きもだめし 「じゃあ、いい?」 「ああ」 真っ暗な通路に一歩を踏み出しながら翼が小さくささやき、日向も短く答えた。 「まったく、わざわざ呼び出すから何かと思ったら…」 「1人より2人のほうがいいだろ」 互いに隣にいるものの闇の中では表情までは見えない。 「――つまり、おまえ一人だと怖いんだな」 「違うよっ! 日向くんこそ怖がってるんじゃないの?」 「誰が!」 声を殺したまま日向が叫びかけたその時、ガタン、とどこかで音が響いた。 「わ、今の…何?」 「さあな…」 静まり返った中では物音の距離感がつかみにくい。一瞬足を止めてしまった二人だっ たがまたそろそろと歩き始めた。 「えーと、最初はここ…かな」 闇にすかして番号を確かめ、翼はドアノブに手を掛けた。ちらっと隣の日向のほうを 振り返ってから意を決したようにドアを押し開く。 ギーッと、軽くきしむ音がした。 「…何か、見える?」 「いや…こう暗くちゃな」 二人は耳を澄ませて気配を窺うが闇の中からは何の動きも伝わって来ない。 「どうも怪しいな。まあいい、次行くぞ」 「うん」 先に立った翼がいきなりガクン、と足をとられて倒れそうになる。すぐ背後から急い で腕を伸ばし、日向がそれを抱きとめた。 「あ、足元に何かある〜」 「気をつけろ。何があるかわからんからな」 日向はそのまま翼の手を握って並んで歩き始めた。 「あ、ありがと」 「フン…」 ちょっとそっぽを向いて知らん顔をする日向を翼も見上げた。お互い顔はよく見えて はいないのだが。 「次、ここだね」 またドアの前に来て同じように開こうとした翼の手がびくっと止まった。中から、何 か聞こえる…。 「日向くん、先にどうぞ」 「おい」 そそくさと自分の背後に回った翼には構わず、今度は日向がドアを開いた。何かぼう っとした光が壁を照らしたかと思うといきなりそれが真っ赤な大きな光となって弾け、 同時にドシンと大きな物音と呻き声のような悲鳴が重なって部屋に響いた。 「わっ!」 こちらでも翼が小さく声を上げた。ぎゅっと背後から服をつかまれて日向も固まる が、そのまま急いで部屋を出る。 「何だったの、あれ…」 「……」 日向は無言でどしどし進んだ。繋いだ手を頼りに翼も小走りになる。その前方から今 度ははっきりと人の声らしきものがいくつも重なるように聞こえ始めた。 ひそひそと囁くような、押し殺した笑い声のようなさまざまな声。 「なんだ、これは…」 日向は不機嫌そうにつぶやいて次のドアの前に立つ。声だけではなく何か空を切るよ うな得体の知れない物音も一緒に漏れ聞こえてくるのだ。 「次はおまえだぞ」 「え〜?」 「怖くねえんだろ?」 「それは…もちろん!」 ドアを開けるのは交互ということにいつの間にかなったらしい。翼はややためらいな がらドアに手を掛けた。その向こうはやはり真っ暗闇である。 注意しながら中に踏み込むと甲高い笑い声がまた激しくなった。 「わ、わ、わーっ!」 まさに声にならない叫びを上げて翼は背後の日向に飛びついた。そのまま日向ごと押 し出すように通路に逆戻りする。 「今、今、何か冷たいものが俺の顔をかすった〜! ひや〜って!」 「…まあ、定番っちゃ定番だな」 実は日向にもそのとばっちりというか、冷たいしぶきが少々飛んできていたのだ。 やれやれとため息をつきたいところだったが、翼が日向にしがみついたまま離れない のでしかたなくそのままの体勢でさらに進む。 |
「なんだ、この嫌な匂いは…」
