C I R C U S











「じゃあ、若い選手たちは担保ってわけですか?」
 記者席から声が上がった。会長は一瞬顔色を変え、壁際に立つ強化委員長に視線を投げる。 が、彼片桐はサングラスの奥にその表情を隠したまま身動きさえしなかった。
 W杯アジア最終予選を直前に控えた夏、代表選手発表の席である。かねてより批判の多かっ た若手排除のメンバー選考が今回も何ら変化を見せなかったことについて、記者たちからは容 赦のない質問が飛んでいた。が、ブラジル人監督ナシメントは
「I believe it the best.」
といういつもの言葉だけで多くは語らず、矢面に立つのはサッカー協会会長のT氏ばかりとな った。
 しかしそれは、当然の結果とも言えた。海外のチームに所属する大空翼を始めとするユース の選手たちに関して、呼び戻す必要なし、という姿勢を頑なに崩さないのは経済界に強い基盤 を張り巡らせているこの会長であるからだ。
「日本のサッカーの将来を担う若い彼らは常に尊重している。それを理解していただきたい」
 会見の最後を締めくくる言葉として会長がこう発言した時、先の質問が飛んだのである。ス ポーツ誌の辛口批評で知られる若手フリージャーナリスト、田島であった。
「若い選手たちの将来のため、そして日本の将来のために海外でプレーさせる、とおっしゃる のは結構ですが、それは現時点でベストの選考をしない言い訳になっているんじゃないです か」
「……燃えてるよねえ、田島さん」
「いやあ、あれは半分はパフォーマンスだろう。片桐さんも一役かっているはずさ」
「ふうん」
 サッカー協会のビルの最上階の一室。会見の様子をモニターで見ている二人がいた。その代 表に選ばれていない「海外組」の一人と、もう一人はユース世代から代表入りしている数少な い選手である。
「最終予選が始まってからでも、このまま終わらせる気はないんだろうね。ま、時限装置のつ もりかな」
「やるねえ、片桐さんも案外」
 普段はあまりその存在価値を認めていない岬であるが、今回に限っては、サッカー協会内で 肩書きを持つ片桐がある意味重要な役割なことは納得している。
「じゃ、そろそろ僕は下へ行くよ。インタビューに顔を出しておかないと」
 TVモニターを消して、三杉は先に立ち上がった。
「片桐さんだけに任せておくと、彼、フライングしかねないからね」
「翼くんがからんでるとねえ」
 岬もにっこり応えながら席を立つ。
「もっともそれはボクも君も大差ないけどね」
 岬の言葉に、ドアを開きかけていた三杉が振り返る。
 意味ありげにじっと見つめ返し、そして目配せ。
「じゃあ、彼に負けていられないな、僕たちも」
 ドアは軽い音をたてて閉まる。岬はデスクの上に並べられた資料のコピーをファイルに入 れ、それを窓に向けてかざした。材料は揃った。あとは実行のみ。
 そう自分に言い聞かせておいて、岬はさっきのドアに目を移す。
「…なにそれ」
 今ごろになってじわじわと効いてくる疑問のカウンターパンチであった。








「ニュース見た限りでは、あえて問題提起は避けてるね。このままでどうせ大丈夫だろう、っ て感じのが多いかな」
 ベッドに仰向けになったまま、岬は首だけ回して経過報告する。部屋に入って来た三杉はス ーツの上着を脱いで椅子に掛け、それからゆっくりとベッドの側に来た。
「それは?」
「夕刊紙を一通り買って来てもらったんだ、ホテルの人に。すごいもんだよね、夕刊紙のトッ プにサッカーの見出しが出る時代になったんだねえ」
「どこかの野球チームが優勝争いから脱落しちゃったからだよ」
 などと冷たく応じながら三杉は夕刊タブロイド紙の束を受け取った。昼過ぎの代表発表会見 がもう記事になっているのはいいのだが、相変わらず他人の不幸が最高のニュース…的感覚の 語句が並んで、あまり愉快なものではない。
