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1年の時から同年代でレギュラーを占めていた南葛に対し、東邦は良くも悪くもスポーツ
名門校の層の厚さを特色としていた。むろん物を言うのは実力のみだが、ここで「南葛」に
不慣れな先輩が数人混じっていたことが東邦の最大のネックとなった。去年の大会、今の3
年生は一人もレギュラーに入っていなかったのだ。キックオフから数分も経たないうちに若
島津はそのことに気づいて舌打ちした。
「クロスを出させるな! 右を押さえろ!」
両ウィングバックがその3年生だった。南葛ハーフ陣の自由奔放なポジションチェンジに
いいように振り回されている。これは技術の問題ではなかった。言ってみれば「教科書にな
い」プレイなのだ、南葛の連中は。もっともサッカーにはもともと規範などというものはな
いのであるが。
「あいつらは度を越してる」
それが若島津の見解だった。普段の無表情な寡黙さに対してフィールドでは人格が180
度変わると言われている彼だが、それはキーパーとして当然の職務と言うものだ。とりわけ
こういう状況では大声を出し惜しみしている余裕はない。
「下がり過ぎだ! ゾーンを崩すな!」
長短のパスを自在に織り交ぜてなだれ込んでくる南葛の中心にいるのは言うまでもなく岬
だったが、彼はあくまでパーツの一つとしての役割に徹していた。慣れない者は岬の表面的
なテクニックに目を奪われてついマークを集中させがちになるが、それが命取りだというこ
とが3年生にはまだわかっていないに違いない。
「川辺!」
最終ラインにいた川辺にとっさに合図する。左に駆け込んで来た滝の動きにつられそうに
なった先輩を突き飛ばすようにしてきわどくオフサイドに持ち込んだ。
「そろそろ限界、か」
フリーキックを右ライン側に指示しながら若島津は口の中でつぶやいた。センターサーク
ルの向こうに日向が見える。前半も半ばにさしかかり、そのほとんどが自軍でのボールの奪
い合いに費やされて決め手を欠く展開となると、ゴールゲッターとしてのFWのイライラは
かなり積もっているはずだ。だが日向がここでディフェンスに関わりすぎればまさに南葛の
思うつぼということになる。
川辺のプレースキックはセンターを越えた地点でヘディングの競り合いになったもののそ
のまま3年生のハーフに渡った。南葛のバックスもしっかり戻って固めているからいったん
島野に戻してからライン際を壁パスで持ち込んで…。
「げ…」
そんな若島津の思考をいきなりぶっちぎったのはほかでもない猛虎の一吠えであった。
「あーあ、切れちまった…」
島野に届く寸前でボールが消えた。と思ったらいきなり日向の豪快なドリブルである。意
表を突かれながらもそれを防ぎにかかった南葛バックス陣を彼なりのフェイントでなぎ倒し
つつ突き進む。ようやくチャンスらしいチャンスを迎えてバックスタンドの東邦応援席が大
きく沸きかえった。
「…っつ?」
その時、若島津は頭の片隅にチクリと痛みのようなものを感じた。
「気のせいかな…」
頭をバサッと振って相手ゴール前に目をこらす。日向のスパイクが空を切って一瞬キラリ
と光を反射したのが見えた。と同時に石崎と高杉らしき姿がその前に交錯する。
悲鳴のような、ため息のような声が応援席から上がった。日向のシュートは森崎の指先に
わずかに弾かれて、クロスバーの上をかすめて行ったのだ。
「ヒットのタイミングがズレてたな」
若島津はぼそりと言った。野生の勘の持ち主にしては珍しいミスのように思えた。あせ
り、と言うより気持ちのほうが先走ったのか。コーナーキックに備えて両軍の選手たちがゴ
ール前に集まってくる中、ゴールエリアの前で日向はまだ同じ姿勢のまま正面を睨んでい
た。睨んでいる先はもちろん気の毒な森崎である。
「逆恨み…」
同業者として当然の感想をもらす。キーパーがシュートを阻止して何が悪い。それとも日
向は自分のほうのミスだと気がついていないのだろうか。
しかしこれで日向に火がついてしまったようだった。ファーポストに入ったボールはいっ
たんヘッドでクリアされたがすぐ東邦に渡り、ペナルティエリアの前で激しい混線となっ
た。徹底したマンツーマン、いや複数のマーカーを日向につける作戦に出た南葛は決定的チ
ャンスの寸前で食い止めてはいたが、東邦も分厚いフォローアップで一歩も引かない。戦術
などとっくにどこかに忘れ去られ、ゴールに向かおうとする日向のパワーだけがフィールド
を席巻する。
「たいがいにしてほしいな」
「えっ?」
ボールはぱったりと来なくなった。21人のプレーヤーが南葛陣内に詰めっぱなしという
状態である。それでもゴールキックのたびに律儀に後退してくる今井が、キーパーの独り言
を聞きつけて妙な顔をした。
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