CALL ME 大阪熱帯夜
- - -ある悪徳警官の風景- - -











●シーン1●




「早田! 早田はどこや!」
 鴨池署の一角で、おなじみの怒声が響いた。窓の外の貧弱な木立ちで目一杯自己主張 しているセミたちとどっこいどっこいである。
「あ、署長、早田やったらさっき帰ってきたとこですわ。商売道具を倉庫にしもてるとこと違い ますか」
「はよ呼べ、ここに! そんなもん後回しじゃ!」
 署長直々にこれほど熱心なご指名を受けるとは、2年目の新人警官としては破格の待遇 と言えよう。
「ええか、早田」
「はあ」
 結局後回しにするまでもなく片づけを終えて交通課に戻った早田は、署長の前に素直に 立った。
「昨日おまえ鉋橋のほうへ取り締まりに行ったやろ、丸山係長と組んで」
「はあ、行きました」
「…駐車違反を1件あげたそうやな、丸山くんが目を離しとる間ァに」
「そうですけど」
 早田は署長の剣幕に不思議そうにしているばかりである。そんな早田にぐいっと顔を寄せ て、署長は声を低めた。
「えらいことしてくれたな。あの車はな、××組の幹部のなんやぞ。あの通りの辺はあの男 が顔きかせとるから、何かコトがあったらウチもトントン手ェが入れられるんや。それを駐車 違反やて? おまえ知らんかったんか!」
「それやったら知ってましたけど」
 早田は平然とうなづいた。
「けど違反は違反や、て思います。それにキップ切ったら運転手の男が騒ぎ出して、なんや かんや言うもんやから、大人しゅうさせなしゃあなかったんです。それで…」
「引っ張って来たんか、『公務執行妨害罪』で !? 」
 署長は早田をにらんだまま、自分の顔を片手でごしごしと乱暴にしごいた。
「おまえこれで何回目や !?  そのクソ真面目な融通のきかんとこ、なんとかならんか? 交 通課に回したらなんぼかマシか思たのに、同じやないか!」
 大きく肩をゆすり上げてデスクの上の湯呑みをぐいっとつかみ、一気にごくごく飲み干す。 それから署長はまた大袈裟に息を吐き出した。
「それともう一つや。この前の日曜の試合、また勝ったんやってなぁ」
 また、に精一杯の皮肉を込めたつもりだったが、早田はそれに気づいた様子もなく、逆に 嬉しそうな笑顔になった。
「はい、主将の旗谷さんが先制して、あと俺が前半後半に2点ずつ入れました」
「そんな試合経過は訊いとらん。ワシが訊いとるんは、いつまで勝ち続けるつもりや、てこと や」
「ずっと勝ってるわけやないですよ。先月は2つ引き分けたし、その前は○辺製薬に1−2で 負けてまいました」
 今度は少々眉をしかめて悔しそうになるあたり、早田は正直者である。だが署長はそんな ことに感銘を受ける様子はなかった。
「そやない! ええか、今年のシーズン、何を間違うたんかうちの順位はずっと1位と2位の 間を行ったり来たりや。残りカードから見ても、3位との勝ち点差を見ても、1部と入れ替え の可能性おおありや、ゆうとんじゃ!」
「署長〜!」
 早田の目がうるうるした。
「そないにサッカー部のこと詳しい見てくれてはるんですか。ありがとうございます !! オレ、 もっともっとがんばって、必ず優勝します!」
 紅潮した顔で一気に言い切ると、早田はぺこっと礼をして、一目散に駆けて行った。フィー ルドをバックラインから一気に攻め上がっていく足である。署長が止めようとした時はもちろ ん間に合わなかった。
「署長、あれはあきまへんわ。何を言うても、頭ん中は勤務を真面目につとめることとサッカ ーで勝つことしか入ってしませんもんなあ」
「ワシ頭痛いわ。もう府警本部からも散々苦情もろとんのや。早田一人でチーム勝たせとん のは言い訳でけへんからな。そらスポーツで体鍛えるのんはええこっちゃ。大阪府警のチ ームが強い、って言われるんも、不祥事で書き立てられるよりかはずっとましや。そやけどこ れ以上上のリーグに上がったりしたら、肝心の仕事のほうがワヤやないか。早田だけなら なんぼでも仕事外したるがな、選手はみな府警の第一線の警官やゆうこと、あいつ全然考 えてへん」
 扇子でぱたぱたと怒りをさましながら、署長はデスクの前を落ち着きなく歩き回る。側で気 の毒そうにそれを見ていた総務課長が、そーっと椅子から立ち上がった。
「ほな、ワタシからも言うてみましょか。あれはもう性格やろうし、今更かもしれませんけど な」
 最初から諦め半分では早田を説得できるはずもないが。
「けど早田はなんで警察官なんぞになったんでしょうなあ」
 ちょうど一緒に部屋を出て行こうとした刑事が、課長と並んでぼそっとささやいた。
「早田て日本代表でこの前もオリンピックやら出とった選手でしょう? 素直にどっかプロの チームと契約してたら将来も約束されとるやろに」
「どうしても警察に入りたかったんやそうや」
 総務課長は心なしか肩を落とし加減に廊下を進む。
「勤勉で真面目で意欲満々で、その上サッカー選手としてはピカ一や。どこにどう文句つけ てええのか…」
「わざと負けぇ言うのも妙ですわなぁ」
