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---2002年5月25日
キリンチャレンジカップ2002。日本対スウェーデン。ワールドカップ出場国同士の最後の親善試
合になる。
前半を終えて0対1のビハインド。ロッカールームに戻った日本代表チームは一種異様なテンシ
ョンに包まれていた。
「対ベルギーシミュレーションはここまでだ、諸君。後半は布陣を変えていく…」
T監督の指示が終わるのを待ちかねて、さっと手を上げた者が数名。
「今日は何人分用意してあるんですか、監督」
大きな声を出したのは自称大ベテランのゴ○ことN山だった。ベンチスタートとあって、今日の先
発FWに横目でガンを飛ばしつつ質問する。
D君がちょっと困ったように監督の答えを伝えた。
「交替枠が無制限なので、『かなり』あるようです」
「ふ、ふ〜ん」
互いにちらちらと視線を交し合っているのは、もちろん牽制のためであった。
「なあ、○ナギ、おまえはそばなんて食いたかないよな」
「そんなことないっすよ、ゴ○さん。俺まだ一度も食ったことないから今日こそは…!」
「おまえはラーメン食ってりゃいいんだ!」
「ヒドイ! 自分だってオニギリが山ほどあるくせに!」
日本のCM事情など関知していないT監督だが、言っている内容はわからないまま両者のオー
ラを読み取って後半23分あたりの投入を決意していた。
「○レックスはそばって食べる?」
「大好物! ウドンもソバも。翼さんはいいんですか?」
こちらはスパイクを履きつつほのぼのと会話が進んでいる。
「俺、こないだ森崎の家に行って食べて来たもん。トモダチだもん」
「食べだめですかー。いいですねえ」
「…家へ行った?」
向こう側からその会話を聞きとがめたのは若林だった。膝の調子が思わしくなく、今日も出番は
なしのままだ。
「うん、こないだのスロベキア戦の後すぐ。キャンプに入る前だよ」
「家族は元気にしてたか?」
屈託なく答えてくる翼を、若林はベンチに腰を下ろしたまままっすぐ見つめた。
「えーっとね。奥さんだけだったんだ、家にいたの。子供は奥さんの実家に預かってもらってるん
だって、ワールドカップまでは」
「そうか…」
若林は漠然とした不安を感じていた。ドイツにいてもなお耳に届いていた不穏な噂…。つかみど
ころがなかった話の断片がどこかで繋がろうとしている。そう、森崎の身辺には何かが起きつつ
あるのだ。
「若林くん…?」
いつになく口の重い若林に、翼はちょっと首をかしげた。
「さあ、行くぞ!」
しかしコーチの声がかかって、その会話もそれきりとなる。
モニターには、特別貴賓席つまりロイヤルボックスにその名の通りの両陛下ご着席の様子が映
し出されていた。大観衆の声に手を振って応えているその脇では、前半から上機嫌で観戦を続
けているFIFAの幹部たちの姿もある。
その下を通り過ぎながら、若林はちらっと映像を振り仰いだ。
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