BITTERSWEET CRISIS                             第4章−5








5 影と光






「…だから、だから――だからボクは君が嫌いなんだ!!」
 岬はローターの爆音に負けじと精一杯の大声で叫んだ。
「いつだって、自分は少し高いところから澄まして見てる。何が起きても平気そうな顔して さ、いつだって完璧です、って態度でさ、――そのくせ本当はめちゃくちゃな奴なんだ。他人 が何と言おうと知らん顔で自分のしたいように突っ走っちゃうし、大人だの理性的だの聞いて 呆れるんだから…!」
「――それはどうも。さすがの分析力だね」
 まだ顔色は悪いままかろうじて苦笑する三杉だったが、この状態では自分の体を支えるのが やっとであった。と、また激しく左に傾き、すがっていたシートから左舷ドアに叩きつけられ る。
 ヘリコプターは機首を空に向け、まさに断末のもがきを続けていた。もはやなすすべもな く、2人はキャビンの後方に投げ出される。
 岬は腕を伸ばして三杉を助け起こしたが、すぐそっぽを向いた。そのまま吐き捨てる。
「――そうだよ、笑ってよ。今のは全部ボクのことだよ…。ボクたちはこんなにそっくりなん だ。もう逃げようがないくらいに…」
 三杉は真面目な顔で見返した。
「笑わないよ。――笑えば自分のことを笑うことになるだろう?」
 岬ははっと顔を振り向けた。三杉は息を少しでも正常に保とうと努力しながら精一杯微笑を 返す。
「そう言ったのは君だよ。それに僕らの共通項はもう一つあるだろ? 僕らは同じ夢を心に飼 ってるじゃないか。…翼くんという夢をね」
 岬は目を見開いた。すぐに言い返そうとした言葉を飲み込み、もう一度それを口にしかけた その時、別の声が――聞き覚えのある声がすぐそばで聞こえた。
「ばーっかヤロー! てめえら、遺言の相談なんぞ後回しだ! さっさと逃げる算段をしねえ か!」
「小次郎…、それに松山」
 岬はあっけにとられた直後に思わず噴き出した。
「なに、そのカッコ…。それで飛んでるつもりなの?」
「なろー、助けてもらう立場のくせに四の五の言うなっての! ほれ、早くこっち来い!」
 失速寸前のヘリコプターと並んで上になり下になりしながらも、2機のハンググライダーが しぶとくまとわりついていた。松山は機内を覗き込んで、三杉の無事を自分の目で確かめて安 心できたようだ。不規則なローターの動きを横目で気にしながら目いっぱい大声で怒鳴り返し た。
「――でもずいぶん頼りない救護隊じゃない? パラシュートでも用意してるの?」
「あるぜ。一つだがな」
「ひとつぅ!? 4人で一つなの!」
「しょうがねえだろ、この間抜けが置いて来ちまったんだから」
「なにをー!」
 本当に助ける気があるのだろうか。岬は三杉と思わず顔を見合わせてしまった。が、1秒も 惜しいのは確かである。
 2人は互いの体にしっかりと腕を回し、日向のセール目がけて思い切りよく宙に飛び出し た。
「そらよ、松山!」
「おうよっ!」
 日向は用意していたパラシュートを松山機に向かって放り投げる。
「わーっ、落ちる、落ちるよ!」
 日向機のコントロールバーに2人がつかまった途端、あっと言う間にセールの両翼が跳ね上 がった。いくらなんでも3人分の重量は支えきれるわけがないのだ。岬が悲鳴を上げる。が、 まっさかさまに落ちるかと思った次の瞬間、がくん、と落下が止まった。
「光――!?」
 いや、止まったわけではない。落ちるスピードがかろうじて緩やかになった程度に流されて いるのであった。見上げて三杉があっけにとられる。
