バスは30分ほど走ってその終点に着いた。駅から一緒に乗って来た乗客たちはみん
な温泉客のようで、バス停で降りるとその下の川べりの旅館街に通じる徒歩道にどんど
ん向かって行ってしまう。
 翼はその集団の陰に隠れるようにしていたが、彼らがいなくなると一人ぽつんとそこ
に取り残された。
「あっちだ」
 でも翼はしっかりと見ていた。ずっと後を追っていた姿が温泉客とはまったく逆の、
道路から直接森に入っていく斜面に向かったのを。
「やっぱり山かあ」
 その背中が木立の間に見えなくなったのを確認してから翼はバス停を離れた。






山へ行こう
     〜12月に寄せて〜







 時間はさかのぼって正午過ぎのこと。
 今回の合宿地の最寄り駅であるJR駅のホームで、翼は覚えのある声を聞いた。
 改札に向かう階段の吹き抜けを通して、コンコースを歩く代表メンバー数人がホーム
から見えた。翼は声をかけようとその吹き抜けに駆け寄る。
「…じゃあ翼は明日着くのか」
 その時聞こえた言葉に翼はぱたっと足を止めた。そう言えば、と心の中で考える。予
定を早めて合宿の初日に来ることになったのを誰にもまだ伝えないままやって来たのだ
った。
「学校の予定とかの違いで、合宿入りするのが今日と明日とバラバラなんだよね、今
回」
「じゃあ東邦は今日か。でも日向がいないけど?」
 話し声の一人は反町のようだった。
「ああ、日向さんだけ別。なんか用事があるからって、明日来るらしいよ」
「用事?」
「そう。完全プライベート。…だよね?」
 立花兄弟たちらしい声に答える反町は連れに話を振った。が、相槌を求められた相手
の声は聞こえなかった。うなづいただけだったのか?
「おい、まさか、アレじゃないよな」
 立花の笑い含みの声に翼はつい聞き耳を立てた。
「代表招集のたびにいなくなってただろ、昔」
「それが代表だけじゃなかったり」
 反町もどうやら笑いながら返事しているようだ。
「俺たちもおかげでスリリングな目に遭っちゃったし」
「日向も案外マメなヤツなんだなぁ、『山ごもりの特訓』」
 翼はガンっと固まった。それが何のための特訓だったのか、翼だって知っているだけ
に。
「…それは違う」
 少し間を置いて聞こえた別の声。翼は我に返る。急いで吹き抜けを覗き込むとその一
団は出口のほうに向かって小さくなり始めていた。一番後ろを行く長身の男が続いて何
と言ったのか、翼にはとうとう聞こえなかった。
 あわてて後を追おうとした翼は階段を下りかけてはっと顔を上げた。
 今見えたあの人影は?
 JR線と平行している私鉄線のホームが同じ駅舎の向こう側にある。
 多くの人がうごめくその中に、翼は間違いのないその姿を認めてじっと目をこらす。
と、相手もふとこちらに顔を向けた。
「日向くん」
 口の中でつぶやいて手を上げようとした時、日向の視線が自分を捉えて険しくなった
のを翼は見た。
「どうしてそこに? 合宿所はそっちの線と関係ないよね」
 もちろん声は上げないが手を動かして自分のその疑問を伝えようとする。JR改札の
方向を指すと日向にもわかったようだったが、厳しい顔のまま首を横に振ってから追い
払うような仕草で手を振る。
「そんなぁ」
 翼が呆気にとられている間に、その姿は人込みの中へ消えてしまったのだった。







 まったく手入れされていない藪のような植え込みの陰で背をかがめて翼はその先を窺
った。さっき坂の下から見えた屋根のようなものがそこにある。
 家とはとても言えない小屋。板で葺いた差し掛け屋根の小さな建物が木立に囲まれて
ぽつんと建っていた。
 翼は息を殺して気配を窺うが、物音も、何かが動く様子もまったくなかった。
「確かに日向くん、ここに上って来たと思うけど…」
 中腰のまま翼は一歩前に動いた。その時である。
「おい」
 その翼の背後から低い声がかかった。
「うわ!」
 不意を突かれた翼は振り仰ごうとしてその場にへたり込んだ。そこにぬっと立ってい
たのはまさにその日向であった。渋い顔をして見下ろすその視線には呆れたような色が
ある。
「ひゅ、日向くん」