「言うたところで聞くわけもないしな、あれやと」
 階段を下りて一番最初の大部屋が交通課であった。早田はここの交通指導課に所属して いる。外勤を1年勤めてこの鴨池署に来た早田は、まず防犯課に配属されたが、3日も経た ずに騒ぎを起こして上司をたまげさせた。
 現場に慣れるまでの慣らし運転として先輩警官と組み、当たり障りのない盛り場のパトロ ールをしていたのであるが、たまたま行き合った暴力団関係者同士の口論に几帳面に仲裁 に入ったのがアダとなったようだ。本人は穏当なつもりでも妙に迫力がにじむ外見が当事者 たちの警戒心を必要以上にあおることとなり、すなわち一帯を巻き込んで雪ダルマ式の大 騒動に発展してしまったのである。早田本人が後で証言したところによると、
『暴力はあかんで、言うとっただけですけど』
ということらしいが、結果は、一部のギョーカイで一晩にして有名人になってしまった新人を 前に、署長の頭痛が慢性化してしまっただけであった。
 その後も早田の武勇伝は数を重ねてとどまるところを知らず、ヤブヘビ体質が本人無自覚 のまま定着しつつある。署内では、『早田も歩けば暴に当たる』という格言が生まれたほど だ。
「ねえ、今日はワタシと行くわよねぇ!」
「うそぉ、順番はワタシやったわよ、な、早田くん」
 交通課は例によって華やかかつ賑やかであった。
「何ゆうてるの、早田くんは今日は学校回り2本立てやよ。昼からはワタシらと行くの!」
 得意そうに黒板のスケジュール表を示している婦警に一斉にブーイングが起こる。本日の ミニパト嬢たちである。
「今朝の予定、早田くん急に課長さんに呼ばれてキャンセルになったんよ。今日の分は今 日の分、安全教室まではワタシらに権利があるんやから!」
「そんなん滅茶苦茶やわ、ありえへん!」
 もう収拾のつく状態とは思えないが、早田は自分のデスクで午前中に行った小学校の分 の報告書に必死に取り組んでおり、頭上を行き交う女の戦いには全く気がついていないよ うだ。
 どう見ても『女の中に男が一人』状態、しかも早田はこの中で最年少であった。署長の苦 肉の策の配置であったが、今度はまた別レベルで騒ぎの元となっているとしか思えない。
「またこら凄いもんやなぁ…」
 いきなりその光景を突き付けられた総務課長は思わず一歩下がりかけたほどである。手 前の席に座っていた係長がそれに気づいてパンパン手を叩いた。
「さ、そろそろお昼にしましょ。昼からのローテーションに入ってる班は先にすませるように」
 とりあえずリクリエーションは停戦となった。歩み寄る総務課長に、ベテラン婦警の丸山係 長は余裕の笑みを向けた。
「元気なもんでしょ、ウチの子ら。早田くんのおかげでみな張り切ってますわ」
「そんなもんかいなぁ」
 課長は当惑気味にあごをさすった。まさに鶴の一声、係長の指示に従って交通婦警たち はきびきびと弁当を広げ始めている。
「早田くん」
 係長に呼ばれて早田ははっと顔を上げた。
「それ、そのくらいでええわよ。ファイルしといたら週末までには自然にまとまってるやろか ら。ちょっとこっち来て」
「はい」
 早田はすぐに立ち上がった。デスクの前に来て係長と、そして総務課長に会釈する。もと もと大阪府警では内部の者同士で敬礼は一般的ではない。
「来月の話やけど、キミ、代表に呼ばれてるんでしょ。チームで合宿が始まるのと違う?」
「はあ…」
 早田はやや困った表情になった。
「それですけど、オレ、辞退したほうがええかな、思てます。ウチのチームで試合するのなら 勤務に穴あける心配はめったにないですけど、代表やと合宿や遠征やいうて長ごなります し…」
「昨日本部長さんから連絡があったの。早田くん本人によう話聞いてからまた報告します言 うといたけど、ホンマにそれでええの? ワールドカップもあるんやないの?」
「…アジア予選が、年明けから始まります」
 早田はなぜか顔を赤らめた。ワールドカップは、どうしたって特別な存在なのだ、サッカー に関わる誰もにとって。
「そう」
 係長は笑顔のままうなづいた。
「ほな、また気持ちが決まったら言うてちょうだい。ね? …さ、キミもお昼早よ食べとかん と、忙しいよ」
「はい、失礼します!」
 早田が署内食堂に向かうのを見送ってから、丸山係長は総務課長を振り返った。
「どう思わはります? 早田くんて、あれで義理立てしよ言う気やないんですよ。あれだけ万 能選手タイプのくせして、自分でそれに気がついてへん、てとこが不器用やと思いますわ。 真面目やからねぇ…」
「ホンマに。…えらいヤツが来たもんや、よりによって」
 結局説教はできなかったことに少々ホッとした気持ちもあるらしい課長は、そこでふと丸山 係長を呼び止めた。
「ところでさっき言うてましたな、『報告書が自然にまとまる』て何のことです?」
「ああ、それはですねぇ、ウチにはこびとのくつやさんが一杯いてる、いうことですわ。早田フ ァンのね」
 それはそれで、早田は幸せな職場環境にいるということなのだろう。たぶん。











