BITTERSWEET CRISIS                             第4章−6








6 ドリーミング・ブルー






「…だけどな、いくらなんでも偶然すぎやしないか?」
 反町氏は木のテーブルを指でこつこつ叩いた。
「どこかのハッカーの気紛れがたまたま飛行中の輸送機を選び当ててしまった…。それがさら にたまたまクーデター軍への支援機だった、って? うますぎるよ!」
「しかしなあ…」
 隣でビールの瓶をつかんでいるスウェーデン人が首を振る。
「逆に考えてみろよ。目当ての機をどうやって探り当てられるってんだ? 相手はペンタゴン だぞ。よほど内部に通じているか、いっそ内部の人間の仕業か…」
「だが、侵入者は米国内のサーバ回線を使ってたって言うじゃないか。当局はN国の政府、あ るいはどこか赤い星をつけた国あたりをにらんでるそうだ」
「N国はともかく、あっち方面がそういう迅速な動きをするとは信じられんね。第一、支援の 事実そのものをいつキャッチできたって言うんだ。まるで事前に察知していたかのような周到 さだ」
 首都サン・バルトロの『民宿街』の一角にある居酒屋オリヴェイラでは、クーデターの市街 戦による後遺症をものともせず、今夜もかなりの数の外国人ジャーナリストたちが集まってい た。とは言え今夜ばかりはいささか情報交換にも熱が入る。今回の顛末について内外からの新 情報が入り乱れている中、何が真実か、先の見通しはどうか、彼らもそれぞれに「まとめ」段 階に入ろうとしていたからだ。
「これはまだ噂の段階だがな…」
 米国人の記者が声をひそめた。
「くだんのハッカー君、足跡を残してるらしいぜ」
「なんだって!」
「まさか…!」
 あごひげを無造作に伸ばしたその男は、自分の情報が同業者たちの間に一波乱巻き起こした ことに満足した様子だった。ひとわたり周囲を見渡したところでもったいぶって口を開く。
「侵入されたオペレーティング・システムのドアのあちこちに、捨てIDが残ってた、って言 うんだ。――SLEEPY、ってね。そいつ、よほどハードワークで眠かったと見える」
 座の一同がどっとばかりに笑い崩れた。世界はまだユーゴ空爆を忘れていなかった。ペルシ ャ湾の空を真っ黒に染めたイラク攻撃の記憶もまだ生々しい。米国は国際世論の攻撃を恐れた はずである。
 結局N国反政府分子への支援の事実は、ペンタゴン内部の一高官の個人的犯罪の結果、と言 う形で処理された。何より、その高官が兵器産業との癒着の中で早い時期からN国の反政府勢 力と計画を進めていたらしいという話は、どこまで信じられるかどうかはともかく、米国政府 にとってはホワイトハウスへの追及をとりあえずは回避できる材料ではあったわけだ。
「当てにしてたクーデター軍にとっちゃ、致命的な『事故』だったな。あっさり反乱を収めざ るを得んくらいに」
「だが、いい眠気ざましになったろうよ、さぞかし」
「ああ、ペンタゴンにはこれくらいの風穴がちょうど必要だったんだ」
 盛り上がる同業者の間にはさまれて、反町氏は一人眉をひそめてグラスを口に運んでいた。 どうにも嫌な連想が彼の頭に浮かんで消えないのだ。
 ――SLEEPY、だって…?
「まさか、な…」
 彼の長男は遠い山の上でサッカーに打ち興じているはずであった。――そう、たぶん。
















「ビセンテ村の被害は最小限に食い止められたそうだよ。さすがに歴史ある『砦』だな。ミゲ ルも村の人たちも無事だそうだ」
 サンターナは無言でうなづいた。微笑むソルテス大統領も頬に――サンターナとほぼ同じ場 所に――バンソーコーを貼っている。少し離れた滑走路の先では、サンパウロFCの選手・ス タッフたちが、大統領本人と向き合って会話している元同僚に、驚嘆の目を向けていた。
「大会が中止になってしまったのは私にとっても残念なことだ。特に一足先に来ていた君たち のチームにはとんだとばっちりだったね。申し訳ないことだった。せめて帰途の無事は祈らせ てもらうよ」
「感謝しています、大統領」
 サンターナは心からそう言った。当分閉鎖が続くであろうはずの空港から、特に便宜を図っ て特別機を用意してもらったことはもちろん、彼の言う「感謝」の中には一言ではとうてい言 い表せない様々な感慨が混じり合っていたはずである。
 ソルテスは穏やかに微笑した。
「君のためだけじゃないんだ。――そう、君の親父さんのため、親父さんの流した血のためで もある。私たちの現在は過去の多くの犠牲の上に成り立っていることを私は決して忘れない。 だってね、今のこの模索も苦闘も私たち民族自身の、未来との闘争なんだからね。私たちは飢 えている…。腹を満たし、そして自由への望みも満たさねばならない。自分たちこそが世界を 引っ張っている、などと思いこんでいる大国のエゴに振り回されている暇はないんだ」
 熱い思いを敢えて静かに語る若い大統領のその目を、サンターナは緊張した表情で見つめて いた。
「どんな問題も一夜にして解決することは不可能だ。だが、その不可能をも可能にしうる奇跡 を、私たちは国民の心のひとつひとつに植え続けねばならない…。ただの一人も欠けることな く、全員にだ。――どうだい?」
 ソルテスは言葉を切って片眉を上げる。サンターナは黙って深くうなづいた。そして手を差 し出す。
「ここで、いい休暇を過ごせました。ありがとう」
「あの少年は――」
 強く手を握り返しながら大統領は言った。
「私が今さら言うまでもないだろうが――あの子は爆弾だよ。体いっぱいにひどく厄介なもの を抱え込んでいるようだな」
「ええ」
 サンターナは大統領の言わんとしていることを察して、ここで初めて表情を緩めた。
「僕らはそれを夢、と呼んでいます」
「うん、そうだな。――きっとそうなんだ」
 大統領は自らに言い聞かせるようにそうつぶやくと空の向こうに目をやり、それから見送り のジープに乗り込んだ。
「じゃ、3年後に会おう。君も、あの坊やもね」
「は?」
 サンターナはぽかんとした。
「ワールドカップだよ。次の開催国は君の国じゃないか。君がおふくろさんの国籍を選んだの は我が国には残念なことだが、君にとっては幸いだったわけだ。うちはまた一次予選落ちだ」
 片目をつぶってソルテスは手を振る。
「きっと行くからね。今度は貴賓席じゃなく、――そう、たぶんロッカールームでね」
 サンターナは笑った。
「たとえ一国の大統領でも試合前のロッカールームには入れませんよ。試合後に――俺たちが 勝った後にしてください」
「違いない」
 笑顔を残して二人は別れた。ブラジルに向けて特別機が飛び立つ。
 結局、診察の結果数ヶ所を骨折していることが判明した翼は、今度こそしっかりと監視され ながら機内のベッドに入れられている。
「今度黙って脱走してみろ、ブラジルにはもういさせんからな!」
 同僚たちの渋い顔に、翼はくすくす笑いながら応える。
「いいもん。追い出されたって戻って来るから。俺を待っててくれる所が俺のうちさ。俺、う ちが2つあるんだもんねー」
 そばに立って、サンターナは黙って笑みを浮かべていた。うちが2つ…。そう、それは幸せ なことなのだ、きっと。










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