THE PHOTOGENIC --- 2












 Fスタジオには異様な空気が流れていた。
 いつもとはまったく種類の違う緊張感――浮き足立ったような、テンションの高い緊張感 が、出演者たちにもスタッフにもじわじわとにじむのが見て取れる。もっとも収録に何らか の支障が出るような類いのものではなく、逆にその緊張のあまり収録がいつもより一時間近 くも早く終わってしまったくらいだった。
 エンディングコールがかかり、リアーライトが落ちる。わずかな間隔をおいて、調整室か らディレクターの声がかかった。
「はい、OKです! お疲れさまでした!」
 トーク&クイズのバラエティ番組「ジャスト・サタデイ」、収録終了である。スタジオに ざわめきが戻る瞬間だ。が、この日ばかりは違っていた。
「――ねえ、あそこよ。ほら」
 セットの席についたままで、着物姿のベテラン女優が隣の席の音楽評論家に囁く。この業 界に長い彼らでさえ、目の色が違っていた。彼らばかりではない。この場の誰もが、息を詰 めてその人物に視線を集中させていたのだ。そしてその全員の緊張感を一身に受けた形で、 局プロデューサーの下羽田がゆっくりと調整室からスタジオへと降りて来た。
 長身の人物が、手を差し出してその下羽田を待ち受け、握手した。が、こちら側からは表 情が隠れて見えない。
「やっぱり下羽田さんの関係で来てたんだ。昔、映画の仕事で知り合ったって話だったが」
「す、すごい――」
 レポーター役だった若手お笑いコンビが、マネージャーにそう耳打ちされて目を丸くして いる。
「初めて見るよ、俺。噂には聞いたことあんだけど」
「日本にはたまにしか帰らないんだろ」
「あの下羽田さんがカチコチじゃん。すげぇ…」
 誰もなかなかスタジオを離れない。タレントたちもスタッフも、セットの中でフリーズ状 態だった。
 ADが一人、ケーブルを片付けようとセットにそーっと入って来たが、そんな周囲の雰囲 気に遠慮してか物音を立てないように動いている。その彼の腕をつかんで声を掛けたのが、 MCの一人、フリーアナウンサーの真島かおりである。
「どうしたの、まさか彼、今からここで何か始めるの?」
「は?」
「彼よ、ほら――若島津さんでしょ」
 真島は目でちらりとスタジオの奥を指して見せた。下羽田プロデューサーと若島津は、何 やらしきりに話し込んでいる様子だ。もっとも話しているのはもっぱら下羽田ばかりのよう だったが。
「ハリウッドの企画を何か持ち込むらしいって、私、聞いてるわよ。その関係?」
「さ、さあ…。僕はよくわかんないですけど。セットを片付けろって言われただけで」
「なあんだ」
 ちょっと肩を落としかけたものの、真島はすぐに気を取り直して問題の人物を振り返っ た。
「――そうだ、ぼーっとしてる場合じゃないわ」
 真島の目がきらりと光ったように見えた。
「メイクさーん、ちょっとお願い!」
「おやおや」
 まわりのタレントたちを押しのけるようにして楽屋に走って行った真島を見送って、もう 一人のMCである局アナの草津克己が一人苦笑した。
「彼女もそりゃ必死になりますよ。映画出演なんかを昔から狙ってましたからね」
 フロアディレクターがカメラを移動させながらにやにやと声を掛けてきた。草津が振り返 る。
「だとしたって、いきなりハリウッドは無理だよ。まさかあの歳でシンデレラガールもない だろ」
「そうは言ってもね。チャンスをつかもうって必死になってる女優は多いですよ」
「日本人で、そのぅ、抜擢されたって例、あるんですか、あの人の映画に」
 この日のゲストとして出ていたアイドルタレントの相馬将人が二人の話におずおずと割り 込んだ。場の緊張感に当てられたのか、事情がわからないまま不安そうな顔になっている。 「あるよ。それも男でね。こっちじゃあまり知られてない話だけど、関西のお笑い系から、 なんかアクション映画に声がかかった若手が一人いたらしい」
「へええ…」
 相馬の顔がこころなしか紅潮した。
「どうしたの、相馬くん」
 その隣にぴょこんと顔を出したのは同じ事務所の後輩にあたる、おおみね咲だった。デビ ューしてまだ1年にならない新人タレントであるが、この春から一応この番組のレギュラー として初々しくも頼りないレポーターを務めている。
