COUNTDOWN O'CLOCK










「何をさっきから熱心にやってるんだ?」
 ヘッドセットをつけたスタッフが、調整モニターが並ぶブースの中でせっ せとノートパソコンをいじっている高校生選手を覗き込んだ。
「電波ジャックですよ」
 顔を上げて反町がにっこりと答えた。スタッフは大きな笑い声を上げる。 「そりゃいいや! いやぁ、いいジョークだそれは」
「電波ジャックって言うと正確じゃないんだよな。スタジアムのコンピュー タ室からオーロラビジョンに送られる映像データにちょいと干渉したらこう なる、と」
 笑いながら行ってしまったスタッフにではなく、独り言でにやにやしてい る反町である。
「お? またメールか。太郎ちゃんてば注文うるさいんだからなあ」
 ぽーん、とアラーム音を鳴らして新着のメールウィンドウが開く。反町の 予想通り、それは岬からのものだった。
『文字データばっかりじゃインパクト弱いと思わない? 口惜しいけど、三 杉くんの送ってきたアレ、使ってよ』
 そして間髪を入れずに次のメール。
『この世で一番協力したくない相手と協力してるなんてぞっとするよ。全部 君のせいだからね、反町!』
「あ〜あ、ひどい八つ当たりだ、まったく」
 などと言いつつも鼻歌交じりで次のミッションに移る。
 反町が実行キーを押したと同時に、こちらで中継スタッフが驚きの声を上 げた。
 少しこもった感じの、しかし言葉ははっきり聞き取れる、会話のような音 声が場内に響き始めたのだ。
「なんだこいつは? どこから混線してんだ,この音」
「うちのせいじゃないです。あのオーロラビジョンからの信号が狂ってるん ですよ。――あれっ、何か日本語も混じってません? 韓国語も、英語も聞 こえるけど」
「なあ、これって…!」
 そこに飛び込んで来た田島がこちらのスタッフと同時に叫ぶ。
「あの内容、よく聞いてみたらすごい会話だぜ! 韓国政府の閣僚の一人が 財閥とヤミ献金の相談してたり、アメリカの貿易政策の抜け道情報をやりと りしてたり――。すぐ政治部に連絡しないと。スクープだ!!」
「熱血してますねえ、ジャーナリストの皆さんも」
 反町の冷やかしに、田島がこちらを向いた。
「おう、反町。退屈してないか? 岬からの連絡待ちも大変だな」
「ほんとですよ。岬クンも神出鬼没だからこういう時に厄介で」
「連絡あったら俺にも教えろよ。じゃ、こっちは急ぐから…」
 再び張り切って走り去って行く田島に背を向けて、反町は今度は自分から メールを送った。
『岬クン、もうテロはそのへんにして下界に降りといでよ。翼もずっと待っ てるんだから』
『わかった。じゃ、こっちのグループの解散式に付き合ったらすぐ行く。皆 が無事に逃げ切れるか次第だけど』
 まるでチャット並みの素早さで岬から返信があった。反町はスタジアムの メインコンピュータへの侵入経路を遮断しておいて、自分のアクセスも終了 した。パソコンをぱたんと閉じて、それから立ち上がる。
「――あれっ、君もういいのか? リハーサルを見たかったんだろ?」
「もう十分見られましたよ。ほんとにお世話になりましたぁ。お仕事がんば ってくださいね!」
「ああ、君も試合がんばれよ。俺たちしっかり中継するからな!」
 反町は技術センターを後にして外に出た。そして思い切り伸びをする。目 の前には十万人もの人を明日から飲み込むことになる巨大なスタジアム。真 下に立って見上げると、そのまま仰向けに倒れそうな大きさである。
「おーい!」
 口を開けて見上げていると向こうから呼ぶ声がする。見れば山本が小走り にやって来るところだった。
「今の、昨夜のアレじゃないか。おまえらが録音してた…。スタジアムです ごいスクープが連発で流されちまったっていうんで、運営委員会の責任者が ぶっ倒れたってさ。同じ一族出身の大臣がそのスキャンダルの当事者だった らしいんだ。――っつーか、おまえ、いったいどうやったんだ?」
「先生こそ、非難したいのか興味があるのかどっちかにしてくださいよ。し かも嬉しそうなのはどうしたのかなっ」
 反町がにやにやと顔を覗きこんでくるので山本はちょっと照れた。
「ああ、京子さんが明日の開会式に間に合うことになってな。なんでも急に あっちのほうが決着ついたって言うんだ。あっけないもんだよな、政治家生 命も。スキャンダル一つで信用失墜、だもんな」
 しみじみしている山本に伸び上がって、反町は耳打ちをした。
「よかったですね、これで香水の裏技も実戦で使えますよー」
「バカモノ!」
 いきなりゲンコを食らってしまった反町が抗議の声を上げようとしたその 時、今度は反対側から別の声が聞こえた。
「反町くーん、岬くんはー?」
「今、練習終わり? 翼、まだバスに乗っちゃだめだぞー。このへんにもう 少しいないと」
 その言葉に翼の足がぴたっと止まる。顔がぱっと輝いた。
「ここに? 来るんだ? ――やったあ!」
 翼に続いて他の選手たちもぞろぞろとやってきた。こちらは岬もさること ながら、スタジアム見物、リハーサル見物のつもりらしく、がやがやと楽し そうに騒いでいる。出番が終わって整列している制服の生徒たちとは対照的 であった。
 確かにスタジアムの外はあちこちにそういう団体がひしめき合っていた。 これから出る一団は衣装もきちんとつけて緊張した顔で待機しているし、終 わったほうはもうリラックスして声も弾んでいるようだ。彼らにとっての晴 れ舞台は、いよいよ明日に迫っているのだ。
「あー、あの鼓笛隊みたいなの、可愛いね」
 今まさに出番を終えてゲートから出て来た小さな子供たちの音楽隊が、き ちんと列のまま、しかもまだ演奏を続けながら行進していた。周囲から、可 愛い、可愛いの声が上がる。
 その子供たちを励ますように、そして一緒にはしゃぐように囲んで、マス コットの虎のホドリくんが何人もその周囲で踊っていた。子供たちも誇らし げな、嬉しそうな顔になる。
 集合場所に着いたのか、先生が指揮棒を振って隊を足踏みさせ、ホイッス ルと共に音楽と行進をぴたりと止める。思わず拍手が起こったほど、見事な 演技だった。
 そこでホドリたちも拍手をし、音楽隊の子供たちに手を振ってめいめいの 方向に走って行った。最後まで残った一人も、子供と握手をして別れを惜し んでいるようだった。











