BITTERSWEET CRISIS                             プロローグ






プロローグ








「おやぁ、これって映画のロケ?」
 ここは武蔵高校正門。
 ビクトリア朝風の装飾を施した門扉の陰から突然姿を現わしたのは、こちらの二人と同年代 の――いや、そればかりか、まったく同じ面差しの少年だった。
「一樹!」
 ある意味緊迫した空気の中、風体の良くない集団に囲まれていた松山が振り返りざまそう呼 びかけると、彼反町一樹はにっこりとそれを受け止めた。
「お久しぶり、光。ああ、淳もご健勝のようでなにより」
「どうしたのかな。うちとの試合は明日のはずだが」
 いきなり始まったなごやかな会話に、囲んでいる男たちは思わず絶句していたが、それには まったく構うことなく三杉は振り返って穏やかな笑顔を見せた。
 既に月例会と化している武蔵と東邦の練習試合であるが、カジュアルを過激に通り越した反 町の私服の着こなしを見れば、サッカーをやりに訪れたのでないことは明らかである。
「別に日を間違えたわけじゃないから。久々の下界なもんで、一日早く山を降りてさ、今夜は 自宅で1泊ってわけ」
「すっかり仙人が板についたようだね。登場のしかたが実にドラマチックだ」
「淳のお墨付きをいただけるとは光栄だなーっ。いや実はちょっと早急に耳に入れておきたい ことがあって足を運んだんだけど、忙しいなら出直したほうがいい?」
「遠慮はいらねーぜ。ゆっくりして行きな」
 にんまりと松山が返した言葉に軽く応じつつも、反町はスキのない動きでじりっじりっと防 御体勢に入り始めていた。
「そー? まあ、あちらの皆さんも同意見のようだし、お言葉に甘えるかな?」
 この状況をまったく無視した3人のペースにしばし幻惑されていたお兄さんたちだが、反町 の視線が自分たちに向いたのを見てようやく本来の目的を思い出したらしい。新たにまた一人 増えた「同じ顔」トリオに向かって、あわてて輪をせばめ始めた。
「淳! おまえ、病人のくせに独り占めはずるいぜっ!」
「なら、こっちの一人まわしてあげるよ、光ちゃん」
 ひょいと身をかがめた反町の頭上を勢い余って飛び越した男がそのまま松山のふところに飛 び込み、あっさりひじ打ちに沈んだ。その隣では既に7、8人を相手にし終わった三杉が手持 ち無沙汰そうに反町のフィニッシュを見届け、パンパンパンと手を打つ。反町の必殺眠り猫キ ックを腹に受けた最後の一人はたっぷり3メートルは吹っ飛んで、先客の中へどっとばかりに 落下した。
「見事だよ、一樹。4年間の山ごもりの成果というわけだね」
 あまり誉められている気がしない。が、そこはそれ、お互いに慣れているのだろう、はた目 には何の邪気もなくにっこりと微笑み合う。地面に沈んだ状態でそれを目撃してしまった息絶 え絶えの男たちにはこれが最後のトドメとなった。
「淳こそフェイントなしでいくなんて、とっても無謀で素敵」
「ありがとう」
 こういう都会育ちの屈折率にはとうてい及ばないことを最初から悟っている松山は、そんな 会話からはさっさと離れると、転がっていた一番手近なお兄さんを片手で吊り上げた。
「自己紹介がまだだったな。俺は松山ってんだが、あんたらは一体誰なんだ?」
「…くっ、くるし……」
 襟首を締め上げられて、赤茶けたパンチパーマの男が情けない悲鳴を上げる。松山は口の端 でニヤリと笑った。
「うんうん、言いたくないならいいんだぜ。ただな、俺たちとしてはわざわざこうして訪ねて 来てくれたお客さんを何のもてなしもせずに帰らせるのは申し訳ないんでねー」
「あーっ、光ってばいけないんだ! そんな行きずりの相手に迫っちゃうなんて。日向さんに 言いつけちゃうぞ」
「日向が何だとっ!」
 くるりと振り向いて勢いよく立ち上がった松山の手にはまだしっかりとそのお兄さんの襟首 があったりするので、反町は逃げつつもその助命をしてやる。
「ほらほら、何か言いたがってんじゃない? 放してやれば?」
「お?」
 松山が手を離すと男はがっくりと地面に膝をついた。
「オ、オレたちは金をもらって雇われただけなんだ…、この写真のヤツを痛い目にあわせろっ て…」
 ようやく息が戻った男が咳き込みながら出した写真を、松山は荒っぽく奪う。その肩越しに 反町がひょいと覗き込んだ。
「おやおや? これ、太郎くんじゃん!」
「たぶんそういうことだろうと思ってたよ」
 17才とはとうてい信じられない落ち着いた物腰で三杉は内ポケットから革製の手帳を取り 出し、ボールペンを添えて男に手渡した。
「じゃ、ここに電話番号を。君たちの依頼人のね。なんだったら僕らが君たちの報酬の上乗せ を掛け合っておいてあげよう」
 男は手の震えを押さえながら8桁の数字を走り書き、手帳を三杉の手に返すが早いか後も見 ずに駆け出して行った。残りの連中もその間にその場から姿を消してしまっている。
「あいつら目が悪いんじゃないの、こんな善良な高校生にびびっちゃったりして」
「確かに悪いようだな。岬と俺たちの区別もつかないんじゃな」
 愉快そうにその後を見送る反町と松山の横で、一人三杉だけは真面目な顔で写真をその電話 番号の書かれたページにはさみ、またそれを内ポケットにしまった。
「一樹、ひょっとして君がご注進に来た情報っていうのは…」
「あ、た、り。ゆうべネットをいろいろまわってたらさ、飛び込んできたんだよね、緊急情報 が。――『岬が動き出した』って」
 一見しただけでは確かにわからないであろうそれぞれの小さな相違点を各々の顔に際立たせ つつ、3人はゆっくりと目を合わせ、無言で小さくうなづき合ったのだった。












