やつらの不在
〜ワルプルギスの長い夜・番外編〜
「で、今日は何個?」
「3個。通算で8個だよ」
通算しなければならないのが悲しい。岬はちょっと肩をすくめるようにして背後から並んだ
三杉を見る。
「問題は自分のイライラをちっとも自覚してないってことなんだ、小次郎ってば。このままじ
ゃ合宿が終わるまでにボールが全滅だよ」
「あのパワーを平和利用してくれるといいんだがね」
岬から手渡されたライティングボードの記録用紙に目を通しながら、三杉も軽くため息をつ
いた。
「君が悪いんじゃない。朝の若島津のモノマネ、あれって最高に凶悪だよ」
「モノマネだなんて言わないでくれたまえ。ディフェンスの連係の確認が必要だったから僕が
ゴールに立ってシミュレーションをしたまでだよ。若島津のデータを参考にね」
「そのデータが正確すぎるんだよ。君が出かけた後、小次郎立て続けに2個パンクさせたんだ
から」
「ふーん、じゃ、明日は森崎になろうか」
それも凶悪には違いない。自分のチームのGKが日向小次郎にどういう目で見られている
か、岬だってしっかり把握しているのだ。
「それよりさ、何かわかった?」
「え、何が?」
さらっと返す三杉を、岬は軽くにらみつけた。
「しらばっくれないの。サッカー協会との打ち合わせくらいで君がこんなに手間取るわけない
だろ。…で、やっぱり若林くんの線?」
三杉は岬の顔をじっと見返した。一時帰国をしていた若林が南葛の自宅からあたふたと発っ
たと同時に、この合宿に参加予定だった2人のキーパーが相次いで消えた、となればその関連
を疑うのは当然だろう。
「――若林の乗った便はすぐに特定できたよ。そして今日手に入れたその便の乗客名簿には若
島津と森崎の名前があった」
「そう…」
岬は視線を落とした。
「シュナイダーの、だよね」
「しかないだろうね」
二人して沈んだ顔になる。もどかしい気持ちは同じだ。思わぬスキャンダルに発展したシュ
ナイダーの一件は遠く地球の反対側にいる彼らにとっても大きな気がかりには違いなかった。
だが、キーパーにはキーパーにしかわからないこだわりがおそらく存在するのだろう。かのパ
ワーストライカーその人に。
「小次郎に、話す?」
「それで彼のイライラが解消するならね」
揃って苦笑を浮かべてしまう。単純極まりない日向は、実は単純な動機ではまず動かない。
そう、あれでも独自の哲学を持っているのだ。
「まあ、これくらいの嵐で驚くボクたちじゃないし、いいんじゃない?」
岬は食堂のドアを開けた。中から賑やかな声が弾ける。いつも通りの光景だ。
「よぉ、三杉、遅かったな! ほれ、ここ来い」
手を振り回しているのは北海道からただ一人参加している松山だった。
「ひどいなあ、ボクは呼んでくれないの、松山」
夕食のトレイを手に、岬がつんとふくれて見せた。
「おまえはあっち」
松山はにやにやと部屋の隅を指さした。
「早く東邦組を助けてやるんだな。沢田も反町もメシが喉通らないみたいだぜ」
なるほど、食堂のその一角だけ、どよーんと重い空気が漂っている。いっそブリザードなら
松山も茶々を入れに行けるのだが。
「なんでボクが行かなきゃいけないの。でなくても今日はずいぶん苦労させられたんだから
ね!」
「日向も君が相手だと喧嘩にならないからさ」
「嘘ばっかし」
松山と隣り合わせに腰掛けた三杉がにこにこと見上げている。だが岬はあっさりと切り返し
た。
「君だって小次郎の牙を抜く名人じゃなかったっけ、三杉くん」
こういう会話を頭上に聞きながら平然と食事にいそしめる松山の神経をうらやむ余裕もあら
ばこそ、3人の周辺では南葛の面々が屍と化していた。
「おい、勝手にチャンネル変えるなよ! 俺たち見てたんだぜ!」
「えやないか、週刊タイガース通信の時間なんや、スキーなんかよりおもろいで」
「何がタイガースだよ! 早く戻せって!」
「よかよか、セサミストリートが一番たい。ほらリモコン」
部屋の反対側ではテレビを巡って大騒ぎが始まっていた。昼間はキャプテンのオーバーペー
スに付き合わされてへばっていた連中でも、食事時となると一転して元気が出てくるものらし
い。
「やめんかい、次藤! こっちや、10チャンや……あれ?」
「ばーか、大阪のローカル番組なんかやってるわけないだろ。スキーにしろよ、早く!」
立花兄弟の二人がかりの反撃も、ガタイの大きい次藤が参戦するとあまり優勢とは言えなく
なる。早田の声の大きさも負けてはいなかったが。
「ああ、そやった。10やのーて4チャンや。日テレやもんな。…次藤どけ! リモコン効か
んやないか」
「ばってん、クッキーモンスターが出るとこばい」
「おめは少し黙ってれ、話がもっちゃぐれるがら!」
「……」
そのすぐ横で、もそもそと食べ続けているのは2年生コンビの新田と佐野である。
「――止めれば?」
「俺、つぶされたくない」
フィールドではその小さな体をフルに生かして他の大きな選手たちの間を自在に駆け巡るす
ばしっこさを見せる佐野も、次藤のその意外な趣味と熱意を十二分に知っているだけに、ここ
は我が身の安全を優先させたいらしい。
「…あれぇ?」
暗雲の下、無言の行よろしく押し黙って箸を動かしていた反町が、その騒ぎにふと顔を上げ
た。次々に変わるテレビ画面の一瞬の光景に目が止まる。
「何か変じゃないの? あれって確かスイスのアルペン競技の大会って言ってたよな」
「ええ、そう言えば…」
タケシも首をひねった。画面に映し出されているのはどうもレースの映像ではない。たった
一人のスキーヤーをずっと追跡しているのだ。
「何て言ってるんだい?」
三杉の一声で、チャンネル争いをしていた集団はぴたりと動きを止めた。一瞬のうちに室内
は水を打ったように静まり、食事中の者たちも手を止めてテレビに注目する。日向さえもその
不機嫌そうな顔をゆっくりと上げた。
「…んーと、ドイツ語、だね」
問われた相手、岬はそうつぶやいて三杉に目を戻した。スイスでもこの地域はフランス語圏
ではない、と言いたいようだ。
「日常会話程度しかわからないんだが…」
三杉はちょっと眉を寄せて、そのヘリからの実況に耳を澄ませる。
「…レース前のコースに突然現われたらしいな。だが何者かはわからないと言っている」
「す、すげえ」
「普通やるか、あそこであんな強引な切り返し…」
立花兄弟は呆然と画面に見入っていた。実は二人とも、回転競技で冬のインターハイの県代
表になりかけた実績があるのだ。(辞退したが)
「メチャクチャだなあ、こいつ。でもこのスピードでここまでできるなんて、信じられねー」
こちらは時々地元のクロスカントリーの大会に顔を出している松山だった。つくづく感心し
たように腕を組む。
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