「おまえな。ついて来るなと言っただろう」
 日向はため息混じりにそう言うと、手に提げていた薪の束をその場に下ろした。そし
てガサリと枯葉を踏んで翼に近づく。
「だってさ…えっ?」
 日向が手を伸ばしたので立ち上がらせてもらおうと顔を上げたのだが、翼はいきなり
ふわりと体が宙に浮いてあわてた。
「ちょっと、下ろしてったら!」
 日向は両腕で翼を抱え上げたかと思ったらそのまま自分の肩に担ぎ上げてずんずんと
歩き始めたのだ。翼はその体勢でじたばたする。
 しかし日向は構わず小屋に近づいていった。
「動くな。足をくじいてるくせに。さっき坂で転んだだろう」
「え?」
 翼は暴れるのをやめた。
「なんで知ってるの。…見てた?」
 日向は担いでいる翼の体を片手で支えながら小屋の戸を開けた。中はがらんとした板
張りの部屋になっており、壁際のベンチまで翼を運んだ日向はそこに座らせた。
「さあ、固定だけでもしておかないと。薬があればよかったんだが」
 日向は慣れた様子で作り付けの戸棚を開いて中から箱を取り出した。それを手に翼の
前に戻る。
「俺が尾けてるの知ってたの。どこから?」
「電車に乗るところからだ」
 箱に入っていた古びた包帯状の布を、靴を脱がせた右足首に巻いていく。いささかぶ
かっこうだったが、固定方法は的確だった。
「えーっ、じゃあ最初から!」
「そう。気づかねえわけがねえだろ、あれじゃ」
「……」
 日向の言う「あれ」の意味を悟って翼はちょっと赤くなりながらぷっと膨れる。それ
には構わず日向はまた救急用の箱を棚に戻した。
「券売機で切符が買えずにいた外国人を手伝ってやって自分が電車に乗り遅れそうにな
るし、乗換駅では忘れ物した親子連れ追いかけて違うホームに行っちまうし」
「もうっ…」
 翼はますます顔を赤くした。
「気づいてたんならそう言ってよ。俺、必死に隠れてたのに…」
「まあな」
 そんな翼の顔をちらりと見て、日向は笑いをこらえた。
「おまえがあんまり一生懸命だったから、邪魔するのも悪いと思って」
「面白がってただけのくせに〜!」
 抗議の声を上げながら、翼ははたと目を見開いた。
「ねえ、その乗換えの駅で乗り継ぎの列車に日向くん乗らなかったの、わざと? 俺、
先に出た電車に日向くんもう乗ってっちゃったかって思ってたんだけど、ホームに行っ
たら日向くんベンチに座ってたから、俺ほっとしたんだ。あれって、間に合ってたのに
1本待っててくれたの?」
「さあ」
 日向は素知らぬ顔をした。
「別に急いでなかったからな」
 日向は何度か外と往復して薪といくつかの荷物を小屋に運び入れた。翼は目を丸くし
てそれを見守る。
「日向くん、荷物全然持ってなかったよね」
「ああ」
 確かに、出発した時も電車とバスを乗り継いでいく間も日向は手ぶらだった。
「それにずいぶん慣れてるっぽいけど、ここって?」
 話しながらも小屋の鉄製暖炉に薪をくべて日向は火をおこしている。勝手知ったると
いう風情に翼の疑問は大きくなった。
「特訓用の山ごもり」
 振り返った日向がニヤリとそう言ったので翼は言う言葉をとられてしまった。
「どうせそんなふうに思い込んだんだろ。確かに、昔何度かここを特訓に使ったことは
あるけどな」
「……これは、違うの?」
「だったらおまえをここに来させねえ」
 火が大きくなるのをじっと見守っていた日向の目に一瞬だけ厳しい光がともったよう
に見えた。が、口をつぐんでしまった翼に気づいて振り返ったその顔はもうさっきまで
の飄々とした表情に戻っている。
「さて」
 日向は暖炉の前を離れて翼の前に歩いてきた。
「え」
 声を上げた時には翼はベンチの上に仰向けに押し倒されていた。
「暖かくなったし、これで遠慮なく襲えるな」
「もう〜、いきなりなんだから」
 翼は日向の髪を引っ張って口を尖らせる。真上から見下ろした日向は目を細めて笑っ
た。
「ここは電気もねえからな、暗くなったら他にすることはねえんだ。あとは楽しくやる
だけだな」
「なんか、自分から罠に飛び込んじゃったなあ」
 くすくすと笑いながらもらした言葉はキスの中に消えていった。






