BITTERSWEET CRISIS                             第4章−4








4 カラバル空軍基地






「――まさか!?」
 ヘッドホンを握り直してナサナエルはうなった。
「消えた、だって? 本当にレーダーから消えたのか!?」
「ちょっとお待ちください」
 若い通信兵が通話機を取って相手と再び交信する。二言三言言葉を交わしてから、彼は経済 相を振り返った。
「間違いありません。西経○○度北緯××度の地点で、確かに機影が消えたとのことです」
「すると、ユカタン半島の西岸ですね…」
 開いたドアの脇からにこにこと顔を覗かせているのは、小柄な東洋系の男だった。
「シニョール・ソリマチ! ここは部外者以外は…!」
「ああ、いやいや、追い出すのはちょっと待ってください。お別れを言いに来たんですよ」
「何ですと!?」
 ナサナエル経済相はあっけにとられた。
「これからすぐサン・バルトロに向かうんです。小型の軍用トラックを貸してもらえることに なったんでね、飛ばせば真夜中までに着くでしょう」
 クーデターによる厳戒下にある首都に向かうことを、あたかも遠足に出かけるような気軽さ で告げる相手に、経済相は二の句が継げない。
「『民宿街』の酒場のおやじと連絡が取れたんですよ。せっかくだから一杯やりに来い、って 言われたもんでね」
 あくまでとぼけた物言いだが、その言葉に経済相はぴくりと反応した。「民宿街」。その名 は彼も耳にしたことがある。サン・バルトロの一角の小さな酒場だが、首都に在住の様々な国 籍のジャーナリストたち、国際ボランティアたちの溜まり場になっていて、酒を酌み交わしつ つ自由に意見や情報を交換し合うという、ある意味、非公式のプレスセンターとも言える場所 だったのだ。
「その消えた輸送機についても、あそこならおっつけ情報が入ってくるでしょう。期待してて ください」
「待った!」
 じゃ、と手を振って背を向けかけた反町氏に、ナサナエルが駆け寄った。
「では『機能』してるんだな。『無事』なんだな?」
 腕をつかまれた反町氏はちょっと意表を突かれたようだったが、すぐ笑顔になった。
「我々ジャーナリストを見くびってもらっちゃ困りますねぇ。我々は報道という大義名分を持 ったハイエナなんだ。ちょっとやそっとで引き下がりはしませんよ」
「…私も行く」
 ナサナエルの言葉に、部屋にいた若い司令官がびっくりして椅子を倒した。
「大臣、今はまだ…!」
「ハイエナが生き残れるんだ。私だって大丈夫だろうさ」
 元ゲリラ闘士の大臣は掛けてあった軍用ジャケットを取って袖を通した。
「じゃ、今すぐ出発だ」
「しょうがないですねぇ…。ま、道案内として雇ってあげますか」
 日本人通信社特派員は、片目をつぶると経済相と並んで走り出す。が、問題の輸送機墜落が まさか自分の息子の仕業だとは、当然知る由もなかった。
















「やあ、姉さん!」
「やめてちょうだい、その呼び方。第一なんだってあなたがここにいるの?」
 かつて田島の冗談を真に受けた同僚によって、活字でしっかり姉弟と紹介されてしまった過 去を持つ2人である。その冗談の根拠が顔の類似のみでなく日向小次郎への肩入れぶりにあっ たことを知って以来、小泉京子はすっかり態度を硬化させてしまったのであった。
「ブンヤのカンってやつかな。僕は鼻が利くもんでねぇ…」
 自家用ヘリから降り立って早足に本館に向かいながら、小泉女史は並んでついてくる田島を じろっと横目で見やった。
「――正直におっしゃい」
「はは、本当はね、岬くんにタクシー代わりに使われただけなんですよ。あと反町くんと松山 くんと3人をね」
「何ですって…!!」
 ハイヒールの音が鋭く止まった。
「岬くんが――ここに来たの!?」
「え? あ、そうですけど…」
 意外なところに反応があって田島のほうが戸惑いを見せる。
「私が聞いたのは三杉くんだったわよ?」
「ああ、両方ですよ。三杉くんは別のヘリで。僕ら、それを追って来たんです」
 小泉女史は直立不動のまま微かに目を細めた。
「――あの4人が揃ったってわけね。しかもこの東邦で」
 田島の不審が好奇心に変化したのをその顔に見て取って、女史はまた歩を進め始めた。本館 に入る前にふと周囲を見渡して肩をすくめる。
「それにしても、ずいぶん派手にやってくれたものね…」
