[ SOUTHERN ALL STARS ]
「ほんとに降ってきた…」
練習終了から落ち始めていた雨が、クラブハウスの前まで来て突然音を立ててなだれ落ち
始めた。
翼はジャンプ一つで軒下に逃げ込み、ギリギリその雨を避けることができたが、あいにく
ここはロッカールームに続く通路から少し離れていて、ぐるっと回って行くには一度雨の中
に出て行かなければならない。
「待ってるしかないかな」
そうつぶやいて、暗い空を見上げる。と、そこに水をはねる音がした。
「あ、日向くん」
振り向くと、同じように雨を避けて駆け込んで来た日向が、頭を振って水滴を飛ばしてい
た。少し遅れた分、翼より濡れてしまったようだ。
「ここからは中に入れないんだ。一度向こうに回ってかないと」
「みたいだな」
日向はまっすぐ雨をにらみながら短く答えた。その瞬間、目の前の風景が白く反転する。
「わっ!」
驚いて首をすくめたと同時に、大音響で雷鳴が空気を揺るがした。翼は文字通り跳び上が
る。
「いきなり来たな。近いぞ」
「そ、うだね…」
軒下の少し出っ張った柱の陰、その隙間に翼はぴたりと体をくっつけていた。風に巻き上
げられた細かな水滴がさっと降りかかってきて、そこでようやく我に返る。
自分の手が、隣の日向のユニフォームをぎゅっと握っていたことに気づいて、翼は目をぱ
ちぱちした。
「すごい、音、だったね。今の…」
「ああ」
日向もまだ自分のユニフォームから離れないその手を見下ろしてから翼の顔に目を戻す。
2つ目、3つ目の光が空を走り、それにかぶさるようにまた雷鳴が続いていた。
「ちょっと、びっくりしちゃったよ、俺…」
言い訳のように小さく笑った翼のその唇が塞がれた。
その瞬間は何が起きたかわからず目を見開いたが、雨に濡れた髪の先が自分の頬に触れて
いるのに気づいて翼はようやく事態を把握する。肩に手がかかって壁に押し付けられるとび
くっと体がすくんだが、動くことも許されず、そのまま目を閉じる。
「……あ」
その間に響いた雷鳴がどこか遠くのことのように感じられ、翼の体からゆっくり力が抜け
た。大切に、確認するように、たどっていく熱い感覚が、今ここにある全てに取って代わっ
ていき…。
と、日向がはっと体を離す。
その背後に賑やかな人の声が入れ替わりに聞こえ、そう思った時には日向は雨の中に走っ
て行ってしまった後だった。さっきまで自分の前にあった暖かい感触が突然消え、翼はぼー
っと1回まばたきをした。
一人になったそこへ雨はさらに強く風を巻き起こし、軒下の足元まで冷たく吹きつける。
翼は呆然としたままぶるっと震えた。
「傘、持って来たよ、翼くん」
建物の陰から現われてこちらに傘を振ってみせたのは岬だった。先にクラブハウスに着い
ていた数人とで迎えに回っているのだと笑顔を見せられて、翼はようやく笑い返すことがで
きたのだった。
あれ、なんだったの?
そう尋ねたくて、翼は日向を探した。
尋ねてどうするんだろう。と、もう一人の自分が問うが、それでも探さずにいられなかっ
た。
どうして、あんなこと、したの?
口にできないまま、その質問は自分の中で行き場をなくして頼りなげに繰り返される。
日向はどうしても見つからなかった。
「もう、朝練に行ったんじゃないかな」
次の朝、朝食の時間にも日向の姿はなかった。三杉にそう言われて、翼はうつむく。
「困ったなあ」
「日向に何か用があるのかい?」
「うん、用と言うか…」
聞きたいことがあるだけなんだけど、と翼は言葉を濁す。
「日向が、君に…?」
話を聞くと、もちろん三杉は眉をひそめた。それから翼の沈んだ表情を眺めて口を開く。
「まったく、困ったやつだな。翼くん、あんな野獣のすることにいちいち意味なんかないん
だから気にすることはないよ。放っておけばいい」
「意味は、ないの?」
ぱっと顔を上げた翼に、三杉は少し驚いたようだった。その目の真剣さに。
「意味ないのに、ああいうことするの、日向くんて?」
「さ、さあ。僕にはよくわからないが…」
余計に元気をなくしてしまった翼に戸惑って、それを見送った三杉はため息をついた。
「あんな言い方、翼くんには逆効果だよ。バカだなあ」
「岬くん…」
背後からいきなり辛辣な言葉をかけられて、三杉は不機嫌そうに振り向いた。
「なら、君ならなんて答えたんだい? まさか日向がどういうつもりか解説する気だったと
でも?」
「するわけないよ」
三杉に並んでから廊下を歩き始めた岬は、こちらも不機嫌を絵に描いたような顔をしてい
る。
「とにかく、翼くんは免疫がないんだから、この際変な先入観を持たせないようにしない
と」
「日向に? それとも君に?」
自分と同じ感情を持て余している岬に、三杉は思わず意地悪なツッコミを入れる。岬はじ
ろっと目を上げた。
「小次郎も、君もだよ、三杉くん。誰でも、一人残らず!」