「あそこに来てる人だよ映画プロデューサーの若島津さん。ハリウッドでは日本人初だって んですごい話題になってるだろ」
「えー、知らないな。でもスタイルいーい。日本人?」
「だからぁ、日本人だって言ってるだろ。すごいんだから。去年アカデミー賞のドキュメン タリー部門でオスカー取ったんだ」
「ふーん…」
 わかったのかわかっていないのか、首をひねっている。その周囲の緊張感とはまったく別 次元にいるのんきな発言に冷汗をかきつつ、咲のマネージャーは周囲をきょろきょろと窺っ ていた。新人としては、大物先輩たちの機嫌を損ねるようなことは絶対に避けなければなら ない。
「あ、おい、咲ちゃん!」
 が、そんなマネージャーの配慮をまったく考えず、おおみね咲はすたすたと一人セットを 出て行く。相馬があわてて止めようとしたが遅かったようだ。
「あちゃー、サイン頼んでるよ、あいつ…」
「まあ、あの子紹介もされてないのに図々しいんじゃない、ちょっと」
 さっそく周囲から上がるブーイングにマネージャーは青くなったが、言い訳をしようとし た時にはその他の女性陣、いや、男連中も含めて我も我もとその後に続いてしまった。サイ ンならぬ、握手会に移行していたようだが。
「ほら、いいでしょ」
 咲はそんな人垣からいち早く抜け出して来て、意気揚々とサインを見せびらかした。
「おまえはなあ…」
「で、どうだった? 何か話したかい?」
 呆れるマネージャーと興味津々の草津アナを前に、咲はしかしけろりとしたものだった。 「ううん、何も。おとなしい感じの人ね。ほとんどしゃべらないの。それとも日本語わから ないのかな」
「咲ちゃん――」
 草津はがくっと肩を落とした。年齢のギャップもさることながら、この空洞状態の感性に はもはや脱力するしかない。
「あの人はね、すごい人なんだ。ほんとにほんとにすごい人なんだよ…」
 アナウンサーとも思えぬ空虚な表現に思わず陥ってしまう草津であった。が、騒ぎがひと 段落ついたところで彼も自分なりのアピールに乗り出した。
 他の出演者たちが楽屋に引き上げ始めた頃合を見て、まずは下羽田プロデューサーに歩み 寄る。
「ああ、草津さん、どうもご苦労さまでした」
 近づいて来た草津を見て、下羽田から声を掛けた。彼らは同期入社の間柄だが、途中で映 画会社のほうに一時出向していた下羽田は先輩後輩にかかわらず誰にでも丁寧な言葉で話す 男として知られている。草津にもその例外ではなかった。
「なんだか緊張させてしまったみたいで悪かったですね」
「ははは。まあ、レギュラーのいつもの毒舌が少々薄味になってたかな。たまにはいいです よ」
 互いに笑顔になる。情報コーナーでのレギュラー陣の辛口コメントは、この番組の売りの 一つだった。
 草津はちらっとモニター室のほうを見やった。
「それにしてもすごい大物が来たもんだねえ。お目当てでもいたわけ?」
 自分が対象外なのはわかっているので草津はずばりと聞く。しかしそれでも声をひそめて しまうのは習性というやつだろうか。
 下羽田はしかし笑顔のまま首を振った。
「そうじゃないんです。今回は久し振りの休暇だそうで、別荘を借りたいって、それでいら したんですよ」
「別荘?」
「以前、撮影用というので別荘をうちで用意したことがあって、あそこが気に入ったからっ てことらしいです」
 草津はしかしその答えには満足しなかった。腕を組んでぐるぐると首を回す。
「ふーん、でも、本当にそれだけかなあ…」
「それだけですよ」
「あ!」
 背後からいきなり聞こえた声に草津はあわてた。振り向いたすぐそこに立っていたのはま さに話題の主。自分の目線よりかなり上から見下ろされていることに気づいて、一瞬言葉を 失う。
 遠目には華奢にさえ見えたその長身は、こうして目の前にすると意外と骨太な体格だとわ かる。それとは対照的に端正なその面差しと静かな目の表情が際立って、文字通り身動きが 取れなくなってしまった。
「いい所なんですよ」
 そんな草津の緊張を破るように、下羽田ののどかな声が割り込んだ。
「昔の武蔵野の雰囲気がそのまま残っている古い一軒家でしてね、設備は旧式ですがとにか く静かでいい感じなんです」
 まるで我がことのように自慢する下羽田の言葉を、若島津も穏やかに肯定した。