 政治も芸能もスポーツも皆同じ切り口…つまりは「自分たちは無関係。だから何の責任もな い」という読者のための記事なのである。高みの見物ならぬ、低みの見物。責任がないとここ まで突き放すのか、という見本のようなものだ。
「『監督は協会の捨て駒か』ってあたりはいい線突いてるよね。方向性だけはね」
 元ブラジル代表のスター的存在だったナシメント氏は代表監督はこれが初めてになるが、コ ーチ、またはアドバイザーとしての経験は南米、ヨーロッパ各国で積んでいる人物だ。Jリー グ監督に声がかかったこともあったが、その噂の頭越しに一気に代表監督のポストに就くこと となった。このあたり、T会長の独断とも言える経緯が囁かれている。
 しかしそれはさておき、ベテランから若手まで無難な選手選考で現代表チームは実績を作っ てきた。この春に終えた一次予選も、もちろん相手国との力の差は大きかったがそれはそれと しても、快勝に快勝を重ねて余裕で最終予選に駒を進めたわけで、確かにあえて冒険的な選手 起用をするほどの危機感は薄いとも言える。
 しかし。本当にそれでいいのだろうか。
 根拠がないと言われても、そんな形のない不安が一部でじわじわと大きくなり始めているの は事実だった。
 W杯はそんなものじゃない。
 あえて言葉にするなら、この一言に尽きる。
 遠かった場所。遥か彼方にある天上人の住む別世界を何十年もの間、ただ指をくわえて見て いるだけだったこと。
 そして、4年前酷暑のアラビア半島で、たった数秒の差で涙した経験。
 そういったものが積み重なっていく中で、世界への壁の高さ、厚さを実感してきたはずだっ たのに。
「最終予選も楽勝、って気持ちがどうしてもあるようだね。テレビメディアのほうに特に」
「報道とガンバレの連呼とをはきちがえてるんだよ」
 岬はきっぱりと言い放った。
「組分けもラッキーだったし、ってね。持ち点で戦うカードゲームじゃないんだから」
「本当の敵はホームにあり、だね」
 三杉は新聞を置いてにっこりした。岬は元気だ。怒りが岬をますます元気にする。
「ニュースチェック、ご苦労さま。初日のスタートはまずまずってところだね」
「先は長いよ。2ヶ月だもんね。最短でもね」
 岬は目を閉じた。どんな2ヶ月になるのかを頭の中に思い描いたのだろうか。
「手堅くて、常識的で、リスクの少ない…。そんなやり方じゃ乗り越えられないんだよ。W杯 ってのはね」
「そう。僕らの出番はきっとある。残念だけど、そうなんだ」
「残念? そうなのかな」
 岬はぱちっと目を上げる。
「綱渡りって、けっこう好きだよ、ボクは」
「だろうね」
 三杉はくすくすと笑い始めた。怪訝そうに起き上がって、岬はそんな三杉を見つめる。だが 三杉が笑いやまないので、とうとうむっとした顔でその肩を引っぱり寄せた。
「それって、ボクたちのこと言ってんの?」
「だとしたら?」
 笑うのをようやくやめて、三杉のほうから顔を近づける。唇が重なるその僅かな瞬間に、熱 が灯った。
「ばか」
 いつもの愛の言葉。そして今度は岬が手を伸ばす。見つめる視線を断ち切るように頭を抱き 寄せ、その耳に囁く。
「ロープからいつ落っこちるか楽しみにしてるのは、ボクのほうなんだからね」
 三杉の髪先が、それに答えるように額に触れた。
「…それとも、もう落っこちちゃったのかな、ボクは」
 いったん身体を離して顔を合わせる。三杉の目に、わずかな戸惑いがあった。
「岬くん…」
「そんなことない、って言っても駄目だよ。全部君のせいにする気はないから」
 岬は身体を入れ替えて、今度は自分が見下ろす形になる。
「自業自得なのはわかってるんだ。要するに、とっくにどうかしちゃってるんだから、ボク は」
 今度はゆっくりと、しかしさっきより力を込めて抱きしめる。三杉の体の下で、ベッドが微 かに軋んだ。
「君のインタビューもしっかり見たよ。何、あれ。翼くんのこと言うつもりかと思ったら、ボ クの名前を出すなんて」