 着陸の際に上空から確認済みの被害状況ではあるが、こうして地上から見るとその惨状はさ らに際立つ。――完全燃焼したガレージと焼け残りの残骸。その火にあぶられた西棟の黒く煤 けた壁面。中等部グラウンドにはヘリの連続しりもち技で大きな窪みが続き、体育館周辺には 数多くの器具がいっそ見事に散乱している。さらに、マシンガンの銃痕までが建物の各所に見 えて…。
「そのオールスターだったのならうなづけるわね…」
 口の中でつぶやいて小泉京子はきびすを返し、本館エントランスに入った。受付窓口の事務 職員がその姿を見て不安と安堵の入り混じった顔であわてて会釈をする。
「小泉さぁん…!」
 声が追って来た。無表情に振り返った彼女に、田島は息を切らせながら追いすがる。
「勝手に取材したのは謝りますよ。でも今回、東邦は被害者なわけですからね、何かコメント いただいとかないと…」
「――『ひとつ間違えば人命にかかわるところだった、と学校関係者は胸をなで下ろしてい た』」
「あ、の、ね……」
 脱力する田島に、小泉京子は今度はまっすぐ視線を向けた。
「で、あなたはどう書く気なの?」
「え…?」
 その目には厳しい光がある。
「岬くんの行動はいつももっと慎重だわ。どんなにイニシアティブをとっていても自分は常に 水面下にいて決して表に出て来ない…。それが今回に限ってわざわざあなたのようなメディア と同行するなんて、何か意図があるに決まってるじゃないの」
「それなんですがね」
 田島は頭をかいた。
「岬くんはオリンピックについてはどう表明してんです? つまり、代表辞退…とか」
「まさか!!」
 小泉女史の顔色が変わった。
「代表に選ばれた時点で一度、それに去年の『ソルボンヌ騒動』直後に一度、どちらもはっき り確認済みよ。11月からのアジア予選にも参加登録は済ませてあるし…」
「いや、僕の思い過ごしならいいんですがね」
 田島は小泉女史の顔をまじまじと見つめた。
















 川を遡って行ったその先には大きな湖があった。高原に豊かな水をたたえるサン・バルトロ 湖である。首都サン・バルトロはそのほとりに広がるかつての避暑地であった。植民地時代の 名残りである高級住宅街が山の手にわずかに残っているが、現在のサン・バルトロは貧しい周 辺部から流れてくる人々を次々のみ込んでは広がっていく、形定めぬ流動体のような都市とな っていた。クーデターの武力衝突による破壊のため、というよりそれ以前からの慢性的な物資 不足のため広大な街のほとんどは明かりすら見えない。南に位置する高台から街を見下ろした サンターナと翼はその夜景のあまりの静けさにしばし息を飲んだ。
「ねえ、スタジアムはどっちの方向?」
「――さあな。行くか」
「うん」
「もっと休まなくて大丈夫か?」
「平気」
 翼はにっこりとして、それから大きくため息をついた。
「あんまり暗いから、何も見えないから、なんだかとっても安心だ。一番怖いのはさ、自分の 不安が見えちゃうことだって思うんだ、俺…」
「……」
「ずっとね、目隠しされながら歩いてたみたいな気がするよ。ううん、違うな。俺が自分で目 隠ししてたんだ。俺、見たくなかった。目を開けるとそこに自分の不安を突きつけられるよう な気がして…」
 翼はくすくす笑い出した。
「日向くんはね、いつも耳元で怒鳴るんだ。すごい大声で――大声すぎて何言ってるのかわか んないくらいに…。でも今はわかるな。…目を開け、って言ってたんだね」
 サンターナは下り坂にかかって手綱を引いた。ロバがうるさそうに首を振る。
「帰国のことをヒューガに相談したのは、その大声で怒鳴ってほしかったからなんだな?」
 翼ははっとして目を上げた。サンターナの背は馬車の揺れに合わせて静かに上下している。 翼は笑った。解き放たれたような笑いだった。
「日向くんはイジワルなんだ…。いつも俺が避けようとしてることばかりまっすぐ突きつけて くる。でもって、それがワザとじゃないんだよね」
 意識しないイジワルとは一体どんなものなのか…。だがサンターナにはおぼろげながらわか る気がした。それが二人を結びつけるものだということだけは。
「ね…!」
 翼が小さく叫んだ。
「今、銃声しなかった?」
「いや。どっちだった?」
 サンターナは馬車を止めて翼の指さした方向を窺った。坂の下のほうに小さい灯が見える。 このあたりはもうスラム街の南端にかかっているのだろう。
「ちょっと待ってろ」
