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テレビ局の受付嬢というのは、職業柄、有名人を目の前にしてもいちいち騒ぎ立てるなど
ということはないものである。当然ながら、来る日も来る日もそういう人たちが出たり入っ
たりしているのを眺めているわけで、つまりはまあ、慣れっこになっているのである。
しかし、そんな現場慣れしたプロフェッショナルであっても、例外というものはある。そ
の日の午後に姿を見せた人物がそれだった。
「あっ、少々お待ちください」
内線で来客を取り次ぐいつもの手順に妙にもたついて、なぜか顔まで赤くなっている。
「――はい、今すぐご案内してよろしいですね」
アポイントメントが取ってあった広報室長も電話の向こうで声を上ずらせていたが、とも
あれ確認を取ったところで二人の受付嬢は我先に立ち上がろうとした。
「お待たせいたしました。私が上までご案内を――」
「あ、私が――」
そんな二人のお嬢さんを、男は静かに手で制した。
「ああ、大丈夫。場所はわかります」
「そ、そうですか? でも…」
などと口ごもっている間に、訪問者は目礼してカウンターを離れる。すらりと背筋の伸び
た長身と無造作に伸ばしたままという感じの黒髪。何よりも凛としたそのたたずまいに落ち
着いた威厳が潜んでいて、それはまさに「只者ではない」オーラを発していた。
廊下の向こうに消えて行ったその後姿を見送りながら、二人の受付嬢はしばらく呆然とし
ていたが、いきなりぱっと顔を見合わせた。業務用の澄ました表情はとっくに吹き飛んでし
まっている。
「――見た?」
「すごいわ、本物よ、本物のケン・ワカシマヅ!」
まだ名残惜しそうに、二人はため息をついた。
「はぁ、キレイな人なのねえ。写真でしか見たことなかったけど、本物のほうが絶対キレ
イ!」
「うんうん、プロデューサーだけなんて、もったいないわよねえ。俳優、続けてくれてれば
よかったのに」
「でもなんたってハリウッドであの活躍だもの、すごいわよね。まだあんなに若いのに」
ひそひそやっているつもりでもつい声が跳ね上がる。握手くらい求めてもよかったかしら
…などとそれぞれ密かに考える二人だった。
「――へえ、あいつ、日本に帰って来てたんだ」
「はい?」
すっかり仕事を忘れていたところへ反対側からいきなり声を掛けられて、二人はびくっと
背筋を伸ばした。
「広報室長を訪ねてきたって?」
よく日に焼けた男が、サングラスを外しながら二人に笑いかけていた。人好きのする笑顔
ではあったが、どこかに何か怪しげな隠し味のあるような、そんな雰囲気がある。受付のお
嬢さんたちがわずかに警戒モードに入ったのはそのせいもあったに違いない。
「なら間違いなく次作のキャスティングの手配だな。時間的な無理を聞いてくれる昔のつて
を頼ってきたかな」
「あ、あのー」
馴れ馴れしく話を振られても答えに困る。第一、どこの誰かもわからないというのに。
「あなた、さっきからあそこにいましたよね?」
片方のお嬢さんがエントランスの陰にある応接コーナーに目をやった。言われてみればそ
このソファーに暇そうにずっと転がっていた男だった気がする。
「――取材の方?」
「当たりでーす」
男は片目をつぶって笑い、肩から下げたカメラバッグをぽんぽんと叩いてみせた。
「今日は撮影スタッフの手伝いで来てたんだけど、こっちのほうが断然特ダネだよねえ。じ
ゃ、そろそろ仕事に戻るかなっと」
受付嬢たちが唖然とする中、悪名高いフォトジャーナリスト反町一樹は、鼻歌交じりでフ
ロアの奥へと消えて行ったのだった。
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