BITTERSWEET CRISIS                             エピローグ






エピローグ










「あんたたちって結局極め付けのバカなんだわ!」
「か、母さん…」
 反町が脱力した。
「せめてその上にサッカーをつけてよ。それだったら言われ慣れてるからさ」
 息子の嘆願にも、しかし事のいきさつを聞かされた母親は動じない。鋭く病室内をにらみ渡 す。
「つけてもつけなくても同じよ。どうせあんたたちにはそれしかないんだからね!」
「む、むごい…」
「でも当たってるからな」
 松山は最初から悟った顔でどんぶり飯をかき込んでいた。
「ほら、淳、おまえももっと食わねえと回復が遅れるぞ」
「もう十分食べたよ」
 三杉はベッドの中でにこにこと松山の食欲を楽しんでいた。
「そうか? なにせ朝メシ抜きであちこち飛び回ったんだからな…。昨夜から休みなしでよ」
 反町の母は肩をすくめた。
「それもこれも互いに泥をかぶり合うためだったって? 呆れるわね…」
「で、どこまで書くおつもりですか?」
 反町の母は目を丸くして三杉を振り返った。
「ジャーナリストとしての立場と、母親としての立場、どちらをどう折り合わせるか、ってこ とですけどね」
「――私は息子は4人もいらないわよ」
 しかしさすがに彼女は踏みとどまった。
「どの一人でも十分過ぎるわ。母親なんてのはね、理屈ではとてもやってられないんだから」
「確かに理屈ではないようですね…」
 三杉は昼過ぎに早くも届いた母からの荷物第一弾を思い出して苦笑した。そのほとんどが 「4人分の」衣服類であったのだ。彼の母にとっては、母親業は一種の道楽にさえできるもの らしい。
「でもさ、田島さんが東邦で撮りまくった写真は消えてくんないぜ」
「あ、あれなら小泉理事がほとんど没収しちまったらしいぞ。検閲、とか言って」
 不安そうに口をはさんだ反町に、松山がにやにやと答えた。三杉のトレイにトンとどんぶり を戻す。
「田島さんもよほど弱みを握られてんだな」
「そりゃ、相手は日向小次郎を人質にとっているんだ。立場は強いはずだよ。もっとも証拠写 真が彼女の手に渡るというのは僕らにとってはあまり嬉しいことじゃないが…」
「ま、いいでしょ」
 反町の母はぱんと手を打って立ち上がった。
「私は帰ります。夕刊の〆切が迫ってるしね。一樹、あんた葉月をちゃんと送ってってね」
「え、葉月? 来てんの、ここに…?」
 母親はドアのところで振り返った。
「あの子も今日は学校は自主休業だって。さっきから岬くんの病室にいるみたいよ」
「なんだってぇ!!」
 反町は椅子から飛び上がった。母親を追い越し、そのまま廊下を走って行ってしまう。
「岬〜、おまえに葉月は渡さんぞーっ!」
 それを見送って三杉が苦笑した。
「結局みんな弱点だらけだってわけだね」
「そういうこった」
 松山は大きく伸びをする。
「問題はその執着をどのへんで割り切るかってことじゃねえのか?」
「ふうん。君は?」
 ベッドの中から三杉が問いかけた。松山は一瞬視線を三杉にとめ、それからソファーに深く もたれて天井を見た。
「――さあな」
 月曜日午後一時。日本はやはり平和だった。












