Little Magic in the Air
国立競技場井戸掘り事件 1
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 年末年始と盆休みの数日、人口が著しく減少する東京は上空の色を一変させる。かつて高 村智恵子が東京にはないと嘆いた「ほんたうの空」が束の間現われるのだ。だが年が明けて 8日目ともなると空は徐々に本来の色――こちらを本来、と呼ばねばならないのは悲しいが ――に戻って行く。24時間フル回転し続ける超肥大化都市がいよいよ始動し始めたのだ。 「わー、来てる来てる。せっかくの休みの最終日に応援に駆り出して悪いねー」
 クラブハウスの2階にあるサッカー部ロッカールームの窓はまことに見晴らしがよかっ た。東邦山から唯一眺望のきく北東方向に向いていて、東京都心は言うに及ばず、条件さえ よければ関東平野をはさんで向かい合う筑波山系まで望むことができるのだ。
 が、窓にはりついていた反町は別に「ほんたうの空」や関東平野を観賞していたわけでは ない。忙しそうに動き回っている仲間たちに一人背を向けて、今日の試合の応援団を――こ とに女の子たちを熱心に品定めしていたのだ。
「こら、反町、一人でサボってんじゃねーよ!」
「サボってないもーん。もう用意できちゃったんだもーん」
 まるで待っていたかのようなノリの良さで反町は松木に振り向く。指さす先にはなるほど きちんとバッグが置かれていた。
「俺、手際がいいの」
「調子がいい、の間違いだろ」
 今度は通り過ぎながらの島野の言葉である。反町の顔がさらに輝いた。
「そう、それそれ! 俺ってさ、顔はいい声はいい成績はいい調子はいいのいい事ずくめ。 やー、まいっちゃうよ」
「その分、性格の悪さで十分オツリが来るから大丈夫」
「だねっ!」
 嬉しそうに同意するあたり、あまり島野の真意は伝わっていない様子だ。もっとも島野も 今さらという気があるのか、それ以上相手にせず、すたすたと行ってしまった。
「なになに、健ちゃんってばそのタオルの山!」
 反町はくるりと方向転換すると、今度は隅っこのキーパーに目を留めた。周囲が騒ごうが あわてようが一切気に留めず若島津はマイペースで荷物を詰めているところだった。これが またとんでもない数のタオルである。
「今日の試合用だ。おまえも用意しておけ。水難の相が出てるぞ」
「やーだなぁ。水難より女難でしょ、俺のばーい」
 ちょうどドアが開いてマネージャーがバスの出発を告げたので、どこまでも果てしなく軽 快な少年は若島津の忠告をその場で置き去りにしてしまった。
「ほら、若島津も早く来い!」
 3年生に呼ばれて若島津はちらりと目を上げた。ドアの前で日向が無愛想な顔をこちらに 向けている。それを確認してからやっとファスナーを閉め、若島津は立ち上がった。
「若島津にしちゃ珍しいマジな冗談だな」
「おまえもそう思う?」
 鍵を掛けつつマネージャーが呟き、それを待ってやっていた川辺がうなづいた。
「でも予報はこの先一週間ずっと晴れ、だぜ」
「天気にかけちゃあいつのカンは気象庁より正確だけど…」
 それにしたって極端な…、と二人が見上げた空は、確かに申し分のない正真正銘の晴天だ った。







「あらら、そこにあるのが鏡じゃないなら、岬クン? 奇遇だねえ」
 キックオフ10分前。グラウンドに向かう通路で両チームが顔を合わせるのが奇遇なら世 話はない。TPOを無視した反町のお気楽な挨拶に、南葛高校キャプテンは営業用エンジェ ル・スマイルをつい引きつらせてしまった。
「緊張感のカケラもないのか、あいつは…」
「相変わらずで、いーんじゃねーの」
 世間様は永遠のライバルと呼んでくださるが、たかだか2年連続の対戦が「永遠」では浮 かばれない。もっとも中学生大会から通算すればもう少し長くはなるが、それでも5年目 だ。列の後ろに続きながら井沢がこぼすと、同じFW同士達観しているのか滝がフォローす る。こちらも緊迫感がそうあるようには思えない。たまたま横に並んでいた小池がすまなさ そうに目でうなづいた。
「あ。と、森崎…」
 列に先行していた若島津が振り返って相手の位置を確認し、ふと足を止める。森崎はいつ ものように南葛のしんがりをつとめていた。
「えっ、な、何だ、若島津…?」
 グラブをしきりに直しながら森崎は緊張しきった顔をうつむけていたが、掛けられた声に びっくりしたように反応した。試合直前に対戦相手と言葉を交わすなどと考えたこともない タイプなのだ、こちらは。ましてやわざわざ指名して、となると只事ではない。
「実は『夢』のことなんだが…」
「え…?」
 聞き返そうとしたちょうどその時、背後からの声が彼を凍りつかせた。
「よう、森崎」
 東邦学園エースストライカーが、二人に、いや森崎に険しい目を向けていた。
「こいつに何か用か?」
 ずかずかと歩み寄ると、若島津の肩を脇に押しやるようにして間に割り込む。有無を言わ せぬ迫力だった。
「い、いや、俺は何も…」
 そう、呼び止めたのは若島津のほうなのだ。森崎にとってはとんでもない言いがかりだっ た。
「ならいいさ」
 ちょうど審判団が現われ、選手たちに整列を促した。短く言い捨てて通路の先を睨みつけ た日向の目が猛虎のそれへと一変したのを見て、森崎は瞬時に我に返った。
 その四角い光の先にはフィールドがある。そしてキックオフ――決勝戦が始まるのだ。
 若島津はとうとう森崎に伝えられないままとなった。





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