「前の騒動からそろそろ1年か…」
「そーそー、去年の夏以来だもん」
 私鉄駅前のロータリーを窓の下に見下ろしながら、3人はグラスのドリンクを飲んでいた。 土曜の午後とあって店内はけっこう混み合っていたが、その中にあってもこの高校生3人組の 見目の良さと、何より3つ同じ顔が並んでいるというそのことがしっかりくっきり周囲の人目 を引いていた。
「今度は何だろーね、一体」
「まったくあいつは厄介ごとしか持ってこねーんだからな」
 16才でソルボンヌ大学に進学した岬太郎は、国際政治学の研究においてふとしたきっかけ から一躍その名を広く世に知らしめることになったのだったが、今やその動向が速報としてリ アルタイムで世界各地に伝えられるという有名人となっていた。が、そんな天才少年も身内か ら見ればただのトラブルメイカーでしかないらしい。5年前に父親と渡仏して以来パリに居を 構えているはずの彼は、しかし普段は完全にその所在を伏せて暮らしており、実の父親でさえ 息子が今どこにいるのか関知していないという状態だった。そのくせいったん動き始めるとな ると、散歩と称してとんでもない場所に――しかも間を置かずに地球のこちら側とあちら側に ――出没したりするものだから、分身を使っているのではないか…などと真剣に取り沙汰され るほどだった。もちろんそうでないことは現に分身である彼らには明白であったが。
 「厄介ごと」と言っても様々で、「あー、びっくりした」で済むものから身の危険をも感じ させるものまでそれはそれは意表を突いたものばかりなのだが、常に間違いない点はそれらが 何らかの形で彼らを巻き込まずにおかないということだった。
「去年のアレも大変だったよねー」
「ああ、散々な目に遭ったぜ。俺はあらぬ噂に追い回されたし、淳はすんでのとこで…」
「彼は日本に来ているね」
 のんきな会話を途中でさえぎるように三杉がきっぱり断定した。思わずその顔をぎくりと振 り返ってしまった松山と反町である。
「さっきのお兄さんの証言だが、どうも単純な人違いとは思えない」
「どういうこと?」
「考えてもみたまえ。あんなシロウト連中にあの岬くんを見つけ出して手を出すなんてことが 可能だと――少なくとも彼らに依頼した人物が考えると思うかい?」
「なるほど、そういやそうだな」
 松山が腕を組んだ。反町も目を見開く。
「じゃ、つまり…」
「そう、今日のイザコザはやっぱり僕たちがターゲットだったってこと」
 三杉の目が鋭く光った。
「そしてこの襲撃によって何らかの牽制をしようとしたんじゃないかな。または僕らを襲うこ とによってある人物をおびき出すのが真の目的だったとすれば…」
「その人物はそう遠くない所にいる、と」
 テーブルをはさんで納得しあう三杉と反町から目をそらし、松山は頭を抱えて大きくため息 をついた。
「またこれだ…」
「文句は直接本人に言おうよねっ」
 上目遣いでにらみつけられて反町はにっこり笑顔で対抗した。
「その本人がすぐに出てくれば、の話だけれどね」
 三杉の言葉はいつも正しい。だから余計に救いがないのだということを、松山はつくづくか みしめずにはいられなかった。









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