THE PHOTOGENIC --- 8












 Fスタジオに下りて来ると、そこには既に若島津も戻っていた。ちょうど下羽田プロデュ
ーサーと別れの挨拶をしているところだったらしい。
「パパ!」
 その姿を見て、娘が駆けて行く。若島津は振り返って口元を緩めた。
「はる、いい子にしてたか?」
「うん。いざわせんせいとおはなししてたの」
 抱き上げられると、娘は猫のようにくるくるっと体を丸めて笑い声を上げる。
「あ〜、ほんとに、ほんとに、娘なんだぁ…」
「何だ、反町、まだそんなことを言ってるのか」
 若島津は井沢に向き直ると、娘を抱いたまま片手を差し出した。
「さすがの仕事ぶりだな。礼を言うよ。娘の分もな」
「特急割増しを請求したいところだが」
 井沢は握手してから一歩下がり、若島津を無遠慮にじろじろと眺めた。その視線には笑い
が見て取れる。
「珍しい光景を見られたからそれで勘弁してやるよ。6年ぶりに会ったと思ったらこれだか
らな、そのサービス精神に免じて」
「そいつはどうも」
 若島津は動じない。
「明るい所で出会う機会はもうないだろうから、今のうちに好きなだけ見ておいてくれ」
「パパ?」
 自分のことが話題になっているとは知らずに、娘が下から若島津を呼んだ。
「これ、あげる」
「何だ? ビー玉じゃないか」
 娘のみやげを不思議そうに眺める若島津に、反町がさっきのことを説明した。
「あの通路に…。そうか、なるほどね」
「なに、なるほどって、なんだよー」
 反町が迫ったが、若島津はそれ以上話すつもりはないらしく、くるりと背を向けて下羽田
プロデューサーのほうへ戻って行ってしまう。
「では私はそろそろおいとまします。色々お世話になりました」
「そんな、お世話になったのはこちらです。と言うより、大変な目に遭わせてしまって」
「あれはあれで貴重な体験でしたから。それに、武蔵野の別荘のことは本当に感謝している
んです。お陰で次作の主役が決まりましたし」
「ええっ、主役って…!」
 下羽田のみならず、近くでそっと聞き耳を立てていたらしい真島かおりまでが大きな声を
出した。
「誰なんですか、それ!」
「え、だから、その家ですよ。明治の頃の空気を残している古い家を主役にした映画なんで
す」
「…あ、そう、ですの」
 真島でなくても気抜けする返答であった。若島津の作風を考えればありえない話ではない
というのが困る。
「まずは娘としばらく実際に滞在して、構想を煮詰めるつもりです」
「あ、じゃあ、今日からさっそく」
「ええ、ホテルはもう引き払ってきました」
 下羽田と最後の握手をしていると、草津アナが近づいて来た。同じように握手を求め、感
慨深そうに強くうなづく。見れば周囲のスタッフたちの視線にもその草津と同種のものが浮
かんで、あの異様な状況下に置かれて数時間を共に過ごしたうちに生まれた連帯感を実感さ
せた。
「他の出演者の皆さんも、名残を惜しんでいましたよ。若島津さんによろしく伝えてほしい
と」
「そうですか、どなたもお疲れだったでしょうね」
 草津と真島以外の出演者たちはそれぞれにもうこの場から帰って行った後のようだった。
「まあそれはそうですが、ああいう形で、なんだか胸のすく結末になったせいか、疲れと言
ってもなんだか清清しい感じで」
「人間、現金なものですね」
 若島津も笑顔を見せた。
「おおみねさんも、もう帰ってしまわれたんですか」
「ええ、今頃は親子の感動の対面になっているんじゃないかな。警察も、大峰さんの事情聴
取は明日以降にすることにしたと聞いていますし、まさに水入らずでしょうね」
「問題の出生の秘密とやらも、恐喝をしていた2人が死んだ以上は、大峰さんしか知らない
こととなったわけですし」
 草津がそう言うと、下羽田もうなづいた。
