるみたいだけど、翼」 滝は厳しい顔で宣言した。 「おまえは本当はここにサッカーしに来たんじゃないよな。ホントなら入院させておき たいとこを、今回はミーティングだけだってんで一緒についてきたはずだけど?」 「…う、うん」 「そうなのか、おい」 日向と反町も同時に翼に向かって声をあげた。南葛メンバーたちが必死に翼を捜した 理由の一つはそこにあったのだ。 「平気だなんて嘘だったんだな!」 「ゴメン。日向くんにだけは言えなくて」 日向はしばらく黙って翼を睨んでいた。 「…まんまと騙されちまったな」 「えっ?」 日向はいきなりくるりと背を向けて片膝をついた。 「そら、早く!」 そしてためらう翼の腕をつかまえると無理やりおぶってしまった。 「うわぁ、いいってば、日向くん!」 「じっとしてろ」 などと賑やかにさっさと道を歩いて行ってしまう。 残された2人はぽかんとそれを見送るしかなかった。 「ああ見えて日向さん、子守が得意らしいから大丈夫だよ、滝クン」 「だといいけど」 問題はあの姿を見てメンバーたちに動揺が走らないかという点だったが。 「じゃ、帰るか、俺たちはこっちから」 「だね」 フェンスの残骸に気をつけながらその場を離れ、施設の本館へと帰路につく。 「お疲れ」 「そっちもね」 確かに、わずかの間にどっと疲れがのしかかった気がする。 「一人だけでも十分振り回されて来たけど、ああやって二人がかりになるとさらに大変 だって実感したよ」 「独裁者ズ」 「嫌な複数形だな」 滝はため息をつく。 本館のそばまで来ると、もう先に翼と日向が着いた後らしく、そのあたりでがやがや と騒ぎになっていた。南葛組が滝に気づいて手を振り回している。 「じゃあな、反町」 滝がそちらに走っていくのを反町はその場で見送った。それから思い出して自分も大 きく手を振る。 「滝〜! これ、ありがとな!」 何もない手を滝に見せる。滝は振り向いてそれに気づき、うなづいた。 「ああ、先は長いからな、へばるなよ、反町」 「お互いさま〜!」 交換した見えないユニフォームをお互いに振りながら、二人はそれぞれのチームメイ トのところに別れて行った。 先は長い。その通りになることをまだ彼らは知らなかったのだけれど。 【 end 】
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