通路を進むにつれて、その匂いは強くなってきていた。 「生臭い…? それとも何か、腐ってるみたいな?」 「……」 顔をしかめて日向はドアの前に立った。 「だいたい予想はつくけどな」 「…大丈夫かな」 日向はまったくためらわずに、むしろわざと音を立てるようにしてドアを開いた。 ドアの動きでその激しい匂いが一気に中から流れ出てきた。匂いだけではなく、なに やらもわっとした湿った空気まで。 ぴちゃ…ぴちゃ…。 思わず鼻を覆った二人だったが、入れ替わりに聞こえてきたのは何かをすする音。 一瞬唖然と棒立ちになった後、耐え切れずにバタンとまたドアを閉める。 「まだ聞こえる…。まだ匂うよ〜」 歩きながらぱたぱたと自分の体をはたいてみるが、その気持ちの悪い匂いとさっきの 水音の残響はすぐには消えなかった。 「はあ…ここで最後かな」 かなり消耗しているのがその声からも窺える。それに反比例して、繋いでいる手はぎ ゅっと強くなっていたかもしれない。 「…え?」 用心深くほんの少しだけドアを開く。やはり真っ暗な空間がそこにあった。 そして、密やかな気配が。 「……はぁ…は…」 押し殺すような重い息遣いがその闇の中から漏れた。 黒くよどんだような塊がわずかに動き続ける。声は、そこから聞こえてきていた。ギ シリと軋む乾いた音と重なりながら。 「えっ?」 もう一度翼がつぶやいた。背後からがばっと両耳をふさがれたのだ。 「日向くん…?」 視線はまだ正面のその闇に向けられていたが、気配と音は遮断された。闇は闇のまま ただゆらゆらとうごめいている。 そうやって耳をふさがれたまま翼はずるずると後ろ向きに引っ張られて元の通路に出 た。目の前でドアが日向の手で静かに閉じられる。 「えっ? …え?」 まだ目を丸くしたまま翼はやっと振り返って日向を見た。日向はといえば、さっきよ りさらに疲れたようにあらぬほうを見ている。 「あいつら、絶対わざとやってるな」 「…あいつらって?」 独り言に突っ込まれて日向ははっとこちらを向く。 「いや、なんでもねえ。さあ早いとここんなところは出ようぜ」 「あ、そうだね」 通路の突き当たりの扉から光が漏れていた。 その扉を開くとそこには明々と明かりの灯った渡り廊下があった。いきなりの明かり で少し眩しかったのか、二人はそこに立ち止まる。閉められた扉を振り返って、やっと 安心のため息をついた。 「ああ〜、よかった。日向くんが付き合ってくれて。俺一人じゃちょっと勇気出なかっ たよ」 「怖くないって言ってなかったか」 「…怖くない!」 今度はしっかり目を合わせて翼は主張した。からかうような日向の口調にぷいとそっ ぽを向いて翼は先に歩き出した。渡り廊下の向こう、ホテルの本館側へと。 「監督に報告はいいのか?」 呼びかけられて翼は振り返った。 日向を見て、それから別館側に視線を投げる。遠征先のホテルのダブルブッキングの 都合でチームの一部分が急遽こちらにまわることになったのだが、どうも夜な夜な騒ぎ を起こしているという報告を受けて、キャプテンと副キャプテン(の一人)に見回り命 令が出たのである。 消灯後の深夜の抜き打ち見回り。抜き打ちはいいが、真っ暗な中では見回りも簡単で はない。 翼に困った顔を向けられて日向は苦笑した。 「1号室は部屋を抜け出してて、2号室は内緒で持ち込んだゲーム機で一晩中遊んで て、3号室は1号室と合流した4人でまくら投げと濡れタオル飛ばし、4号室はヒータ ーで勝手にくさやの干物をあぶって酒盛り、5号室は…まあ、監督には内緒だ」 「すごい。よくわかったね」 翼は目を丸くした。 「俺は寮住まいだぜ。こんなのは日常茶飯事だ」 そうなのか、東邦。 「じゃ、大丈夫だね。報告するほどじゃないってことで」 「そうだな。俺たちも明日の朝までには忘れちまう程度のことだ」 日向はちょっとかがんで翼の耳元にキスを落とした。 「じゃ、俺は戻るぜ。また明日な」 「あ、お、おやすみのキスね。…おやすみ、日向くん」 思わず固まってしまった翼は、日向があっさりと先に行ってしまったのでほっとした ように自分もその背に声を掛けた。少々顔を赤くしながら。 深夜の超過勤務の報酬としてはこのくらい。日向はまた次の見回りを一応楽しみにす ることにしたようだ。 【 end 】
|
|
小次×翼未満。日向下心編かな?
別館行きとなった10人のメンバーとは誰なのか、そして どの部屋に誰がいたのかはお好きな人選でお楽しみくださ いね。 私としては5号室だけは決めてますが内緒です。(笑) |