 狭いと気づく前に転がり落ちたベンチはあっさりと見捨てて、二人は結局暖炉の前近
くまで自然と移動していた。毛布が何枚か隅に積んであったのがくしゃくしゃと引っ張
り込まれて今はその塊の中にくるまっている。
「ほんとに静かだねえ」
 日向が身を乗り出して暖炉に薪を数本足すのを見て翼がつぶやいた。パチッと小さな
火花が散って、日向の横顔とその腕を赤い火の色が染めている。
 その日向が再び自分のそばに納まったところを翼はぎゅっと抱き寄せた。
「何だ?」
 その小さなため息を聞きとがめて顔を覗き込む。翼は眠そうに目をまたたかせた。
「べつに」
 唯一の光源となっている暖炉の炎が室内の影を時折ちらちらと動かすのを翼はゆっく
りと視線で追った。その最後に日向の顔がある。
「ただ、こうしているのが不思議だなって。二人だけで」
「そうだな」
 日向はうなづいたようだった。
「おまえを独り占めできるのもなかなかできねえしな」
「遠慮なんてしたことないでしょ」
「おまえもだろ」
 カタカタと小屋のどこかが風に鳴る音が響く。外は寒いに違いない。
 しかし今は暖かかった。






「えーっ、クリスマスツリー?」
「だから来るなって言ったんだ」
 朝になった。
 昨夜遅くから吹き始めた北風が木立の上を強く揺さぶっている。このずっと下に流れ
ている川からは霧が流れていたが、日が差し始めてからはそれも薄れ始めたようだ。
 この山一帯は植林による常緑樹の部分と元からある広葉樹の雑木林がまだらに塗り分
けられて、そう長い期間ではない間に林業が一気に廃れていったことが窺えた。この小
屋もかつては間伐などの作業に活躍していたのだろう。今ではすっかり出番もなく寂し
げにたたずんでいるが。
「親の古い知り合いの山なんだ、ここは」
 小屋のすぐ上の斜面で日向はぐるぐると歩き回っていた。勝手に来て無断で使ってい
るのではないという説明だった。
「じゃあ、薪とか毛布とかも?」
「ああ。車でこの下まで届けておいてくれてたのを回収してきた」
 翼と入れ違いにバス停のある道路と何度か往復していた事情を話す。
「特訓じゃなく、これが用事だったのかぁ」
 翼はその斜面の途中にある丸太に腰掛けてそんな日向を面白そうに眺めていた。日向
は時々歩くのをやめては翼を振り返る。
「これはどうだ?」
「う〜ん、さっきのほうが形がいい」
「じゃああっちは?」
「少し背が高すぎない?」
 翼の言葉を聞いては考え込み、日向はまた別の方向に進む。
「よし、これで決まりだ。おい、これでいいな?」
「うん、それが一番いい形だと思うよ」
 手を口に当てて答えを返した翼にうなづいて見せてから、日向は手にしていたナタを
ふるってその小さな木を倒した。
「わあ、いい匂いがする。採れたてのツリーだ」
「そら、持っててくれ」
 一度翼のところまで降りてその木を手渡してから日向はもう一度斜面に戻る。そして
既に目星をつけていたらしい木をもう1本切り倒した。
「2本なの? こっちはずいぶん可愛らしいね」
 さっきの木の半分ほどの高さのヒバの木だった。手に下げて降りて来ると、翼の手か
ら最初の木を受け取って両手に1本ずつ握っていく。翼も立ち上がってゆっくりとそれ
に続いた。日向のその姿を見ながらくすくす笑っている。
「ボール蹴って木を倒して回っていた日向くんがクリスマスツリーを丁寧に選んでるな
んて、ずいぶん変わったよね」
「おい、その言い方は聞き捨てならねえな。それにおまえも人のことは言えねえくせ
に」
「えーっ、俺は絶対木を倒したりなんてしないよ」
「木以外は?」
「…う〜ん」
 破壊力の発揮はフィールド内限定で、と常々釘を刺されている二人だった。
 ツリーを運んで小屋の前に立った日向がふと気配に振り返る。翼もそれに気づいて顔
を上げた。
「違うんだ、君たち!」
 突然叫び声が響いた。
「私は見ていない! 何も知らないんだ!」
「ああ?」
 日向が剣呑な声を出した。
 小屋の前にいきなり姿を表わしたのは身なりのいい中年男だった。少々髪を振り乱し
気味で息を切らしている。そして日向と翼の二人に向かって必死に訴えかけるのだっ
た。