 2機のハンググライダーが昔の複葉機さながらに二つの翼を上下に連ねているのだ。ハーネ スのロープでつながって、さらにその上にパラシュートが開き、まさにおっかなびっくりのギ リギリで2機、4人分の重量に耐えている。
「谷を出ちまうぞ!」
 一人高い所にいる松山が叫んだ。両側に迫っていた緑の斜面が彼らの針路に向かって開け始 める。
「川だ! 川に落ちる!!」
 日向が怒鳴り返した。気流が変わり、煽られるようにセールがしなる。谷を出た所で合流し 川幅を広げたH川の緑の川原が彼らの真下にぐんぐんと近づいていた。
















「岬くん――」
 ガサリ、と音がして三杉が顔を上げた。
「僕は許さないよ」
「何をさ」
 少し離れた所で草むらが揺れた。
「自分だけ代表を辞退しようなんて考えてもらっては困ると言ってるんだよ」
「――あのね!」
 今度はがばっと顔が現われた。髪に草の切れっぱしをいくつもつけて…。
「君こそコソコソ人のまわりを嗅ぎまわるような真似はやめてよね! ボクがどうしようと自 由だろ!」
「君だけのことならもちろんそうだがね…」
「こらこらこらっ! いきなり始めるな!」
 まさに唐突に始まったトゲだらけのやりとりに耐え切れなくなった松山が声を張り上げる。 これでは墜落の余韻に浸っている暇もない。
「辞退って何のことだ、三杉…」
 反対側から日向の声も上がった。H川の岸に叩きつけられるように不時着した2機のハング グライダーはパラシュートとぐちゃぐちゃにからまり合って謎の物体となっていたが、その間 からむすっとした顔が出て来る。
「岬くんはね、翼くんをオリンピックに無事に出すために自分は犠牲になろうなんてとんでも ない覚悟をしてたってわけさ」
「何だと!」
「岬、おまえ…!」
 日向と松山が同時に叫んだ。
「これだけの大それたことを、おまえはただ翼を守るためだけに仕掛けたってのか!?」
 岬はちらりと三杉を睨んでから、ふう、と一つため息をついた。
「ボクの今のトラブルまみれの暮らしは自業自得だしさ、翼くんにも代表チームにも無関係な んだけど、それをあえて混同するような連中が時々いるんだよね。降りかかる火の粉は自分で 払うしかないだろ…」
 しぶしぶというように岬は続ける。
「情報ってのは、世の中にあふれかえってる分、ちょっとした検索の手順で思いもよらないも のを導き出したりもするんだ。ボクは、まあ情報の山の中で宝探しをしているようなものさ。 今度のペンタゴンの一件も、あそこで動いてた計画をたまたま探り当ててしまったわけだけ ど、向こうもそれなりの地位にいる人物が関わっていたせいですぐさま露骨な反撃に出て来 た。それがボクを直接どうこうっていうならいいよ。許せないのは、翼くんの存在を盾にボク を脅しにかかったことなんだ」
「――じゃ、翼は」
 思い当たることのある日向が固まる。その顔を岬はじっと見返した。
「ボクはすぐさま問題のデータを封印した。指紋IDを使ってね。ペンタゴンと、日本の代議 士との間の黒い関係を揺さぶることでやつらのターゲットを取りあえず翼くんから外させる、 というのが目的だった。でも、翼くんはボクを逆に守ろうとしたせいで先に動いて…」
 岬は目を伏せて言葉を切った。
「そこで起きたクーデターに、最悪のタイミングでぶつかっちまったわけか。翼自身もおまえ も計算が狂わされたんだな」
 その松山の言葉を、三杉が引き継いだ。
「それで岬くんは非常手段に出たわけだ。自分が姿を現わすことで事態は動くことになる。そ の伏線を――僕をカムフラージュに使って用意して、そのままマスメディアの手に委ねるって いう道筋を作り上げたんだ」
 岬は不快そうな顔で口をつぐんでいる。望まぬ相手との見事な以心伝心など、嬉しいわけは ないだろう。
