ヘフナーが自分から電話をしたのはこれが初めてだった。
『ああ、ギュンターだ』
「昨日、あのマスターに会った。鍵は預けておいたからな」
なんとも盛り上がりに欠ける親子の会話である。長年すれ違いばかりの、
15才違いのそっくり親子ではあるが。
『なぜ? あれはおまえにやったんだぞ』
「俺にはもう必要ない。あんたが持ってるんだな」
もう、という言葉に微かな痛みを感じるヘフナーであったが、それをギュ
ンターと分け合う気はまったくないようだ。
「マスターには聞けなかったんだが――」
ヘフナーは少しだけ間を置いた。
「俺はどっちに似てるんだ?」
『無論、母親似だ』
例によって微塵も迷いのない断言ぶりである。世間の目とまったく違う価
値観を持っているのか、それとも…。
『おまえは知らんだろうが、若い頃の俺はパーマ頭の長髪でヒゲもじゃだっ
たんだ。当時のロックはみんなそんなもんだったがな。まあ、似ろと言うほ
うが無理だ』
「じゃあ、どうして今こうなっちまったんだ――」
ヘフナーのつぶやきは単なるノイズだと思われたらしい。
『あいつの写真さえ残ってればな…』
ギュンターの声がまた沈んだ。写真も、出身についての手掛かりも、そし
て本当の名前すら今ではわからないままである。
「よーくわかった。――いいか、俺はあんたよりも余計に秘密を握ってるん
だ」
『何だって?』
「だから俺にはその鍵は必要ない。あとはあんたに任せるさ」
ギュンターはミリの隠された名前を知らない。知らないということは、ま
た「会える」のだ。
「あの店には時々顔を出すことにした。マスターに約束させられたし」
『俺の言うことはきかんくせに』
息子の謎のような言葉は理解できなかったものの、ギュンターはそれでも
どこか嬉しそうだった。
「ピアノってのは、やっぱり俺のガラじゃない。それがわかっただけでも、
あそこへ行ってよかったさ」
『うん』
「――感謝するよ」
『…えっ?』
生まれて初めてのその言葉は、ヘフナーにとっても、ギュンターにとって
も一大事件だったろう。
『グスタフ!!』
ギュンターの驚きは、声に直接表われることはないが、しかし、ヘフナー
には十分だった。
「だから、二度と俺の前には現われるな。いいな」
『いや、待て、グスタフ。それはだな――』
分かち合えない記憶と痛み。
そして最期の「秘密」。それがヘフナーの口実が残したものとなった。
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VULCANO DEL PIANTO
誰も訪れない 山頂の湖(みず)に
沈んでいる夜の夢
霧が つめたい両の手をそっと添えて
音のない未明の月
殺された小鳥がうたっている
【ENDE】
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