●
このところ夢をよく見る。若林の夢だ。
「なんだって若林なんだ!」
思わず声が出てしまう。まるで俺があいつのことで頭がいっぱいみたいじゃないか。
若島津は苦々しく夏のヨーロッパ遠征の時のことを思い出した。彼らは単に代表ゴール
キーパーのポジション争いをしただけではない。彼らが最終的に目指そうとしているも
の、つまり彼らがサッカー選手である限りそこにあり続ける一つのゴール――大空翼と
いう男が彼らの眼前に示して見せた「夢」の形――への挑戦者として、あの時彼らは互
いの視線の先をはっきりと意識し合ったのだ。それはある種の奇妙な戦友意識とも言え
た。
若島津は手の甲で汗をぬぐうと、すっと立ち上がった。
人気のない道場を後にし、彼は母屋への渡り廊下へと歩を進める。広い庭にはうっす
らと霜が覆っていた。
若島津にはわかっていたのだ。自分の夢の原因が何であるかを。
――あいつの「力」のせいだ。
しかしその意味はまだわからない。嫌な予感だけがそこにはあった。
●
年末が近づくにつれ、森崎の家は上を下への大騒ぎになる。店にとって年に一度の書
き入れ時、年越しそばの仕込みに家族総出でかからねばならないからだ。店の構えこそ
大きくはないが、一応明治から続いている老舗である。近辺の馴染み客からは既に多く
の予約注文が集まっていた。
そういう店の主人である森崎勇太郎は、しかし職人気質とはもとより遠い、いささか
軽い性格の男であった。代々受け継いだ店の顔とも言うべき店名を自分の代であっさり
と変え、『そば処フランボワーズ』などとしてしまったことからも窺えよう。ほとんど
卒倒しそうになった先代の妻、つまり自分の母親に詰め寄られて、
「意味なんてないさ。でも、面白いだろう」
の一言でさらにトドメを刺したという前科まである。
森崎はそんな父を見ながら、自分も少しくらいは父親の性格を受け継いでもよかった
な、と時々思う。幸か不幸か、彼はいつも一歩下がって物事に対してしまう母親の地道
な性格を譲り受けていた。三男坊でありながら何やかやと店の手伝い――単なる猫の手
ではなく、経理からそば打ちの専門技術まで――に引きずり込まれ、二人の兄がしっか
り逃げ腰になっているこの由緒あるそば屋の次代を担う役を周囲から期待されている状
況も本人の意思とまったく離れて勝手に生まれたものであり、またそれにズルズルと引
きずられつつ大きな声で抵抗できずにいる自分を省みるにつけ、思わず母を逆恨みしか
ねない日々であった。
家族はあまり重要視していないことではあったが、この森崎有三は小学生の頃からず
っとサッカーをやっており、実は三年連続全国優勝チームの正ゴールキーパーでもある
上にさらには全日本ジュニアユースチームの一員としてこの夏のヨーロッパ遠征にまで
参加したという輝かしい経歴の持ち主である。経歴と実力が必ずしも一致するものでは
ないことを森崎自身よく自覚してはいたものの、一応高校進学後もサッカーを続ける心
積もりをしている彼は、この中三の冬が年末の家業の手伝いをする最後の年になること
を心密かに願っていた。なんといっても高校のサッカー選手権大会は正月に行なわれる
のだ。
|