「……岬くん」
 小さな声で翼がつぶやいたのはその時だった。隣に立っていた反町がびっ くりしてその顔を覗き込む。呆然とした顔で、翼がそのホドリを凝視してい た。
「うそ、あれが…? 翼、何を言ってんだよ。…あれ?」
「もう行っちまったぞ、とっくに」
 翼がいたはずの場所に代わりに一歩足を踏み出して並んだのは松山だ。
「岬くーん!!」
 2人が、そして他のメンバーが眺めている前で、翼はすごい勢いでホドリ に飛びついた。
「岬くん岬くん岬くん…」
 エンドレステープになってしまった翼をそっと放して、ホドリのその頭を 取る。そこに現われた顔を見た途端、翼は一気に涙を溢れさせた。
「翼くん、やっと会えたね」
「……岬くん」
 後は言葉にならない。こちらで呆気にとられていた選手たちがここでやっ と駆け寄って行った。
「ずいぶんトラがいっぱいいたもんだな」
 松山が腕を組んだ。彼なりの感慨が、そのたくさんのホドリの中にいたは ずの一人に向けられる。
「トラは森に帰るさ。それでいいんだよ」
「淳っ!?」
 その背後から近づいて来た声に、松山がぱっと振り向いた。
「この野郎! 朝帰りとは許さねえからな!」
「ごめんごめん。頭の固いおじさんたちに手を焼いちゃっててね。君こそい つ帰って来たんだい? 僕のこと言えないと思うけど」
「俺は門限を守ったさ」
 胸を張る松山にまた日向の悪態が飛んでくる。三杉はようやく本来の自分 自身の場所に戻れたことを、そんな松山を見て実感したようだった。
「岬――」
 反町の声がそう呼び掛ける。翼と並んでこちらに歩いて来た岬を、3人は 見つめた。
「いろいろ疲れさせちゃったね」
「まったくだぞ。おまえも意地を張り過ぎなんだ」
 一番に口を開いたのは松山だ。
「そんなこと。――えっ?」
 その岬の頭の上からふわりと何かが掛けられた。もちろん、ホドリの頭部 ではない。
「IDカードだ…」
 掛けた三杉を、びっくりして振り返った岬だった。
「おかえり、岬くん。これは僕からのプレゼントだよ。ずっと預かってたん だ」
「うん」
「ありがとう、だよ、岬くん」
 翼が横から笑顔で注意する。
「うん。ありがとう」
「翼の言うことだけは素直に聞くんだからな、まったく」
 また松山が笑った。
「それより、早くその格好は脱いだほうがいいよ。トラ狩りが始まったら大 変だ」
「そうだね。確かに」
 三杉のアドバイスに、岬はうなづいた。
「それにさ、そのままだとまた勘違いした岬ファンが増えそうだもんね。第 二第三の佐倉さんがね」
 反町の言葉でふと見やると、さっきまで子供たちに向けられていた可愛い 〜の声がこちらに向けられている気がしないでもない。もっと小さな子供た ちが抱きつきたくてうずうずした様子で取り囲んでいるし。
「それは避けたいな、確かに。だって、気の毒だし」
 そんな会話を交わしている横から、さっと手が出てきた。
「ちょっとこれ貸して、岬くん」
 翼はホドリの頭部を持って別の方向へ走る。
「あっ、何しやがる!」
「わーい、こっちがほんとのトラだあ!」
 翼にからかわれて真っ赤になった顔が、投げ飛ばされたホドリの頭から出 て来た。
「日向くん、俺のことキライだろ。キライって言え〜!」
「ばかやろー!」
 どういう会話だろうか。どちらもこれで18才である。
 案の定、岬の目が光った。
「いつもあんななの、あの2人」
「そうなんだよ、岬くん。許せないだろう?」
 これに関してだけは意見が一致する2人なのだった。