「つまりね、翼くんのために自分は身を引きます、なんて殊勝なことを考えていたってわけだ よ、岬くんは」
「――なんて言い方すんの。それじゃまるで、ボクが日陰の恋をしてる身かなんかみたいじゃ ない」
「おや、違うのかい?」
「だったら君だってご同様だろ、三杉くん」
 きっぱり断言されて、三杉は沈黙した。そのまま首を振り向け、視線を日向に留める。岬も 同時に日向に目をやった。
「な、なんだってんだよ…!」
 日向は思わず後ずさりしてしまった。それほどに重い視線だった。
「俺が何をしたってんだ! え?」
「――はっきりしてるのは」
 三杉がゆっくりと口を開いた。
「考えすぎた画策より、何も考えない直感のほうが勝利する、ってことだね。こと、翼くんに 関しては」
「策士、策に倒れる、ってやつだね。ま、これもボクらお互いさまだけどさ」
 いっそさばさばと言ってのける岬だった。
「でもさ、君だってずいぶんだよ、三杉くん。君の思わぬ弱点を見ちゃったな、今回は…」
 岬は横目で三杉を見た。
「君がこれほど松山に甘いとは思わなかったよ。ボクの計画もそれでずいぶん狂っちゃったん だからね…」
 三杉は否定しなかった。にこにこと笑顔を返す。
「ああ、惚れた弱みってやつかな」
 名指しされた本人がぽかんとあっけにとられた。三杉はまだ少しつらそうに体を起こすと、 まっすぐに向き直った。
「せっかく愛の告白をしたのに、応えてくれないのかい?」
 松山は目を見開いた。それからやおらキョロキョロと落ち着かない視線を周囲に投げる。岬 は声を殺して笑い出した。
 松山は向かいの日向に視線を留める。
「日向が、見てる」
 三杉も首を回して日向を見た。2人分の視線をまっすぐ受けて、日向は訳もなく居心地が悪 くなった。
「わーった、わーったよ! 邪魔者は消えるから、愛の告白でも何でも勝手にやってな!」
 まだ笑い転げながら指の間からこちらを見ている岬を睨み返すと、日向はわざとどしどし足 を踏み鳴らして土手から降りた。少しの間をおいて背後で大きな笑い声がはじけた。日向の顔 がいっそう仏頂面になる。土手の葦原を乱暴にかき分けながら道路まで出ると、そこに若島津 が立っていた。
「無事だったようですね」
 日向はじろりとねめつけただけで、何も答えなかった。少し先に車が停まっているのを見 て、そちらにずんずん進む。
「あいにく俺はアシストの柄じゃねえんでな」
「知ってますよ」
 若島津も表情を変えないまま答えた。
「翼は確かに一人でも行っちまえるだろうよ。だからってそいつを黙って見送れると思うか? 翼はあの時、助けはいらないと言った。だからこそ俺は助ける気になったんだ」
 若島津は笑った。
「あんたのあまんじゃくも知ってますよ」
 いつもと調子の違うその口調に日向は不審気に振り返った。
「結局あんたと翼はあくまで似た者同士ってわけだ。人の助けはいらない、自分の力だけでや っていけると信じて走ってっちまう。だけど、キーパーとして一言言わせていただきますと ね、あんたら攻める立場の人が背を向けたきり振り返ろうともしない俺たちだって、相応のプ ライドを持ってるんです。自分の存在意義についてね」
 日向は足を止めた。眉を寄せ、頭を乱暴に掻く。だが、何も言わなかった。若島津は噴き出 した。
「いーです、いーです、考え込まなくっても。あんたに理解してもらおうなんて思っちゃいま せんから」
「わーるかったな!」
 今度こそ日向は完全にむくれてしまったようだった。バンのドアにもたれた反町が、腕に顔 を伏せてくっくっと笑っていた。










 BACK | TOP | NEXT >>