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「なあ、俺たちどう動けばいいんだ、一体…?」
ベッドで横になって目を閉じているヘフナーに遠慮してか、森崎は声を低めて窓辺に
立つ若島津に呼びかけた。ヘフナーは一言、「しゃべり過ぎた」と言ってベッドに倒れ
込んだのである。靴のまま仰向けに大の字になっている。もっともこのベッドでは彼に
は小さすぎて足の先の分だけ宙に浮いているのではあったが。
若島津が答えないので森崎はヘフナーに視線を戻した。目を閉じてはいるが眠ってい
るわけでもなさそうだった。やはり母国語でもない英語で込み入った話をするのはヘフ
ナーとて疲れないわけにいくまい。森崎は知らなかったが、先ほどのヘフナーの発言量
はふだんの彼の1ヵ月分くらいに相当するものだった…(と、推測される)。
若島津はさっきからヘフナーのメモを読んでいた。若林が乗ったという434便に関
したいくつかの事項が読みづらい字で書きつけてある。ついでにドイツ語であったりす
るのでほとんど暗号解読である。
フランクフルト発、次にハンブルク――若林はここで搭乗。これが夕方の4時50
分。つまりアパートの爆破の時刻には若林は既に機上の人だったわけだ。シベリア上空
を越えて成田に着いたのが予定より1時間近く遅れての5時40分。入国審査に税関を
通って何やかやで、外に出たのは6時をはるかにまわっていたはずだ。
「すると――若林が俺たちに危険信号をよこしたのは成田に着いてそんなに経ってない
頃ってわけか」
突然若島津が声に出したので森崎が驚いて視線を戻した。
「『キケン』たってなあ、それだけじゃなんのことだか…」
「若林さん自身に危険が迫ってたのか、それとも俺たちに…。どっちかじゃないの
か?」
ぼやく若島津に森崎は不安げに応じる。
「ワカバヤシはたびたびおまえらにこういう通信を送るのか?」
二人がベッドのほうを振り向くと、ヘフナーは仰向けに天井を見上げたまま腕組みを
していた。
「いや、ふだんは全然。この夏に一緒だった時に2、3回あったけど…。なあ?」
若島津も軽くうなづいた。実際に「力」を持っているのは若林のほうであり、自分た
ちはそれを受けるだけでこちらから発信をすることはできない。もっともただ受けるだ
けと言っても、このヘフナー言うところの「受信能力」はゴールキーパーである彼らに
限られたものであって、それ以外の者には若林の力を持ってしても伝えることはできな
いのだ。
「俺は心配なんだが…」
顔のどこにもそういう感情を表わしていないヘフナーが口を切った。
「もしワカバヤシの身に何かが起こって、それを身内に伝えなきゃならん状況にいるの
なら、その後のことも含めてもうとっくに何か連絡して来てもいいんじゃないのか」
遠慮のない若島津は、その言外の意味を受けてあっさりと口に出す。
「つまり、それすらできない状況――たとえばあの世にいるとかってことか」
「なっ…!!」
全日本チームの某コーチ兼任選手なら心臓を押さえて立ちすくむところだが、あいに
くもともと心臓のない森崎である。それすらできずただ真っ白になってしまった。無
口・無愛想・無表情の三無主義で定評のあるこちらの二人はそれを見捨てて話を続け
る。
「第一、おまえらが聞いたという『キケン』の言葉だが、あのワカバヤシにしちゃずい
ぶん舌足らずだと思わんか」
「すくなくとも俺たちより雄弁なはずだ、あいつは」
「ということは、それだけを伝えるのがやっとだった…」
話の方向がどんどん暗くなっていく。
「ヘフナー、お得意の鼻は利かんのか」
「それなんだが、成田に着いてからの道中ずっと気をつけてはいたんだが、何も引っか
かって来ない」
「この近辺にはいないってことか…」
「それとも生体波そのものが既に途切れているか」
「――やめろよ! 若林さんを勝手に殺すなーっ!!」
突然反撃に出た森崎だった。肩で息をしつつ二人を睨みつけている。これでひるむ相
手なら森崎も苦労はしないだろうが、いかんせん相手は東西二大妖怪だ。
「お、もう正午だ。ニュースを見よう。若林が出るかもしれん」
ということで森崎の主張はあっさりと流された。腕時計に目を落とした若島津の提案
であったが、その言葉の意味を飲み込むのが一瞬送れた森崎が再度抗議しようとした時
には二人はさっさと背を向けて部屋を出て行こうとしていた。テレビは階下の食堂にあ
る。森崎も急いで後を追った。
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