a cup of day エピローグ                              







エピローグ





◆ 





 一夜明けると、シュナイダーはニュースの中心人物となっていた。 体を張ってハンザカ ップを窃盗犯から奪回したヒーローにされていたのだ。10年以上も前の金塊盗難事件。 そこに隠された秘密についての詳細がセンセーショナルに語られている。
 アパートでおとり役を演じた男も、アウトバーンをひたすら走ったニセ配送員の相方 も、そしてすべての指示を出していたカジノの経営者も、警察で厳しく取り調べを受けて いるはずだ。
「結局、モリサキは来なかったねえ」 
 広げていた新聞をバサリと下ろしてジノが一堂を見回した。
 ギュンター家は事件に関わった彼らの臨時の宿泊所となり、なじみの顔が揃っている。 警察の実況検分に2日に渡って付き合うことになったからだ。シュナイダーだけは飛び入 りで捕り物をしただけと判断されて既に解放され、ドイツ代表合宿が始まることもあって 一足先にマリーと共にハンブルクに帰って行った。彼の車だけは証拠物件として警察預か りとなったが、どうせあれでは運転は当分できないはずだ。 
「ねえ、ワカバヤシ?」
 期待を込めたジノとそしてヘフナーの目が向けられたが、ソファーに沈んだ若林は首を 振った。
「昨日、一瞬だけ話ができたんだがその後はまったく駄目だ」
「てことは…」 
 ジノの顔が輝く。 
「奥さんのところにいる可能性が高いね。違うかい?」 
「素直に最初からそうしてれば、ここまでこんがらかることもなかったんだ」
 あの人に会いたい、あの人に気持ちを伝えたい――そんな心たちを時間も空間も超えて 呼び集めてしまったということは、森崎自身がそう考えていたことに他ならない。それ も、誰よりも強く。
「モリサキは頑固な奴だ、相変わらず」
 ヘフナーが怒ったようにつぶやいた。
「いい人すぎるとキーパーはできないと言うが、あいつは度を越す『いい人』だからな、 それくらい頑固者でちょうどいいのかもな」
「俺は疲れるよ」
 ソファーに体を伸ばしていた若島津が口を開く。今朝一番遅く起きてきた彼は、体のあ ちこちが筋肉痛になっているとさっきからこぼしていた。猫活動の後遺症に違いなかっ た。
 その猫はと言うと、今まさに二階の子供部屋にいた。ようやくベッドを出てよしとなっ た3人の子供たちとそして剛さんが、一緒に思う存分遊んでいるはずだ。
「しかしハンザカップもビンゴじゃなかったんだな」
 新聞には鑑定の結果も報じられていた。アパートに集められた他のトロフィーと同じ く、これも金メッキにすぎなかったのだ。
「本当に、どこにあるんだろうな」
「それもまたロマンだよ」
 などと話しているそこに電話が鳴った。ジノが手を伸ばす。
「…えっ、ギュンター!」
 この家の主からの電話だった。こちら側でヘフナーがぴくっと眉を寄せる。
「ええ、こちらはもう朝です。子供たちもみんな元気ですよ。ショックも残ってないみた いで。おたふく風邪はもうすっかりいいですし」
『その猫のことなんだが――』
 アメリカはハリウッドに滞在中のギュンター・ヘフナー氏は、意外な告白を始めたのだ った。
「なに? サバランの飼い主はギュンター?」
「うん、ローザさんにもらった子猫をこっそり世話してたんだって」
 ジノが今聞いた通りに説明を始める。
 8年前ギュンターは結婚を機にこの家を購入したのだったが、その時既に隣は幽霊アパ ートの噂しきりで、実は住人はローザさん一人になっていた。彼女が飼っていた先代のサ バランが一度紛れ込んで来たことから顔見知りになったのだと言う。
 しかし、それから間もなくサバランは殺され、ローザさんはついに引っ越して行った。 『かわいがってくださったお礼に、いつか送りますから』
 何年かして彼女の故郷から遺言として届けられたのが同じ一族の子猫、今のサバランジ ュニアだった。
「ギュンターもね、猫好きなのに猫の毛アレルギーがあってどうしても家に入れられなく て、代わりにローザさんの思い出のあるアパートで子猫を育てたんだよ。エサもやって獣 医にも定期的に連れて行って、って具合に」
 さらにもう一つ、ギュンターは子供たちが自分のアレルギーを受け継いでいるかもしれ ないと恐れていたこともあった。
「そんなことは調べればすぐにわかるのに」
 ヘフナーがちらりと階上に目をやる。遺伝したのはアレルギーではなく猫好きの血のほ うだったわけだ。
「じゃああの猫は空きアパートをすっかり縄張りにしてシニアと同じ抜け道を使って暮ら してたと言うんだな」
「うん。そしてサバランを探そうとしてる時にギュンターは見つけてしまったんだ。空き 部屋の一つにクモの巣まみれで転がっていたトロフィーをね」
 ジノの言葉にその場の全員が押し黙った。ジノはウィンクする。
「ローザさんの遺言がそこまで考えてのことだったかは謎だけど」
「で、そのトロフィーはどうなった」
 若林が皆の疑問を口にする。困ったようにジノが苦笑した。
「もうここにはないって。ギュンターは、音楽祭で新設された賞のためにハリウッドで寄 贈しちゃったんだよ」