「私を疑って追って来たんだろう? 所長に命じられて」
「……」
 じっとその男の顔を眺めてから、日向と翼は同時に顔を見合わせた。
「知ってる人?」
「いや」
 声をひそめて会話する二人の声は聞こえなかったのか、男は一人でイライラと首を振
った。
「あの場所に役員が集まっているなんて私は聞いていなかった。あそこに足を向けたの
は偶然だったんだ。信じてくれ!」
「信じるも何も…」
 何のことだかさっぱり、と続けようとした日向の言葉を男はいきなりさえぎった。顔
色が真っ青になっている。
「その木か! 研究成果を密かに実験していると言っていたのは! やっぱり彼らは先
回りしていたんだな。証拠を隠そうとして…」
「ねえ、この人どこか悪いの?」
「としか思えねえが」
 日向が視線を外したその一瞬の隙を男はチャンスと見たらしい。いきなり駆け寄って
きたかと思うと、日向の右手からツリーの一本を奪おうとした。
「よ、寄越せ! …うっ」
 悪いがあまり運動とは縁のなさそうなこの男とは動きの全く違う日向は、よそ見しつ
つも簡単に反応して飛びかかる男からさっと身をかわした。と言っても一歩左に動いた
だけなのだが。
 男は勢い余って日向の脇を飛び越し、地面に転がった。
「おい、これは俺のだぜ。勝手に触らねえでもらいたいな」
「…くっ」
 男がもたもたと立ち上がろうとしたそこに、今度は背後からガサガサっと大きな音が
響き、何やら重そうな塊が落ちてきた。その上に一人の若い男が仁王立ちになってい
る。
「見苦しいですよ。物的証拠ならここにあります」
「あー、これって」
 翼が目を丸くした。斜面の上から滑り落ちてきて彼らの前にどんと横倒しになってい
たのはバイクだった。ロードタイプの車体はあちこちダメージを受けていて、はっきり
言って廃車同然の姿である。
「昨日、俺が…」
「ああ、おまえをはねそうになったあのバイクか」
「それも見てたの、日向くん」
 日向は苦い顔でうなづく。翼の尾行にはずっと知らん顔していたが、あの時は思わず
飛び出しそうになった。
 バスが登ってきた道路はこの先細い車道となり山のさらに上に向かってここの観光ス
ポットの一つである滝に通じている。バス停の前は道幅が広げられていてちょっとした
ロータリー状になっているが、ここからこの小屋に通じる徒歩道はその道路の一番端に
登り口がある。翼がまさにそこに近づいた時に、ロータリーで一台のバイクが派手に転
倒したのだ。それが無人のままスピンして翼のいる場所に猛スピードで迫り、翼は危う
くそれに巻き込まれるところだった。
 もちろんとっさにそれを避けて登り口からその上り坂に駆け上がったのだが、滑りや
すくなっていた落ち葉の上で翼はバランスを崩して転んでしまった。
 翼を狙って起きたことには見えず、それよりケガはしなかったかが気になった日向は
バイクのほうには目も向けずに翼が上る後をついていったのだったが、もしわざとだっ
たのならただで済ます気などない。
 そこに再び現われたバイク(の残骸)に日向は憎憎しげな目を向け直した。
「追及の手を逃れようと画策なさったようですが……」
「なんだと!」
 しかし、こちらでは別の話が進んでいた。後から現われた若い男(と言っても30歳
前後くらい)は斜面を降りてきてバイクの側に立つ。そして中年の男とまっすぐに睨み
合った。
「所長から左遷をほのめかされたあなたは、まずは自分の不始末を先に隠そうとしたん
じゃないですか? しかし脅迫を受けていたことは遠からずばれてしまう。それで交通
事故を装って僕の口を封じようとしたんだ!」
「脅迫など受けていないぞ。ありもしない背任事件を匂わせて上層部に取り入ったのは
そっちじゃないのか?」
「そうまでして庇いますか。部下の不倫相手に真犯人に仕立て上げて自分は被害者面し
たこと、僕がわかってないとでも? そのせいでクラウディアは傷心のまま強制退去処
分を受け入れたんですよ!」
 罵り合いは続いた。だが、事情はさっぱりわからない。半ば呆気に取られてそれを見
守っていた日向と翼は次第にうんざりし始めていた。
 日向はとりあえず2本のヒバの木を小屋の前に立てかける。持ったままこんな騒ぎに