EPILOGUE










「京子さーん! こっちです!」
 着いたタクシーに手を振る。小泉京子はそれに気づいて小走りにこちらへ
やってきた。
「間に合って本当によかったですね」
「ええ、あなたもいろいろご苦労さま。大変だったでしょ、お守りは」
「もう懲りましたよ。でも今日はご褒美って言うか…」
「あら、なあに?」
 目を丸くする小泉さんに、山本は嬉しそうに答えた。
「ロイヤルボックスで見られることになったんですよ。選手団の役員に割り
当てられていた所なんですが、もう十分堪能したから誰か使ってくれって譲
られて。不思議なんですが」
「でもラッキーね、それは。スタンドで見るよりずっと見晴らしがいいんで
しょう? さ、開会式開会式」
 少女のようにはしゃいでいる小泉さんについて行きながら、こちらもにこ
にことしてしまう山本だった。
 エレベーターで最上階へ行き、あとは赤じゅうたん敷きの回廊で結ばれた
ブースのそれぞれの入り口に向かうだけである。と、そのエレベーターを降
りた前で2人の女性に声を掛けられた。なんと着物姿である。
「あの、失礼します。23番に行くにはこちらからでよろしいのかしら?」
「あ、すみません。俺もここ初めてなんで…」
 日本語での会話はいいのだが、山本には役に立てそうにない。
「奥様、こちらに番号の案内がございますよ。いらしてください」
「あっ、駄目よ、幸さん。すぐに行きますから待ってて」
 解決したのかそのまま姿を消す2人組に山本はただ首をひねる。その間に
も京子さんは自分でどんどん廊下の先へ進んで行ってしまった。
「なんだったんだ、あれって…」
「和久さん、こっちよ。見つけたわ」
 ソウルオリンピック開幕の日。その開会式が今しも始まろうとしている。
スタジアム全体がその緊張と期待に、大きな鼓動のように揺れていた。
「京子さん、実は、ことづかってたものを返さないといけないんです。結局
誰にも渡せずじまいだったんで」
「何だったかしら…」
 ソファーに並んで座る京子さんが振り向いたところを山本氏はまんまと引
き寄せた。
「そう言えばそうだったわ」
 キスを終えてから京子さんはにっこり笑った。
「渡してくださってよかったのに。気にせずに」
「そんなあ、無理ですよ。努力はしたんですけど、結局あいつらって何でも
かんでも自分で片付けちまいますからね。――あ、そうだ。こんなふうに」
「何、これ?」
 山本氏が取り出した写真をしばらくいぶかしそうに見つめた京子さんは、
いきなり吹き出す。
「よーくわかった。あなたの言う通り、これじゃキスをことづける気にはな
れないわね」
 太鼓の荘重な音がファンファーレのように轟いて開幕を告げる。
 ひらりと落ちたその写真は、前夜のパーティに出席していたマダムたちの
間で焼き増しに焼き増しを重ねてしばらく大ブームを巻き起こすことになる
「可愛いカップル」の姿だった。





【END】









BACK | MENU




  あとがき
どうも長々とお付き合いくださいまして ありがとうございました。オリンピック 本番編と言いつつ、開会式で終わっちゃ いました。さて、サッカーの日本チーム はどんな結果を残したでしょうね。
なお、「実際の」ソウルオリンピックで のサッカーの金メダルはソ連でした。

                       ★こちらにひとことご感想をいただけたら幸せです→