「難しいなあ。状況は厳しいんじゃないかい?」
岬は肩をすくめてしぶしぶ同感を示す。昨日、自分がもう少しでも早く迎えに行っていれ
ば、という思いも含めて。
クラブハウスの脇に、水道が一列に並んでいる。そこでばしゃばしゃと水の音がしている
のに気づいて翼が近づいた。
「あ、松山くんか」
「おう、翼。どうした」
ひょいと顔を覗かせてすぐに落胆したその表情を見て、松山は水を止めた。
「朝練、してたの? じゃ、日向くんも…」
「さあ、あいつはグラウンドにはいなかったぜ。どっかそのへんを走ってんじゃないの
か?」
非常階段の一番下の段に腰を下ろして、松山はタオルで頭をごしごしとこすった。
翼が隣に来て座ると、松山はその顔を覗き込む。
「元気ないな。何かあったのか、日向と」
「うん…」
少し迷っていたようだが、翼は昨日の出来事と、さっき三杉から聞いた話を説明した。
「そうか」
松山は小さく笑った。
「三杉も身もフタもないこと言うぜ、まったく。確かにあいつは本能だけの野獣だけどよ」
「やっぱり、どうでもいいからだったのかな、日向くんて」
「そいつは日向本人に聞いてもわからないんじゃないか?」
真剣に問う翼の顔を見ながら、松山はにやりとした。
「だから俺に聞いたのは正解だったぞ、翼」
「え?」
その翼の顔に手を添えて、松山は自分に引き寄せた。最初は唇に、それから順に首筋へと
ゆっくりたどって行く。
「ま、松山くん…!」
ぱっと離れて目を丸くした翼に、松山は余裕の笑みを見せる。
「日向のことはともかく、おまえのことならわかるぜ、翼。おまえがどう思ってるか」
「お、俺?」
いきなりの松山の行動に翼は動揺しまくりだった。
「おまえ、今キスされて驚いただろ? 昨日はどうだったんだ? 嫌だったか?」
「えっ…」
翼は目を見開いた。
「えと……嫌じゃなかった、かな」
「そうか。ならいいんじゃないのか? 日向のことは」
手を伸ばして翼の頭をなでてやる松山だった。
「おまえが心配することは何もないってことだ。あいつは野獣なのはほんとだし、自分がし
たいことをしてるだけなんだ。あいつに関してはおまえも同じにしてりゃいい」
「日向くんは…したかったから、したんだ?」
「そうそう」
変に軽く請け負ってみせて、松山は翼の肩越しに呼びかける。
「おまえもそう思うだろ、若島津」
「まあな」
そこに立っていたのはトレーニングウェア姿の若島津だった。いつもの無表情な顔で、し
かし微妙に不機嫌さをにじませて翼の首筋に視線を止める。
「ほら、若島津が言うんだ。間違いないだろ」
「うん、ありがと。松山くん、若島津くん!」
日向が向こうにいると聞いて、翼はそのまま駆けて行った。満足そうにそれを見送る松山
を、若島津はじろりとにらみつける。
「まったく、野獣よりたちがわるいな、おまえは。なんだ、最後のあれは。アドバイス料に
しては余分じゃないのか?」
「まあ、役得ってことで。最後のはサービス。日向には貸しにしておいてやる」
松山はまったく悪びれない。立ち上がると若島津に向かって親指を立てて見せた。
「日向も、キス一つくらいで逃げてくようじゃまだ甘いな。あのキスマークを見て行動を起
こすくらいしないと、先は厳しいってこと」
若島津は黙って手と顔を洗い始めた。松山はそれを愉快そうに待っている。
「あまり箱入りにしておくのも良し悪しだからな。三杉や岬みたいにいくら大事にしてたっ
て無菌状態にしておけないだろ、そういつまでも。それに、野獣なのは翼だって日向と同類
なんだ。下手に箱に入れたままにしておくと二人で自爆しかねないぞ」
「やめてくれ。想像しそうだ」
げんなりと、若島津がため息をついた。松山は声を上げて笑う。
「なんだったら、おまえも翼にキスくらいしといてやればよかったのに。日向と間接キスが
できたかもしれないんだから」
「……」
若島津はたっぷりと間をおいた。
「その前に、おまえと間接キスになるのが嫌だ」
「俺はかまわないぜ」
松山はからからと笑ってからもう一度翼が走って行った方向を眺めた。
「つまり、いちばん純情なのは野獣のほうだってことさ」
おまえと違ってな。
と目でしっかり語っている若島津と並んで、食えない男はゆうゆうとクラブハウスに戻っ
て行ったのだった。
【 END 】
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〔あとがき〕
こんな松山はイヤだ、という課題に挑戦した
わけではないんですけど〜。
日向×翼はいいとして、それ以外の人たちの
人間関係がイマイチ謎ですね。
とりあえず、テーマは「ダークサイド松山」
ということでよろしく。(汗)
…………………………
…
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