●シーン2●




「なあ、小野田。そう思わへんか?」
 大阪府警のワゴン車の中に、早田は一人で居残っていた。先輩婦警たちは引き揚げる前 の挨拶をするため、校舎に入って行ったところである。
「俺だけやない、て言うかもしれんけど、やっぱり仕事について、それでもまだワールドカッ プを目指してるなんてのは、ゴクドーや思うぞ」
 可愛いペイントがしてあっても府警の公用車である以上、無線はちゃんと装備されてい る。しかし早田が手にしているマイクのようなものは、その無線とはまた別モノであった。
「この前な、ウチの試合で神戸行ったんやけどな、グランドで誰と会おた思う? 見上さん や。日本に帰ったばっかりでな、実家にたまたま来てたそうや。ヨーロッパ行ってる連中の こといろいろニュース聞かせてくれたわ」
 真っ直ぐな陽射しが校庭に照り返し、さっきまで自分が立っていたあたりの白線が風に白 い粉を巻き上げている。早田はまぶしそうにそれを見やった。
「若林は相変わらずブンデスリーガやけど、ケッサクなんは日向や。イタリアで実技研修しな がらセリエAから引っ張られとるらしいわ。あいつがモノを壊すほうやなくてモノを作るほうの 仕事ができるとは思わんかったで」
 早田は窓に腕をかけてもたれかかりながらクスッと笑った。
「けど考えてもみぃ、今日本に残ってる連中も、ちゃんとプロになって続けるヤツが何人おる かや。立花らーと佐野と…ああ、松山はとおに退団したし、あとはみな好きなことしとるや ろ。俺なんて関西リーグの下のほうでも、ちゃんとチームに所属してるだけマトモなほうやな …」
 言葉が途中で切れた。早田は手に握っている機械に目を落とし、やおら怒鳴り始める。
「そや、この小野田のアホ! おまえのこと言うとんじゃ! いつになったらお日さんの当た るとこに出て来る気や! おまえのヨメさん、ちょっとはかわいそうや思てやれ!」
 自分の言葉の勢いに詰まり、早田は少しむせた。そのまま頭を抱え込む。
「ヨメさんも…俺かて、かわいそうや…」
 コンコン。その音に、早田はゆっくりと顔を上げた。窓をノックしながらにっこり覗き込んで いる顔がある。
「早田くん、お待たせ。はい、これどうぞ」
 窓から缶コーヒーを差し出す。受け取ると缶は外側に汗をかいていた。
「またラブコール、しとったん? 早田くんて、ほんまユニークな人やわぁ」
「あ、すんません。いただきます」
 先輩にぺこっと会釈して冷えたコーヒーを流し込む。手にしていた小さな機械は、スイッチ を切って胸ポケットにしまった。
「あー、しのぶ先輩! 抜け駆けしたらズルイですよぉ! 早田くんと二人きりで話すやなん て!」
「ズルイほど何も話してへんよ。コーヒー渡しただけやもん」
 振り返って仲間にVサインを送るあたり、争奪戦は泥沼かもしれない。
「ちょっと早田くん、こっちまわってこれ入れてくれへん? 一つ忘れてたの」
「あ、はい」
 飲み終えた缶を足元に置いて、早田はシートから滑り降りた。二人がかりで引っ張ってき たらしい標識模型のケースを受け取って後部ドアから押し込む。
「そっち、大丈夫ですか? コケてませんか?」
 背伸びしながら声を掛けていると、その早田の背後から何やら大きな歓声が聞こえてき た。
「え、なんやなんや…?」
 校舎の向こうから、小学生の群れがどっと押し寄せて来る。先頭の数人がボールを蹴りな がらなのを見て、早田は顔を輝かせた。
「おまわりさーん、サッカーや、サッカーやろ!」
「なあ、あのドライブのかけ方、見せて見せて!」
 あっと言う間に囲まれる。口々に叫んでいる子供たちを見ながら、婦警さんたちも苦笑し た。
「こら逃げられそうもないわねぇ。しゃあないし、ちょっとくらい付き合うたら?」
「はい、すんません。ほな、ちょっと…」
 子供たちにまとわりつかれながら校庭のゴール前に走って行く早田を見送って、3人の婦 警さんは互いに顔を見合わせた。
「それにワタシらも、楽しみやものね」
「役得役得」
 こんな平和でいいのか! 一人の悪徳警官のせいで、変にほのぼのしている大阪府警で あった。







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