「ちょっとインパクトを狙ってみたんだ。どうだった?」
 キスの合間に、それでもまだ余裕の笑顔で答える。
 その返事自体に、あるいはその余裕に、岬は不機嫌になった。
「ボクが帰国してることマスコミには知られないようにしたほうがいいって言ったの、君だ よ」
「あ、待って…」
 その不機嫌を見透かしたかのように、三杉の上着から携帯の着信音が響いた。岬の腕から逃 れ、椅子に手を伸ばす。もちろん岬は一気に不機嫌を増幅させてしまった。
「帰国してるなんて言ってないよ? あれはね、日向のためなんだ」
 電話に何か二言三言簡単に返事をしてから、三杉は意外なことを言い出した。
 日向は三杉と同時期に代表入りをしたが、Aマッチを1回経験しただけでその後は控えに甘 んじていた。監督の説明は明快で、要するに他の選手と合わせにくい、フォーメーションが崩 れる、ということだったが、彼らから言わせればつまりは日向に合わせられるパサーがいない ということになる。
「日向の能力が低いから、という流れで定着してもらっては後々困るんだ。だからと言って、 そこに翼くんが入れば確かに問題は解決するだろうけど、そうすると今度は翼くんの個人的能 力の高さのせいにされてしまう」
「ボクなら翼くんみたいにならないって言うわけ」
「いや、そうじゃないよ」
 三杉はベッドに戻ってきて腰を下ろした。
「日向にしても翼くんにしても、個々の能力だけで機能するわけじゃない、ってことを強調し ておく必要があるんだよ。僕らは総体で機能する。今のメンバーの部分的な穴埋めをするパー ツではなく、相対的に評価してほしいんだ」
「総入れ替え狙ってんの? 大胆な…」
 岬は睨むように三杉を振り返った。さっき手に残った三杉のネクタイを胸にドン、と突き付 ける。三杉は自分の胸元に目を落として、苦笑しながらシャツのボタンを掛け直す。
「今はまだそんな時期じゃない。同じ世代だけで独占しようなんてことも実際はまた別の問題 を生むだけだろうしね。僕は、僕らが代表になる時には部分部分をじわじわと、じゃなく、一 気に心臓部を手に入れたいだけなんだよ」
「…あのね、十分に革命だよ、それって。代表のクーデターってのはありがちなことだけど、 一気に政権獲得だなんて」
「うん、だから君なんだ」
 ネクタイを締め直して、三杉はにっこりした。
「僕は今の代表に加わってみて、プレイの質を肌で感じてる。レベルのことじゃなく、その性 質をね。その上で言ったんだ、君に加わってほしいってことは」
 監督会見の後、各マスコミは選ばれた選手たちへのインタビューに走り、三杉も「たまたま サッカー協会本部に来ていた」ために速攻で取材を受けた。(確信犯的ではあるが…)
 夜のニュースで流れたその発言は、優等生的受け答えに紛れてあまりセンセーショナルには 受け取られなかったものの、今回の選考、また協会の方針にちくりと悲観を覗かせて、ある意 味問題発言なのは確実だった。
 ディフェンスの補佐役ではなくオールラウンドなスペシャリストを目指したい。三杉は言外 にそう宣言したことになる。岬とプレイしたい、と発言したそのことで。
 「いずれは」というクッションを置いたものの、三杉のその宣言は、聞く人が聞けばこの後 に起ころうとしていることを予測できるものだったかもしれない。
「逃げるつもり?」
 身支度を終えた三杉に、不満そうに視線を向ける。
「今夜は逃げるけど、埋め合わせはするよ。君もホテルにこもりっきりじゃストレス溜める一 方だし」
「ふうん…」
 三杉が着ようとした上着をさっと奪い、岬は内ポケットからさっきの携帯電話を取り上げ た。
「今の電話、もしかして翼くんでしょ」
「おやおや」
 三杉はわざとらしく肩をすくめる。
「怖いくらいの勘だね。でも違うよ。翼くんはまだ太平洋の上を飛んでる。明日の早朝、成田 を避けて関空に着くって。その確認の返事さ」
「明日!」
 岬はベッドから飛び降りた。