「まあ、咲ちゃんの母親って人が誰なのか、気にはなるけどね、プライバシーとは言って
も。これがあの子の話題としてむしろプラスになるかもしれませんね」
 話し込む二人にもう一度別れを告げると、若島津は娘を振り返った。
「さあ、じゃあ行くか、はる」
「うん!」
 大人ばかりの場でも気にすることなくおとなしく待っていた娘だが、そう声をかけられる
とぱっと笑顔になった。
「これだよー、ほんとに心臓に悪いったら」
 手をつないで歩く父と娘を後ろから見ながら、反町はぼやいている。
 スタジオを出て廊下を歩く間も、通りかかる人々の目はやっぱりこの親子に集中してい た。可愛い〜、などと囁き交わす声も聞こえたりして、注目度は相当なものだ。
 こっちのニュースもおそらく明日のスポーツ紙を賑わすに違いない、今日の殺人事件にも 負けずに。
「ずいぶんな休暇もあったもんだな」
「休暇はこれからだ。あの家で1週間過ごせるなら、これくらいは目をつぶるさ」
 若島津がそれほど入れ込む家である。
「にしたって、家を主役になんて、いいのかねぇ」
「若島津、まさか人間は一人も出て来ないなんて言うんじゃないだろうな」
 井沢がそう呼び掛けると、若島津はちょっと考える目になった。
「まだわからんな。でもあの子は使ってみてもいいかもしれん。なかなかやれそうだ」
「あの子って…」
「おおみね咲」
 若島津の言葉に反町の目がまん丸になった。
「嘘だろ、あの子は女優じゃないよ。それにあんな調子じゃ…」
「そうだな、さすがに親父さんに比べればまだまだだが」
 若島津は一人でうなづいた。
「でもアドリブの才能は相馬くんどころじゃなかったな。あの電話が父親のものでないと気 づいていながら、あれだけ熱演できたんだ」
「――何言ってんの、健ちゃん」
 反町の顔がこわばっていく。
「あの、電話、大峰竜二じゃない…?」
「そうだ」
 若島津はそんな反町にまっすぐ向き合う。
「大峰さんがあの電話に出られるわけはない。関西から、生中継に出ていたんだから」
「えっ、ちょっと待ってよ。あれは、アリバイの証人の――あれが大峰竜二!?」
「なにしろベテランだ。メイクや小道具で別人に見せることなどわけもないさ、舞台度胸も 含めてな。あんなトラック運転手の話なんか、でっちあげさ。電話は誰か俳優仲間にでも頼 んだんだ、替え玉に」
 沈黙が重く流れた。
「アリバイも、偽だった…? ということは――」
「ナイフの指紋は紛れもなく川崎殺害の犯人のものだったってことだ」
「なんでわかったんだ、あの証人が大峰本人だって」
 井沢が尋ねた。反町もこくこくとうなづいている。
「俺が電話の会話で映画の名前を出しただろう。あれさ。大峰さんが俺のコアなファンだと いうのは咲ちゃんから聞いていたから、あえて間違ったタイトルを振ってみたんだ。電話の 主があっさり聞き流してしまったのに、逆に、あの坂子とかいう親父はおそらく無意識にだ ろうが、正しく言い直してしまってた」
「なんて奴だ」
 反町は呆れ返る。殺人犯以上に凶悪ではないだろうか、これでは。
「あの子はおそらく父親の計画をすべて知っていたわけじゃないだろう。ただ、事前にいく つか指示がされていて、たとえば番組収録中はスタジオから動かないこと、途中で携帯を掛 けることなどを守っただけだと思う。でもあの子なりに状況と考え合わせ、真犯人の意図に 気づいたんだろうな」
「じゃあ、精神的共犯ということか」
「通りすがりの共犯は他にもいそうだな」
 若島津の目に笑いが浮かんだ。手のビー玉を光に透かして見る。
「たとえば自分の楽屋に逃げてきた古い友人に、ちょっとばかりメイクをして別人に仕立て て逃がしてやるくらい簡単なことだ。自分は楽屋から一歩も出てないんだから」
