「渚」

       〜ぼやけた六等星だけど 思い込みの恋に落ちた〜




 水平線を見つめる三杉の視線がふっと泳ぐ。
 空を横切る海鳥の影を追い、上空からまた海へと。
 暮れはじめた空はだんだん色が薄くなる。対照的に三杉の頬にかかる影が少し濃くなるのを 岬は黙って見ていた。
 ふと、三杉の口元が動く。
 目は海から離れないまま浮かべた微笑に、岬の胸がふっと騒いだ。
 無意識に足が動き、その下の小石がきしむような小さな音を立てる。その音に、三杉ははっ と我に返ったようだった。
「風が少し冷たくなってきたよ」
「そうかな」
 三杉はまぶしそうに岬の顔を見た。三杉からは、夕陽の光が岬に反射して見えるのだ。
「…誰のこと、思い出してたの?」
 岬の言葉に、三杉は少し目を見張った。そしてふわりと微笑む。
 さっきの微笑とはどこか違う、おそらくこちらがいつもの三杉のもの。
「何を、じゃなくて、誰を、なんだね」
 からかうような三杉の返事に、岬はただ肩をすくめた。
「だって、そんな顔、してた」
「ふうん」
 隣に並んだ岬を待って、三杉はまた海に目を戻した。
「君のことだよ。君のこと、思い出してた」
「思い出す、って。今、ここにいるのに…?」
 少し声を尖らせたのは、ありきたりな言い逃れだと感じたからかもしれない。
 だが三杉はそれさえも見越して首を振った。
「本当だよ。君を思い出してたんだ。昨日の君。先月の君。1年前の君――」
「三杉くん…?」
 再び振り返って、三杉は手を伸ばすと岬の髪にそっと指を触れた。触れて、またそっと離れ る。岬はその手を自分からつかんだ。何かが、痛い。わからないどこかが痛いのだ。
「僕の中の君を、僕はいつでも思い出せる。初めて会った時の、7年前の君も…」
「……」
 岬は目を細めた。痛いのは自分ではない。痛みを感じているのは…。
「あの時の君の視線まで、全部ね」
「そんなの…!」
 つかんだままの三杉の手を乱暴に引く。
「思い出さなくていいよ!」
 僕は、ここにいるんだから。そう言おうとして岬は言えなかった。言えなかった分、抱擁は やっぱり強引になってしまう。
「岬くんたら」
 抱きしめられたまま、三杉は小さく笑った。
「嫉妬?」
「そうだよ、僕は思い出なんかに君を渡したくないんだ!」
「君のだよ?」
 岬はぎゅっとまた腕に力を入れた。
 渡さない、絶対に。あいつなんかに!
「明日の僕にも、来年の僕にも渡さないんだ!」
「すごいな」
 少し体を動かして自由を取り戻すと、三杉はくすぐったそうに岬の顔を見つめた。
「君がそんなに嫉妬深いなんて、知らなかった…」
 すぐ目の前にある岬の鼻の頭に、三杉は軽くキスをした。
 なぜかうろたえて岬は体を離す。現実に、引き戻されたように。
 三杉がくすくすと笑いながら自分を見ているのをちょっと睨み返して、岬は海に背を向け た。
 ほんのわずかの間に、空はすっかり陽が落ちている。
「君が、あんなこと言うから…」
 ふてくされた口調でちらっと振り返ると三杉も歩き出した。海を見下ろす高台から、帰りの 途へと。
「うん。嬉しかったよ」
「何が」
 三杉の小さなため息が自分と並んだ時に耳に届いて、岬は眉をひそめた。
「今の君が、いてくれて」
「何、それ」
 気づかないふりを、岬はした。ギリギリだったけれど。
 僕は、君を渡さない。君がいつも囚われている、あの時間なんかに、決して渡さない。
 そう思った時に、握った手がわずかに強くなったらしい。
「ねえ、岬くん」
 三杉は並んで歩きながら、もう一度空を見上げた。
「キスはあれでよかったの?」
 あれだけで。
 岬は一瞬沈黙して、そしてふいと目を逸らす。
「恋人のキスは、あとでね」
 波の音が二人の背に響き、ゆっくりと、ほんとうにゆっくりと夜が近づき始めていた。



[ END ]





    水になってずっと流れるよ
       行き着いたその場所が 最後だとしても
      『渚』 by スピッツ






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MEMO

スピッツの曲は、さわやか系ラブソングの代表 のようによく言われますが、歌詞を読んでみると けっこうコワイ、痛いことを言っているものが多い です。
そのへんがみーみーに通じるかと。
なぜ今頃「渚」かはおいといて。

リバースバージョン 「カモメ」