◆ 





 静かな風が吹き過ぎる夕方。その薄闇にはライン河を航行する船のシルエットが遠く行 き交っている。
 ユース代表が次にやって来たフランスのストラスブールは、そんなふうにのどかな時間 が流れていた。
「女の子だったんだな」
「はい」
 森崎は短くそう答えてにこにこした。
 こちらは練習を終えて道具を片付けている若林。ちょうど今フランクフルトの病院から 戻って来た森崎が報告に来たのだ。
「名前は決めたのか?」
「しづさんに任せてあります。俺の名前としづさんの名前を足してつけるって言ってまし たけど」
「まともな発想だな」
 こんな変な夫婦にしては。
 そう言いたげに若林は顔を上げた。
「おまえな、ここ1年以上嫁さんと会ってなかったと思うが、違うか?」
「ええと、そうですね。確かに」
 若林が何を言い出したのか、とちょっと驚いたように森崎は答えた。
「それで子供ができたってのはどういうことだ? おまえ、ちゃんと心当たりはあるんだ ろうな」
 いやはや聞きにくいことを平気で聞く奴もいるものである。
 しかし森崎は少し考えてから、あっさりと答える。
「ええ、ありますよ。時差が、ちょっとだけあるんですが」
「時差…」
 こちらも答えにくいことを平気で答えられる奴だからいい勝負だったかもしれない。
 その時差が、実は出産のほんの数日前だったのでは、という疑いが若林の頭をかすめた が、それは知らないほうがよさそうだった。
「いつまでやってるんだ」
「あ、若島津」
 どのへんから話を聞いていたのかはともかく、いつもの無表情さのまま若島津が現われ た。
「おまえの出産祝いをするってみんな張り切ってるから、早く宿舎に来い」
「ほんとに?」
 森崎はちょっと照れた。
「特に日向さんがやけに喜んでたからな」
「なんでだ?」
 森崎が駆け足で宿舎に向かう後ろ姿を見ながらこちらはゆっくりと歩いて行く。若林が かついでいるボールケージを手伝う気は若島津にはないようだ。
「ちなみに俺たちも祝ってもらえるようだから、おまえも急いだほうがいいぞ」
「え? おまえはまあ姪に当たるんだから分かるが、なんで俺まで?」
「初孫」
 ちらりと視線を寄越して、若島津はすたすたと先に立った。
 すっかり暮れたグラウンドの前、否定できない心当たりがたっぷりある若林は、ただ立 ち尽くすしかなかったのである。






【 END 】





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