「えっ、それ桜坂奏子さんのこと? あの人、そんな無名の俳優は知らない、とか言ってた ぞ。他にもずいぶん毒舌吐いてたし…」
「彼女も、女優だ」
 反町は黙り込んだ。表情がぐぐぐっと苦くなる。握り拳を固め、そしていきなり吠えた。 「ちっきしょー、なんて世界だ。俺、こんなとこにいたら気が狂っちまう!」
「ジャングルのゲリラ戦やら、路地裏の密売組織のほうが体に馴染んでるような奴が何を言 う」
 横で聞いている井沢にすれば、どっちもどっちであったが、もちろんそんなことを口に出 す気はない。
「咲ちゃんの出生の秘密とやらを知っている一人なのかもしれんな。ズバリ母親、ってわけ ではないにしても」
「俺って、つくづく素直で正直者だぁ…」
 反町の叫びは無視された。













「さて、晩飯だな。せっかくの日本だからな、日本でしか食べられないものを食べておこう な」
「たべようたべよう」
 娘は嬉しそうに飛び跳ねる。
「そうだな、馬刺しがいいかな」
「ちょっとちょっと、健ちゃん」
 思わず口をはさんでしまった反町であった。
「ばさし、たべる!」
 しかし、娘は元気一杯だった。
「そうだ、鴨のうまい店があったな。あそこにするか」
「かもなべ?」
「ああ、鴨鍋」
 親子で盛り上がっているが、どこか不安を感じるのはなぜだろう。
「……どういう育て方してるわけ、健ちゃんて」
「いや、らしすぎると言うか」
 棒立ちになっている反町と井沢の視線に気づいてか、若島津が振り向いた。
「一緒に行くか? 飯は大勢のほうがいいだろう」
「あっ、そりゃもう、ぜひ」
「俺も付き合おう」
 三者三様の疲れ方ではあったが、こういう時は食欲が何よりも優先されるものだ。二人に も異存があろうはずがない。
「――あとは、生湯葉なんかどうだ。しんじょ仕立てで」
「なまゆばー!」
 そうだな、それとも魚もいいな。あの店の太刀魚の木の芽焼はなかなかの味だったし」
「きのめあえ、すき!」
「子供の味覚じゃないな、既に」
「さすがは若島津の娘」
 ついて行きながら、ひそひそと囁いている。
「健ちゃん、まさか酒は飲ませてないよねえ」
「ああ、当然だろう」
 口ではそう答えているが、反町の言葉がどうも頭の別の所を刺激してしまったような、そ んな風情である。おそらく清酒の銘柄など思い浮かべているに違いない。
 反町はその娘に目をやった。
「はる、って言うんだ。若島津はる」
「ああ、とりあえずな」
「と、とりあえずぅ?」
「どういう意味だ、それは」
 不可解なことを言い出した若島津に、さすがの井沢も不審顔になる。
「ミドルネームがいろいろあって、俺も覚え切れん。アメリカってのは余程自分の出自にプ ライドがあるか、それとも自信がないか、だな」
 アメリカだけというのではないが、苗字と名前が一つずつという日本に比べると、教会が つけた名前やら両親の旧姓やら祖父母の名前やら、「本名」がやたらと長いのは珍しくない 国である。
「アメリカ国籍なの、この子?」
「今は二重国籍だ。成人するまでに選べることになってる」
「ふ、ふーん」
 ちょっとためらってから、反町は心を決めたようだった。
「ママは、誰なわけ?」
「ん?」
 若島津が振り向いた。反町の目をじっと見る。
「俺だ」
「………」
「パパママ兼用タイプだ。な、はる」
「うん!」
 立ち止まってしまった反町を残して、親子は仲良く歩いていく。井沢は同情の目でそんな 反町を振り返った。
「あいつも芸能界の人間なんだ。それだけは諦めろ」
「――嫌だ」
 反町はうなる。
「俺だってジャーナリストだぞ。諦めるもんか!」
「はいはい」
 バトルはまだまだ続きそうだった。









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