付き合いたくはない。と、罵り合っていた二人の男がはっとこちらに顔を向けた。
「あれだろう!」
「あれが!」
 なぜか男たちは同時に叫んだ。
「入国管理局が追っていたのは!」
「銀座のクラブで闇取引に使ったのは!」
 男たちが今にも手を伸ばそうとするその前に飛び出して立ちはだかったのは翼だっ
た。
「違うよ!」
 翼は男たちを睨み、そして背後のツリーにちらりと目をやった。
「これはクリスマスツリーにするためにこの山で今朝切ったんだ。日向くんが兄弟のた
めに毎年用意しているツリーだよ!」
「え…」
「なんだって…」
 翼のその断固とした主張に、二人の男ははたっと動きを止めた。
「では息子がアメリカの学会に発表しようとしたのは…」
「贈賄の証拠をマスコミに売ったのは父さんじゃなかった…」
「――なワケねえだろうが! いい加減にしろ!」
 ついに日向が大きな声を出した。さすがにこれには男たちも身をすくませる。
「て言うか、二人、親子だったの?」
 翼がほよよ〜んとつぶやく。日向は男たちからそちらに目を向けた。
「翼、いいからこいつらは放っとけ。俺の用は済んだしな、帰るとしようぜ」
「うん、そうだね。早く合宿に行こう」
 荷物と言えばこの2本の木だけ。帰るとなれば話は早かった。
「ちょっと待て、君たち!」
「大学当局が寄越したなら、まだ話が…」
 あっさりと自分たちを無視して背を向ける二人を見て、男たちはあせって取りすがろ
うとする。さらにはツリーに近づこうとしたので日向はキッと鋭い目で振り返った。
「やかましい! 俺たちはあんたらと何の関係もねえと言ったはずだ」
 日向は木を翼に預けると二人の男を引っつかんで小屋の戸を開き、中に乱暴に放り込
んだ。ドアを閉めてその横にあった棒をさっさとかんぬきに掛けてしまう。中から叫ぶ
声がしたが日向は無視して翼のところに戻ってきた。
「バスに乗る前に警察に電話しておこう。どうやら殺人未遂やら特別背任罪やら贈収賄
やら不法滞在やらに関わってるらしいからな」
「そうみたいだねえ」
 翼はふうと息を吐いて、もう一度小屋を振り返った。まさか警察が来るまであの二人
は中で親子喧嘩の第二ラウンドを繰り広げるのだろうか。
「それよりケガがたいしたことなくてよかったぜ」
「うん。一晩で痛みも取れたし、腫れてもいないから固定してくれたのが効いたんだ
ね」
 翼は自分の足元を見る。
「包帯巻いたまま合宿に行ったりしたら何言われるかわかんないし」
 主に約2名のチームメイトに。そしてそうなると非難を向けられるのは日向だ。
「まあでもしばらくはパワー落としておけよ。大会本番までは」
「日向くん、心配性」
 くすくす笑いながらの会話が遠ざかっていく。
「また来年も来る?」
「そうだな。下の妹が卒業するまでは家族でクリスマスを祝うだろうから」
「じゃあ来年も一緒に来たいな。尾行は無しで」
「独り占めできるのがまた1年先ってか。長いな」
「嘘、嘘。絶対そんなにガマンする気ない、日向くんなら」
 山の上は冬が近い。いや、既に冬に入っている。
 そんな冬の、一足早い準備が今から届けられようとしていた。
「そうかぁ、こっちの小さいのは合宿用?」
「まあ、気が早いけどな。用が済んだら寮に持って帰る」
 バスと電車を乗り継いで、2本の木は東京へと運ばれて行った。


EPILOGUE 


「えっ」
 部屋からラウンジに下りてきた翼は一瞬びっくりした声を上げた。
 合宿の2日目。午後になってやっと全員が揃っての最初の練習があったばかりだ。夕
食前のわずかな自由時間に、なぜか1階のラウンジに人だかりがある。
「クリスマスツリー?」
 もちろん翼には覚えのある木だった。が、姿が違う。
「待てよ、そっちにばかり雪をつけるな。こっちにもくれ」
「なーなー、電飾のスイッチもう入れていいだろ?」
 そのツリーの周囲でわいわいと押し合うように騒ぎが繰り広げられているのは今まさ
に飾り付けをしている最中だった。てっぺんに金の星をつけ、雪として綿が乗せられ、
電飾のカラフルな豆球が枝を巡って掛けられている。
