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「爺さん、酔ってただと…!」
さすがの井沢も絶句した。入れたばかりのコーヒーを、ベッドサイドテーブルにそのまま
置く。
「入院先でも好き勝手に飲み食いしてたんだよね。今日の昼の食事の時もケータリングで届
けさせたワインをかなり飲んだって話だから、まあ足元が危なっかしかったのは無理ないん
じゃない?」
反町は意味ありげに口元を緩めている。
「まあ、いいタイミングで転んでくれるかは運次第だったけど、要はあの料亭で騒ぎになっ
て救急車だのパトカーだの集まってくれれば警備の隙も突けると思ったんだ」
「ケータリング業者に手を回したのか。秘書のふりしたニセ電話でもしていつもより強い酒
を届けさせたとか…?」
「――おまえが昨日もらってた名刺、あれ役に立ったよぉ」
詰め寄る井沢を、枕に顔を埋めながらちらっと見上げる。
「でもさ、おまえだって酔ってたんじゃない? 例えば、ボールと風呂敷包みの区別がつか
なくなる程度にさ」
「まあ、それはそうだな」
反町の笑いを含んだ言葉に井沢も苦笑を返す。
「こんな所に間違ってボールを蹴り込んだのはどこの馬鹿野郎だ、とムカついたもんだか
ら、そこに転がってたのを思い切り外に蹴り返したんだが――もしかすると間違えてボール
じゃないほうを蹴っちまったかもしれん。さあて、よく覚えていないが…」
「ふーん」
枕にうつ伏せたまま、反町はくすくすと笑い声を立てた。
「どっちでもいいけどさ、その馬鹿が蹴りこんだボールを、その穴にぴたりと合わせて蹴り
返せるなんて、そっちのほうが馬鹿野郎って気がするなあ、俺は」
井沢もにやりとした。
「まんまと暗示に乗せられたな。ボールを見たら反射的に蹴らずにいられないような暗示
を、そう言えば昨日、フィールドに戻れだの何だのと悪魔の囁きがあった気がする」
「それは違うね」
反町は体を半分起こすと手を伸ばし、一つに結んでいる井沢の髪をほどきにかかった。
「悪魔の囁きにちゃんと反応するような『種』を最初から持ってただけさ。おまえの足はし
っかり覚えてるんだ、ボールの蹴り方を。あいつに今でも未練があるのと同じにさ」
「なんだと?」
うるさそうにそんな反町を振り払うが、もちろん懲りるということを知らない相手であ
る。ガウンの胸に人差し指を銃のように突きつけてじっと井沢を見上げた。
「未練があるってことは諦めていない証拠だろ。諦めない間は、あいつはおまえと繋がって
る。どんなに遠くてもかぼそくても繋がってんだ。おまえは、だから俺を勘違いし続けてな
くちゃ。――ま、たま〜にな」
「言ってくれるな、はっきりと」
ため息と一緒に、何か引っ掛かっていたものがポロッと体から出て行ったような、そんな
感覚だった。思わず井沢の口元が緩みそうになる。
「勘違いのほうが口実かもしれないがな」
「…え?」
井沢の腕につかまえられて、もう反町はその表情を見ることはできなかった。
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