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---2002年6月4日19時11分
「あーっ、○ィルモッツのオーバーヘッド!」
悲鳴は絶句に取って代わられた。
ゴールネットに絡まり転がるボールをカメラがズームアップする。
が、喜び合う赤いユニフォームの間に立つ日本選手たちは誰もそれを見ていなかった。視線は
あくまで敵ゴールの先に向いている。
「ディフェンスラインの裏を突かれましたか…」
アナウンサーにそう問われて、次藤はちょっと首をひねった。彼はどうやら全然別のことを考え
ていたらしい。
「そうでもなか」
このまま何もできずに、また負けてしまうのか…? などという不吉な悲観論は彼にはまったく
存在していないようだ。
「皆、楽しそうたい。こげなこつならミスばあるだけチャンスも作れるばい」
「は…?」
ぽかんとしたアナウンサーに、佐野が小さく笑った。
「次藤さんのはあくまで精神論じゃないですもんね。無茶も結果を出せば称えられる、ってのが昔
からのポリシーだし」
「ほめても何も出んぞ」
が、ほめる相手は次藤ではなかった。ベルギーに先取点を奪われたわずか2分後。S木の苦し
い体勢で伸びた足からその同点弾は生まれた。
「ほらな」
アナウンサーが歓喜の絶叫をする裏で、次藤はひそっと佐野にささやいた。自分がほめられる
より数倍嬉しい顔で。
「新しい景色が開けましたね」
「そうたい」
二人の個人的な会話は、マイクに拾われることはなかった。
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