「いつもは帰国中はホテル住まいなんですが、今回は連れがいるので、のんびりできる所が 欲しかったんです」
「お連れ、ですか?」
 草津がその言葉に反応して問い返そうとしたその時だった。スタジオのどこかで大きな地 響きのような音がして、彼らの会話は中断した。そちらを見やると、局スタッフたちが次々 に駆け出して行くところだった。
「何だ?」
「どうかしたんですか!?」
 下羽田が走っていたスタッフの一人を呼び止めた。こわばった顔で振り返り、足は止めず に叫び返す。
「Gスタでセットが崩れたんです。今日はまったく使ってなくて、原因はわからないんです けど!」
「ええっ!?」
 下羽田もその動きを追って走り出す。
 スタジオは騒然となった。
 隣のGスタジオにはドラマの大掛かりなセットが組まれていたという。昔風の路地という 設定で家3軒分もあるものだった。
 下羽田を追おうかどうしようかと草津は迷った。と、ふと隣の男が動き、彼もつられてそ ちらを振り向いた。
「――あのぉ、若島津さん?」
 この只ならぬ空気の中で、この男だけは何の動揺も見せず、慌てることもなく、ある一点 を見つめているのだ。
 その視線の先をたどって草津がそーっと身を乗り出すと、スタジオの正面入り口あたり、 壁に寄りかかるように一人の男が立っていた。こちらの二人と目が合ったところで笑顔にな り、軽く手を振ってよこす。
「やっ、健ちゃん」
 床に置いていたバッグを拾い上げて、男はまっすぐこちらに近づいて来た。
「久し振りだよねえ。まさかこんなとこで会えるなんてさ」
 が、若島津の表情にはどうも感動の再会を喜んでいる様子はなかった。無言のままその場 から動かない。
「さすがに行く先々でセンセーションを巻き起こしてるねえ。すごい歓迎じゃん」
「えーと、お連れの方、ですか? さっきのお話の」
 草津が遠慮しながら口をはさんだ。若島津は呆れたように首を振る。
「まさか。こんなのと一緒に平和な休暇なんか過ごせませんよ。なにしろスクープの死神で すから、こいつは」
「は、はあ…」
 ただただ当惑顔の草津であった。
「何かが起こったからやって来るんじゃなく、やって来た場所が既に何か起こる場所だって 意味でね」
 反町は嬉しそうにくすくすと笑った。
「こいつ、俺のこと買い被ってんですよ。俺なんてただのわびしいフリーカメラマンなの に」
 これほどの大物とこいつ呼ばわりし合っている時点で、ただのわびしいフリーカメラマン とはとても思えない。草津はぽかんとする。
「あのっ、草津さん、ちょっと…」
 そこへ、一人のADがそーっと近づいて来た。表情がこわばっている。
「『ジャスト・サタデイ』の出演者全員、もう一度集まってもらいたいんですけど、いいで すか?」
「え、いいですかって僕は別に引率者じゃないんだよ。まだ皆さん楽屋でしょ。呼んで来れ ばいいんじゃないの? で、なんでまた?」
「そのぉ…、警察の方がそう言ってるんで」
「警察? 警察呼んだの?」
 横から反町が口を出した。期待に目をキラキラさせているのはいかがなものか。ADはま すます困った様子で口ごもった。
「死体が――崩れたセットの中から見つかったんです」
「なんだって!!」
 草津が青ざめた。
「人がいたのか! 下敷きになったんだな?」
「いえ、それがちょっと、そうじゃないみたいで…」
「じゃあただの事故じゃないんだー。もしかして殺人事件とか?」
 無遠慮に身を乗り出す反町を、若島津が横から引き戻した。
「その人の身元はわかったんですか?」
「は、はい。ディレクターの川崎さんです。そのドラマの担当者なんです」
「ふーん、俺たち、もしかして容疑者になんのかな」
「嬉しそうに言うんじゃない」
 若島津が顔を上げると、向こうからやはり青い顔をした下羽田プロデューサーがやって来 るところだった。その背後から数人の警官が続いてやって来る。
「まさかほんとに死神になるとはな。おまえを見くびっていたよ」
「俺じゃなく、健ちゃんでしょ。雨男のくせに」
 雨と殺人を一緒にしてはいけない。
 若島津は相変わらずの無表情のまま、片手で反町の頭を思い切りはたいたのだった。









<< BACK | MENU | NEXT >>