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Fスタジオに下りて来ると、そこには既に若島津も戻っていた。ちょうど下羽田プロデュ
ーサーと別れの挨拶をしているところだったらしい。
「パパ!」
その姿を見て、娘が駆けて行く。若島津は振り返って口元を緩めた。
「はる、いい子にしてたか?」
「うん。いざわせんせいとおはなししてたの」
抱き上げられると、娘は猫のようにくるくるっと体を丸めて笑い声を上げる。
「あ〜、ほんとに、ほんとに、娘なんだぁ…」
「何だ、反町、まだそんなことを言ってるのか」
若島津は井沢に向き直ると、娘を抱いたまま片手を差し出した。
「さすがの仕事ぶりだな。礼を言うよ。娘の分もな」
「特急割増しを請求したいところだが」
井沢は握手してから一歩下がり、若島津を無遠慮にじろじろと眺めた。その視線には笑い
が見て取れる。
「珍しい光景を見られたからそれで勘弁してやるよ。6年ぶりに会ったと思ったらこれだか
らな、そのサービス精神に免じて」
「そいつはどうも」
若島津は動じない。
「明るい所で出会う機会はもうないだろうから、今のうちに好きなだけ見ておいてくれ」
「パパ?」
自分のことが話題になっているとは知らずに、娘が下から若島津を呼んだ。
「これ、あげる」
「何だ? ビー玉じゃないか」
娘のみやげを不思議そうに眺める若島津に、反町がさっきのことを説明した。
「あの通路に…。そうか、なるほどね」
「なに、なるほどって、なんだよー」
反町が迫ったが、若島津はそれ以上話すつもりはないらしく、くるりと背を向けて下羽田
プロデューサーのほうへ戻って行ってしまう。
「では私はそろそろおいとまします。色々お世話になりました」
「そんな、お世話になったのはこちらです。と言うより、大変な目に遭わせてしまって」
「あれはあれで貴重な体験でしたから。それに、武蔵野の別荘のことは本当に感謝している
んです。お陰で次作の主役が決まりましたし」
「ええっ、主役って…!」
下羽田のみならず、近くでそっと聞き耳を立てていたらしい真島かおりまでが大きな声を
出した。
「誰なんですか、それ!」
「え、だから、その家ですよ。明治の頃の空気を残している古い家を主役にした映画なんで
す」
「…あ、そう、ですの」
真島でなくても気抜けする返答であった。若島津の作風を考えればありえない話ではない
というのが困る。
「まずは娘としばらく実際に滞在して、構想を煮詰めるつもりです」
「あ、じゃあ、今日からさっそく」
「ええ、ホテルはもう引き払ってきました」
下羽田と最後の握手をしていると、草津アナが近づいて来た。同じように握手を求め、感
慨深そうに強くうなづく。見れば周囲のスタッフたちの視線にもその草津と同種のものが浮
かんで、あの異様な状況下に置かれて数時間を共に過ごしたうちに生まれた連帯感を実感さ
せた。
「他の出演者の皆さんも、名残を惜しんでいましたよ。若島津さんによろしく伝えてほしい
と」
「そうですか、どなたもお疲れだったでしょうね」
草津と真島以外の出演者たちはそれぞれにもうこの場から帰って行った後のようだった。
「まあそれはそうですが、ああいう形で、なんだか胸のすく結末になったせいか、疲れと言
ってもなんだか清清しい感じで」
「人間、現金なものですね」
若島津も笑顔を見せた。
「おおみねさんも、もう帰ってしまわれたんですか」
「ええ、今頃は親子の感動の対面になっているんじゃないかな。警察も、大峰さんの事情聴
取は明日以降にすることにしたと聞いていますし、まさに水入らずでしょうね」
「問題の出生の秘密とやらも、恐喝をしていた2人が死んだ以上は、大峰さんしか知らない
こととなったわけですし」
草津がそう言うと、下羽田もうなづいた。
「まあ、咲ちゃんの母親って人が誰なのか、気にはなるけどね、プライバシーとは言って
も。これがあの子の話題としてむしろプラスになるかもしれませんね」
話し込む二人にもう一度別れを告げると、若島津は娘を振り返った。
「さあ、じゃあ行くか、はる」
「うん!」
大人ばかりの場でも気にすることなくおとなしく待っていた娘だが、そう声をかけられる
とぱっと笑顔になった。
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