足跡だ。
てんてん、と足跡がついている。
僕は振り返った。
「みさきくーん!」
向こうで手を振っている姿が見える。
翼くんじゃないか。
「どうしてここに?」
僕が駆け寄って行くと、翼くんもこちらに走って来た。
「へへ」
両手を出して、ぎゅっと手をつないで、翼くんは笑った。
「だって、これ、夢だもん」
「夢?」
そうか。それでこんなに雪が…。
「雪――!」
自分の言葉に驚いて、僕はもう一度周囲を見渡す。
一面に雪が、うっすらと積もっている。足跡はその上についていたんだ。
てんてんと、ここまで続いている翼くんの、足跡。
「あれっ、僕のは足跡がない」
「君が見ている夢だからだよ?」
まだ向き合って両手をつないだまま、翼くんはこくんと首をかしげた。
その髪に、ちらちらと雪が舞い降りる。
「あ、また降ってきたね」
僕の疑問はそのままに、二人で空を見上げる。
灰色の暗い空。でもその中から、次々と真っ白い雪が落ちてくる。僕らの上に。
しばらくぼうっと、僕はその光景に見とれてしまっていた。
「岬くんが俺を呼んだんだよ」
翼くんの声が、僕を我に返らせた。
空から、翼くんに視線を戻す。翼くんはじっと僕を見つめていた。
「こんなに遠くにいても、夢の中だから会えるんだよね。君が呼んでくれたから」
翼くんはしばらく僕を見てから、足元を指差した。
「でも、君の夢には君はいない。ここにいるのは君の影。君の本体は外にある」
「翼くん?」
足跡のつかない、影。翼くんの髪に乗っかっていく雪は、僕には落ちてこない。
僕は、ここにはいないんだ。
「俺に、話したいことがあったんでしょ?」
「…え?」
「だから、俺を夢の中に呼んだんだよね」
僕が会いたい翼くんが、その会いたかった笑顔で僕の前にいる。
でも、僕は、その話したかったこと、がどうしても思い出せない。
「いいんだ」
翼くんは握った手にぎゅっと力を込めた。
「俺、わかってるから。岬くんが話したかったことって」
「そ、そうなの?」
それは何? と聞き返そうとして、僕はためらう。
聞いてはいけないことのような気がして。
翼くんはまた空を見上げた。
「ねえ、雪、どんどん強くなってくるよ」
「あ、そうだね…」
僕もまた空を見上げる。確かに、さっきよりさらに多くの雪が落ちてくる。
灰色の空を背景に、その白い、限りのない落下が、僕の上にいつまでもいつまでも降り
そそぐ。
「これ、全部、君が欲しかったものだよ」
僕は空から目が離せなくなった。翼くんの声が遠くに聞こえる。
「これは――」
「いつだって、君の上にはこれだけ降りそそいでたんだ、君が欲しかったもの」
落ち続ける雪。じっと見つめていると、自分のほうが空に向かってどんどん上昇してい
るような錯覚に陥っていく。
落ちていく雪とすれちがいながら、その雪にどこまでも引き込まれていく錯覚。
「僕が欲しかったもの…」
「君はただ待ってるだけでいいって思ってるかもしれないけど、ほんとは君自身が、そこ
に呼び寄せられてるんだよ」
ざっと横風にあおられたように、雪の流れがわずかに乱れた。
それでもなお降り続ける。そうして空の上へと引き寄せられ続ける。
「それで、いいんだよ、岬くん」
遠かった翼くんの声が、また僕のすぐそばに聞こえた。
なのにそこに、僕の前に、翼くんの姿は消えていた。足跡までも。何も。
僕の両手に、その暖かさだけが残っていた。
「君は自分を許していいんだ。君が、自分で呼び寄せられてもいいんだよ。君がほしいも
のは、君が自分で求めてもいいんだ」
「翼くん…」
暖かさだけを残して、翼くんも、そして僕も、そこから消えていた。
――君がいつか、誰かを好きになったら、それをどうか許してあげて。
君は君を許さないかもしれない。
でも、どうか、許してあげてほしいんだ、君自身を。
残った暖かさが、そんな言葉を僕に伝えて、僕は目を覚ました。
窓の外はぼんやりと暗く、まだ朝には遠かった。
夏の夜、もちろんその外に雪など降ってはいない。
「――翼くんたら」
小さくため息をつくと、僕の隣でベッドが揺れた。ねぼけた腕が伸びて、僕の髪がゆっ
くりとかき混ぜられる。
僕ははっとするけれど、そのまま手は止まり、また眠りに落ちた相手に、
「バカ」
と愛をこめてつぶやいたんだ。
【 END 】
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