 成田空港の出発ロビーはいつも通り混雑をきわめていた。ヴァリグ・ブラジル航空のブース の前、日向小次郎は目いっぱい不機嫌な顔でチェックインの順番を待っていた。横では若島津 がカウンターに寄りかかって入国カードの代筆をしている。
「心配いりませんよ。直行便ですからね。要は終点まで座ってりゃいいんです」
「心配なんかしてねえよ」
 荷物と言っても機内持ち込みの分しかない彼は手続きもすぐ終わり、受け取った搭乗券をご そごそ胸ポケットに入れた。
「じゃ、あの2人ですか?」
 若島津は日向のパスポートを取って、口の端に人の悪い笑みを浮かべた。いつのまにか増え てしまった出入国スタンプであふれるページに記入済みのカードをはさんで日向に返す。
――本当なら絶対君に譲りはしないんだがね、この役。
――ボクもだよ、小次郎。
 東邦大災害の日、とりあえず病院に担ぎ込まれた四つ子と日向小次郎は、午後になって反町 の父からの連絡で、翼は無事に収容され重傷ながら生命に別条なし、と聞かされてまずはほっ としたのだったが、合わせて伝えられた翼本人からの伝言が今度は別の騒動を引き起こしたの だ。このとげとげしい言葉にさらされた日向のプレッシャーはかなりのものだったわけで。
『オリンピック参加のための最終確認をしたい。代表メンバーの誰かに来てほしい』
「あの、ワガママもんが…。今度の騒ぎ、一体誰のせいだと思ってるんだ」
「あんたのせいでしょ」
 きっぱり決めつけられて日向はぐっと詰まる。にらみ返しても若島津の顔に変化があろうは ずはない。
「結局、翼に必要だったのは何だったのか、って点ですよ。考えてもごらんなさい、あいつが 今まで誰かの助けを求めたことがありましたか? まあ発端が岬のとんでもない研究にあった にせよ、あいつはすべての結び目を力ずくで自分の所に引き寄せちまった。重圧をすべて自分 一人で請け負っちまったんだ。そんなメチャクチャな奴にこれ以上何かが要るとしたら、あと は『娯楽』、これしかないでしょう」
 この間から沈黙を守っていた分だけ一気にしゃべり出した感があった。日向はややたじたじ となる。
「俺は翼のオモチャか」
「そうです」
 教えてなんかやるものか、絶対に! 若島津は心の中でうそぶいた。二人でいつまでも呪文 のかけっこでもなんでもやっていればいいんだ。もはや解くカギがどちらにあるのかさえ判ら なくなるくらいに。
――あんたはあんたであるだけで翼の救いになってしまう。翼があんたにとってそうであるよ うに…。
「あれで翼をかばってるつもりだったんですか」
 若島津は歩き出しながら日向に横目をくれた。
「日向さん、あんたバカです。平和主義者かどうかはともかくとして、これだけは断言してあ げます。あんたはバカだ」
「あいにくだったな。そんなこたぁ俺だってずっと前から判ってるぜ」
 日向は少し嬉しそうな顔になった。
「これくらいバカでなけりゃ、あいつとタメ張れねえだろうが。あの世界一のバカ野郎とよ」
「いつまでもそうやって張り合ってなさい。どうせ勝負はつきっこないんだ」
 二人はボーディング・ボードの真下に来て足を止めた。
「妬けるか」
「妬けますね」
 若島津は手にしていた日向のスポーツバッグを渡した。
「でも覚えといてください。翼はあんただけのものじゃない」
 日向はエスカレーターの前で振り返ってにやりと笑った。
「あいつは誰のもんでもねえぜ。翼は翼のもんだ」
 そして日向は発っていった。












「一つ訊き忘れてたんだがね」
「なに?」
 ここは都内の東邦学園大付属病院。過労と貧血で大事をとって一晩を過ごした岬が、やはり 発作の後の検査に丸一日費やした三杉の病室に来て、窓べりに並んで外を見ていた。
「君の問題のファイルだが、例の指紋の主は結局誰だったんだい?」
 岬はちょっと表情を動かした。が、すぐいつもの余裕ある笑顔に戻ってきっぱりと答える。
「ボクの父さんさ」
 個室の入り口でドカンバタンと音がした。三杉はちらっとそちらを見やってから岬に向き直 る。
「なるほどね。君よりずっと長生きしそうだし、あの人なら」
 岬は鷹揚にその皮肉を聞き流した。何よりも、皮肉と言うには少々真実に近すぎる気もした ことだし。
「ねえ、三杉くん」
「なんだい、岬くん」
「ボクら、不本意ながらずいぶんトラブルメーカー扱いされてきたけどさ、なんたって天下無 敵のトラブルメーカーはあの二人なんだよね」
「同感だよ」
 三杉は片目をつぶる。
「本人たちに自覚がないだけにね。あの相乗効果は僕たちが何人がかりで相手しても太刀打ち できないさ」
「2万キロの距離もものともせず、だものねぇ…」
 窓の外は青く高い空。そして病室の入り口では見てはならないものを見てしまった松山と反 町が呆然とたたずむ。
「宿命の仲、か」
 つぶやくように言って岬を振り返った三杉の顔にゆっくりと笑みが浮かび上がってきた。同 時に岬も天使の微笑を返す。
「そういうのって――潰しがいがあるんだよね」
「そういうこと」
 束の間の安息も、遠からずフィールドの熱気にのまれて行くことだろう。オリンピックアジ ア予選は新生代表チームを迎えて、あと数週間後に迫っていた。












【END】









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BITTERSWEET CRISIS
   

どこが原作設定、と言われても仕方のない無茶なシリーズです。本当に。
時代を少し現在に近づけてみましたが、まだ足りないかな。
とりあえず、出入国カードは今は必要なくなりました。(笑)
一応、一話完結のつもりですが、シリーズはまだ続きます。えへ。