「新田…!」
佐野の声は叫びにはならなかった。
紅白戦のさなか、自分からふらふらとラインに近づいた新田がその場に崩れた瞬間
に、頭が真っ白になったのだ。
ベンチにいた数人が駆け寄って新田を囲み、声をかけて状態を調べている。佐野は思
わず自分も駆け寄って行きそうになった。
が、そのタイミングでホイッスルが鳴る。
審判を勤めている監督が鳴らした以上、試合は続行だ。佐野は唇を噛んだ。
「だから言ったのに」
合宿初日から新田は様子が変だった。久しぶりの再会なのに新田のテンションは異様
に低く、それからも顔を合わせるたびにどんどん元気がなくなっているように見える。
練習後の自由時間もみんなの輪からは一人外れて、すぐに部屋にこもってしまうのだ。
「メシくらい、ちゃんと食えよ」
佐野は食事のたびにそう声をかけたのだが、新田は浮かない顔で生返事するばかりだ
った。
「俺が連れて行きますから」
しかたなく走り出そうとした佐野の耳にそんな声が届いた。
はっと振り返ると、新田が肩を借りて支えられながらゆっくり立ち上がったところだ
った。
「あ…」
新田を医務室に連れて行くと名乗り出たのはベンチにいた松山だった。視線に気づい
たのかこちらにふと顔を上げる。佐野は一瞬頭に血がのぼった気がした。
その松山が、新田を支えて歩き出す瞬間に、にっと笑って見せたのだ。
「何だよ、あれ!」
佐野はくるっと反転してダッシュした。
残り10分ほどが、果てしなく続くかと思うほど長かった。
紅白戦が終わった瞬間、佐野の足はクラブハウスに向いていた。今日の練習の終了を
告げる監督の声がかかるのと同時に駆け出す。
「医務室――医務室だよな」
口の中でつぶやいてクラブハウスの階段を駆け上がる。廊下の角を曲がろうとしたそ
こで反対側から来た人物と衝突しかけ、相手がとっさに両手でそれを受け止めた。
「わ、かしまづ、さん」
大きく息を継いで、相手を見上げる。若島津は驚いたように佐野を見た。
「医務室、ですか――新田は!」
「そうみたいだな。俺は見てないが」
相手の言葉を聞くが早いか身をよじってまた駆け出そうとする佐野を、若島津はなぜ
かがっしりと引き戻した。当然佐野は勢い余って倒れそうになる。
「何すんですか!」
「行かないほうがいいと思うぞ」
「どうしてですか!」
佐野は憤慨したようにぐいっと顔を上げる。対する若島津は珍しく何かためらってい
る口調だった。
「いや、具合はたいしたことないそうだし、眠るとこらしいから」
「それでもいいです。放してください!」
結局若島津はそれ以上は止めることはせずに佐野を見送った。ふうとため息をついて
階段を降りていく。
佐野は目指す医務室に来るとドアに手をかけた。眠っているかもと一応気をつけてそ
っと開けようとしたのだが、その時中から声がしてはっと固まる。
ぼそぼそと低い会話をする声。その片方は新田の声だった。小さく、途切れ途切れ
で、確かに今にも眠り込む寸前という感じだった。
では、話している相手は一体…? 佐野はそーっとドアを押し開けた。医務室のベッ
ドが3つほど並んでいる一番奥の一つに新田が横たわっている。その枕元の人影がベッ
ドに片手をついて屈みこんでいた姿勢からゆっくりと身を起こした。
「…松山さん?」
顔を上げた松山はドアのところに立ちすくむ佐野に気づいて、目が合ったところでニ
ヤリとまた笑顔を見せた。
「今っ、新田と…!?」
佐野はくらりとするのを感じた。キスを、してなかったか?
だが松山は平気な顔で佐野に声をかける。
「よう、佐野、来たのか」
「え…えっ?」
のんきなその声に、ベッドの上で新田ががばっと頭をこちらに向けた。
「…佐野」
新田の声が消えそうになっている。佐野は医務室の中に一歩だけ足を踏み入れた。新
田のそのおろおろした様子からはあえて視線を外して松山だけをじっと睨みつける。
だが松山は悪びれることもなく話を続けた。
「新田は大したことないから心配はいらないぞ。こいつ、寝不足と栄養不足でぶっ倒れ
ただけだから。さっき栄養剤を打ってもらったから、あとはしばらく眠って体力回復す
ればいいって話だ」
「さっき、新田に何してたんですか」
佐野はそんな話には興味を示さなかった。今にもベッドに向かって突進しそうな顔
で、それでもギリギリ抑えている。
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