「抜け駆けするつもりだったんだ、悪党!」
「君にそう言われるとなんだか嬉しいな」
 くすくすと笑いをこらえながら三杉はちらりと岬を見やった。
「ちゃんとここに案内するつもりだったんだよ、本当に。ほら、片桐さんに持ってかれる前 に」
「なら、ボクが行く」
「岬くん…」
 指名手配の状況は岬も同じである。しかも今日の三杉の発言でさらに注目を集める存在とな ったはずだ。
「どうせ、車で飛ばす気だったんだろ? 平塚まで帰るのも大阪まで行くのもたいして変わら ないとか言って。車なら空港でだけ気をつければいいんだから、ボクでも大丈夫!」
「…君、運転できたっけ」
「できないよ」
 威張ることでもないが。
「君が運転すればいいだろ」
「なんだ」
 三杉は目を丸くしてみせた。
「一緒にドライブしたいなら、そう素直に言えばいいのに。湘南はいい所だよ。ドライブには 最高なんだ」
「三杉くん、今さらごまかそうったってそうはいかないよ」
 クローゼットの扉を開けて、岬は服を探し始めた。季節柄厚着で変装というのは無理なだけ に、フード付きのパーカーあたりで妥協することにしたようだ。
「さ、いいよ。行こう、三杉くん」
「現金だなあ」
 とは言え、まんざらでもなさそうににこにこする三杉である。時計に目を落とし、上着を腕 に掛ける。
「7時間ちょっとあるけれど、たぶんギリギリだから途中で悪いことは無し、だよ」
「なにそれ!」
 岬は手を伸ばしてワイシャツの襟首をつまんだ。猫じゃないって。
「まあいいか。綱渡りが好きなのは僕も同じみたいだな」
 決戦は近い。
 嵐の予感がする。
 日本代表の行方はまだ誰にもわからない。が、W杯への高い暑い壁がその前方に立ち塞がっ ていることだけは間違いない。
 それに挑むために彼らは動き始める。
 それぞれに、それぞれの役割を持って。








「翼くん、きっと驚くよ。ボクらが一緒に出迎えたら。でもよく考えると目立つだろうな」
「大丈夫って言っただろう、さっき」
「ボクだけならね。君と、それに翼くんまでいたらバレないほうがおかしいよ」
「やれやれ」
 早朝でも人目はある。いずれは噂が広まることだろう。だがそれも駒の一つには違いない。
「でも、その後どうするわけ? 翼くんはボクみたいにホテルでじっと隠れてられるようなヒ トじゃないよ」
「それは心配ないよ。ウチのチームに話をつけてあるんだ。事情は察してくれてるし、大空翼 と練習ができるなら最大限の協力をするって」
「新幹線から丸見えのくせに、よく言うよ。いつまで隠しきれるか、見ものだな」
「ああ、本当にね」
 三杉も楽しそうにうなづいた。
「まるでサーカスだよね。ボクたちって、いつも綱渡りばかりでさ」
「見世物になるつもりはないんだけど」
 しかしそれも運命なら仕方がない。さらにその運命に逆らうことを楽しむパートナーがいる なら余計に。
「君といると退屈しないな、岬くん」
「それって誉めてるの」
「たぶんね」
 東名高速を西へ。
 その先には彼らの知らない時間がある。
 朝は、たぶんもうすぐだ。



《END》






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ひとこと
なんとこれはフランスW杯の時のアジア 最終予選のことを後になって書いたもの でした。皆さんもご存知の通り、日本は アウェー先で崖っぷちとなって監督交代 劇までやるはめになったのでしたが。
ほんとに、この連中が現実の代表にいて くれたら、とどんなに思ったことか。今 回の最終予選のために改めて引っ張り出 してみました。
ところでサッカー協会の会長の名前を初 出時には実在の某氏にしていたのです が、その後(と言うか今)法に裁かれる 身となってしまわれたのであえて伏せま した。代表監督も名前こそペレですが、 現実のあの方を想定して書きました。ま さかほんとになるとはね(汗)。