BEAT THE STREET 2002 WORLD CUP編                      












---2002年3月21日





 大阪・長居陸上競技場は4万5千人の熱気に包まれていた。今年初めての国際Aマッチとなる 日本対ウクライナ戦がキックオフを迎えようとしているのだ。
 ウォーミングアップのためにピッチに散っている選手たちはそんなサポーターの熱い期待を頭上 に浴びながら、しかしさっきから微妙に動揺していた。
「おい、長居ってああいうのもともとあったっけ?」
「見たことないぞ、俺は」
 パス練習をしながら彼らの視線がちらちらと投げられる先には、ベンチ横に並ぶ屋台状の「も の」があった。
「大阪ならでは、の珍しい設備とか」
「あるか、そんなん!」
 この競技場をホームスタジアムとしているセレッソ大阪所属のN沢が、向こうっかたから抗議の 声を上げる。
「あ、コーチが来たぞ、聞いてみようぜ」
 いきなり数人の選手が駆け寄って来たのに驚いたY本コーチだったが、その質問にはただ首を ひねっただけだった。
「いや、私は何も聞いていないよ。妙だな」
「やっぱり監督かな」
 こちらも地元のチーム、ガンバ大阪のM本が眉を寄せた。
「噂だけど、なんかまた協会ともめてることがあるって、確かこの試合のことで。これのことじゃな いのか?」
 実は、その通りだった。
 前半も残り数分となった頃、T田のゴールで1点リードという展開の中、監督の動きが突然あわ ただしくなったのだ。
 ベンチから立ち上がりタッチラインのすぐ前までせかせかと歩いて行くと、そこでじっとボールの 動きを追う。しばらくそのまま動かずにいて、突然ぱっと振り返った。
「T行とS輔、後半、頭から行くからそのつもりで」
 監督の言葉を、通訳のD君が追うように伝える。
「あ、はい!」 
 一瞬腰を浮かしかけた二人は、そう答えてから不思議そうに顔を見合わせた。後半からなら、 なぜ今このタイミングで言われたのだろう。
『と、言うわけだから、モリサキ、一枚頼むよ』
「は…い?」
 D君までが絶句する。監督は前半最後の指示を出し終わった途端にすたすたとベンチの背後に 下がってしまったのだ。
「監督 !? 」
 試合中にはおよそ似つかわしくないものを手に、T監督がベンチに戻って来た。
「な、何を食べてるんです !? 」
 ひざの上にせいろ、手にそば猪口、という格好で、監督はそれはもう幸せそうににこにこしてい たのだった。








「誕生日プレゼント代わりに、って言ったんだって」
「ああ、今日は彼の誕生日だったね。プレゼントを自ら指定してきたという訳か」
 3月末にしてはやや暖かな夜だったが、ここ、サッカー協会専用ブースの一つは異様に冷え冷 えとした空気に満ちていた。実は試合開始直後は他の役員も数名同席していたのだが、途中で 次々と脱落していった模様だ。
 二人きりで誰にも邪魔されず水入らずで試合を見守っていたのは、日本サッカー協会国際部に 所属する岬と、同じく強化委員会の特別顧問の三杉だった。三杉のほうはチームドクターも兼任 していたが、今夜はこの岬の招待を受けたため現場のほうは医療スタッフに一任してある。
「いいんだよ、別に。これ以上もめごとが一つくらい増えたって、組織委員会にはいい眠気覚まし になるだけだから。それより問題は、なんで森崎に白羽の矢が立っちゃったのか、ってことだよ」 「気の毒に、って意味でかい?」
 三杉はちょっと視線を下げて、ベンチ裏の謎の設備を観察した。彼らのかつてのチームメイト は、この高さからは陰になっていてチラリとしか姿が見えないようだ。
「一緒に同情しようってことで僕をここに呼んだわけじゃないだろう、岬くん」
 三杉は意味ありげに岬を振り返った。
「何か火種をつかんでるって顔をしてるよ。それとも、君自身が火種になってるとか?」
「やめてよ」
 国際部に一応所属しているが、あくまで「一応」であり、実際には限りなくフリーに近い立場を貫 いていると言われる岬だけに、三杉の冗談も冗談ですまない面がある。
「このあとすぐヨーロッパ遠征になるだろ? ボクも同行する予定なんだ」
 国際部としては不思議のない話だが、岬の口調はどうも沈みがちだった。
「なるほど、君の本来の目的は、会長選を前にして一触即発のFIFAってわけか。探りがいはあり そうだね」
「だから、目立ちたくないんだ。今なら日本なんてノーマークなんだから」
「ワールドカップ目前まで監督人事でもめる話はそう珍しくもないと思うけど? ま、日本の中でな らともかくヨーロッパでコトが起きると確かに悪目立ちはするだろうねえ。なにしろ海外組も合流す るわけだし」
 三杉も苦笑を浮かべる。海外組がそれぞれの所属先のシーズンが終了するのを待って、ようや く代表チームに加わるのだ。彼らの年代では翼(スペイン)に若林(ドイツ)、そして日向(イタリア) の3人。若い世代では、N田(イタリア)、I本(イングランド)、O野(オランダ)。知名度もあいまっ て、注目の度合いは格段にアップすることだろう。
「そこだよ」
 目的のためなら手段を選ばず…がポリシーの岬にも弱点はある。身内を盾にされる危険がある 限り、用心深くならざるを得ないのだ。
「だから、反町はどこか知らない?」
「ずいぶん唐突だな、その名前も。FIFA探索のために駆り出そうって言うのかい?」
 その業界ではまさに悪名を馳せているフォトジャーナリストの反町である。岬にはそりゃ使い甲 斐があるだろう。
「君の実家に預けてるんだよね、子供。なら連絡取れるでしょ」
「ならいいんだけどね。光といい、彼といい、ほんとに困ったものだ」
 話しているうちに前半は終了したらしく、ピッチは無人になっていた。後半もまだまだ何か起こり そうな、そんな大阪の夜だった。