「ここのセンターの人が備品に置いてあったオーナメントを貸してくれたんだよ」
 翼が視線を動かすと、岬と目が合った。ラウンジのテーブルの一つで岬はせっせと作
業中である。
「ほんとのクリスマスにはここもツリーを飾るんだって」
「そうなんだー」
 翼はもう一度ツリーに目をやった。おそらくもっと大きなツリー用なのだろう、借り
たオーナメントはちょっとあの木には多すぎる。でも、選手たちは構わずにどんどん豪
華に飾りたてているのだった。
「ほら、岬、こっちできたよ」
 一緒に作業していた森崎がキラキラした金や銀のホイルでくるんだキャンディを見せ
た。岬はさっそく席を立つ。自分が作り上げた分と一緒に手に抱えて。
「翼くんも一緒に飾ろうよ。早くしないと下げる場所がなくなりそうだよ」
 いささかあっけにとられて、翼はただそれを見送った。なぜみんなこんなにハイテン
ションなのか。
「厳しい生き残り競争の合宿だもんね。これくらい潤いがほしいんじゃないの、みん
な」
 背後からくすくすと笑いをこらえる声がした。翼は振り返る。そこに近づいてきたの
は反町と若島津だった。
「誰の差し入れかを教えれば静まるかも。けど俺はそんなヤボは言わないね」
 俺も混ぜろと叫びながら、反町はツリーに向かって走って行ってしまった。
「やれやれ」
 さすがにこの男はテンションはいつも通りだった。呆れたようにつぶやきながらツリ
ーを囲む騒ぎに目をやる。
「中学の時から毎年山に行って実家にツリーを届けてるが」
 誰がとも言わずに若島津は話を始めた。
「学校の分までもらってきたのは初めてだな」
「えっ、そうなの?」
 思わず尋ねた翼を振り返ってじっと目を止めてから若島津は口を開いた。
「つまり、口実ってわけだ」
「え?」
 二人は顔を見合わせる。
「おまえ今朝一人でここに来たが…」
「なに――わわっ!?」
 ごつい腕がいきなり伸びて翼は抱え込まれた。
「すれ違った時に匂いがしたんだよな」
 肩のほうから引き寄せてくんくんと鼻を近づけられ翼はあせった。
「おまえ、ツリーの匂いがしみついてる」
「ええっ?」
 翼は目を丸くした。見上げると若島津はにんまりと笑みを返す。
「合宿の間だけここに置いて、あとは持ち帰りだ。よかったな」
 ぽんぽんと翼の頭を上から叩いておいてから、若島津は自分たちの背後に視線を移し
た。
「こら」
 殺気のこもった声が聞こえたそこに、非常に不機嫌な表情の日向がいた。
「何やってんだ、おまえは」
「べつに」
 若島津は腕を緩めて翼を解放した。
「季節感を楽しんでただけですよ。ああ、12月だなあって」
「若島津くん…!」
 翼が呼び止めようとするのにも構わず若島津はさっさとその場を離れて行った。
「何だあれは」
「ええと」
 説明するのはとても難しい。長年の相方であるはずの日向にできないことが自分にで
きるわけもない。少し考えてから翼はすっぱりとあきらめて顔を上げた。そしてとびき
りの笑顔を見せる。
「ありがとう、日向くん」
「……」
 それで日向が納得するはずはなかったのだが。まして理解など。
 代わりに、ツリーの周囲でまた歓声が上がった。
 ようやくオーナメントをすべて付け終えて、点灯されたのだ。
「すごいな」
 日向の感想はまずそれだった。枝の緑はほとんど見えず、オーナメントその他が「て
んこ盛り」になったツリー。
「…翼?」
 ふと気づいた日向が目をやると、翼は自分の両腕の袖を引っ張りながら、一生懸命に
自分の匂いを嗅ごうとしているところだった。


【 end 】








 あとがき
08年夏の「獅子座強化月間」の企画内の書き下ろ し小次×翼小説に苦しんだ結果、いきなりの路線変 更で別の話を書いてしまいました。そして書いた時 期のせいかクリスマスツリーの話に。いやあ、なり ゆきってコワイ(笑)。アドバイスくださった nenekoさん、ありがとう。おかげで書けましたー!
さて、モデルになった土地はあるのですが、 実際のロケーションそのままでもないので地 名などはあえて伏せてあります。特に駅の構 造は現実にはありえないものなのでどうかど の駅かなどを追及なさいませんように。