「お疲れ」
 ベンチに下がったM島はタオルを渡してもらうといきなりきょろきょろと周囲を見回した。
「えと、アレ、まだある?」
「ありますよ、ほら」
 M神が声を低めて背後を視線で示す。
「監督、さっき2回目の食べてましたし」
「ええなあ」
 M島は羨ましそうにその屋台設備を見つめた。
「うまそうやな…」
「関西人でもそば食べるんですか」
「なんやそれ。納豆やあるまいし、ウドンほどやないけどそらびしばしに食うて」
 そう応じながらベンチに腰を下ろす。ふと気づいて横を見るとD君がそんなM島を振り返ってい た。目が合うと苦笑を返してまたグラウンドに目を戻す。
「ねえ、ボクらもあれって頼めるのかな。○リシさん、監督にちょっと聞いてみてくださいよ」
 反対側からひそっと声をかけてきたのは大柄なT原だ。
「なんで俺やねんな」
 と言いつつも頼まれると嫌とは言えないM島は、まあダメモトで、と立ち上がった。
「K俣さん、どうかしましたか?」
 ベンチのSヶ端がGKコーチのK俣の表情に気がついた。
「いや、あのそば屋。森崎、とか監督呼んでたろ。なんか、覚えがあるようなないような…」
「行きつけのそば屋とかですか?」
「いや、ずっと前の代表GKにいた気がするんだよな、もう10年くらい前かなぁ。顔もどことなく見た ことがあるようで」
「キーパーですか? だとしたら若林さんあたり、知ってる世代ですかね」
「そうだな、ポーランド戦で彼らも合流するから聞いてみよう。何か知ってるかもしれん」
 それはもう、知ってるのなんのって。
 ところで、監督に直談判に行ったM島選手はと言うと。
「どうでした?」
 身を乗り出すT原の前にM島はしょんぽりと立った。他の控え選手たちももちろん注目している。 「あかん。監督の分しか仕込んでないんやて、数が。監督、最後のンをちょうど食べてたから、一 口だけもろてきた」
 急ににこっとして、M島は自分の口を指差す。
「うまかったわ」
「そんなぁ!」
 一気に脱力する一同だった。
「んでT原、監督から伝言やけど、もうすぐY沢に代えて出すって。アップしとけって言うてたで。 あ、M神、おまえも」
「ひどっ!」
 親善マッチだから交替枠は6人ある。代表に生き残るためのテストと思えば緊張も増すところだ が、どうやら彼らには別の生き残りも課せられているらしい。
「くそー、そば食いてー!」
 大観衆の大声援に混じって、妙な雄叫びが響いていたようだった。





【4へつづく…】




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