 サンターナは荷馬車を降りてもう一度闇に目を凝らした。
「あっ…」
 今度は間違いなかった。はっきりと銃声が数発、それもかなり近くで響いたのだ。サンター ナは素早く御者台に戻る。
「ちょっと飛ばすからな、我慢しろ」
 坂の両側がやがてぎっしりと並ぶ粗末な建物の影に埋まり始めた。時折、ろうそくらしい淡 い灯りが見えるほかはやはりどの家も真っ暗である。
「あそこだな…!」
 目の前に電気の灯りが飛び込んできた。広場の片隅に造られた共同水汲み場らしい。間に合 わせの差し掛け屋根の下に真新しいポンプと洗濯用の水槽がいくつも並んでいる。その間を数 人の軍服の男たちが走っていた。ライフルの銃身が閃いている。
「…っと、クーデター軍か!」
 サンターナが手綱を引いたその時、聞き覚えのある声が闇から聞こえた。
「カルロスくん、私だ!」
「――大統領!?」
 いきさつを尋ねている暇はなかった。ラファエル・ソルテス大統領は一息に荷台に飛び乗る と、翼の横たわっている脇に身を伏せた。同時に馬車が走り出す。
「や、元気かい?」
 暗闇の中で目と目を見合わせて翼はにっこりした。
「追いついちゃったんですね。でもまた会えてよかった…」
「――そこの馬車、止まれっ!!」
 軍服の男が大声で怒鳴った。
「…と言われてもな」
 サンターナは手綱をふるった。と言ってもロバのこと、そう早く走るものではない。追跡者 たちはそばに停めてあったジープに戻って見る見る追いついてきた。
 ――と、その時、走る彼らの前方に突然まばゆいライトが現われた。
「軍のトラックだ! くそ、はさみ討ちか…」
 ロバはライトに驚いて足を踏み鳴らし、何度も跳ねた。荷車は引きずられて左右に大きく振 れる。ソルテスはがばっと身を起こした。
「カルロス! 先にロバを押さえるんだ!」
「いたぞ、大統領だ!」
 ライトに浮かび上がったその姿に、背後から声が上がった。と同時に、前方のトラックから 誰かが走り出て来る。サンターナは反射的に身構えた。途端、相手が両手を上げて叫んだ。
「なんてことだ! こんな所で…!」
「ナサナエル――!?」
 大統領もあっけにとられて声を上げる。
「どうやってここまで…?」
「長い旅でしたよ。…さ、早く!」
 ソルテスは促されて荷台から飛び降りた。トラックはタイヤをきしらせて方向を変える。
「ツバサ…!」
 サンターナは翼を支えようと御者台から体をねじ曲げて手を伸ばした。
「俺たちも降りよう!」
「危ない!!」
 トラックの運転者が首を突き出して叫んだ。ソルテスが身を伏せると同時に、銃弾にえぐら れて小石混じりの土が飛び散る。
「ナサナエル…!?」
「だ、大丈夫ですよ…」
 同じく身を伏せていた経済相が顔を上げて笑った。が、手で押さえている右足からは鮮血が 一筋流れていた。
「撃て! 今度こそ逃がすな!」
 上官らしい軍人が叫んだ時、倒れている二人に駆け寄りかけたサンターナの前にふわり、と 白いものが舞い降りてきた。
「――!!」
 それはまったくの反射的行動だった。その白いものがボールであることに気づいた時にはも うサンターナの足は鋭く空を切っていた。
「うわ――っ!?」
 ジープの上で銃を構えていた男がそのボレーキックを受けて転がり落ちた。天に向けて銃声 が響く。
 サンターナはくるりと振り向いた。荷馬車に身を起こした翼の姿が目に入る。
「サンターナ、まだだよ! もう1本…!」
 ボール1個がライフル装備の軍人に十分対抗できるあたりがなんとも怖い。急停車したジー プを横目に、サンターナは転々とするボールにダッシュした。
「そらっ、ツバサ!」
 再び撃ち込まれる銃弾に素早く身を翻し、サンターナはヒールキックで頭上高くボールを上 げた。そのままジープの反対側にすり抜ける。
「それっ!」
 突き抜けた翼の声が響いた。そのバックパスをこれもボレーで折り返したのだ。鋭いパスが まっすぐサンターナに戻り――、次の瞬間、大きな衝撃音と共にボールはジープのフロント部 分を直撃していた。
「急いで…!」
 ジープのライトが壊れた瞬間、あたりはぱっと闇に包まれた。その中から腕が伸び、サンタ ーナと翼はトラックに引き込まれる。
「あきれたね、まったく。サッカー選手ってのはフィールド外でもしっかり凶器じゃないか」
 こちらはわざとライトを消して、あっと言う間に走り去る。
「それに君がこんな場に居合わせてるとはどういう訳なんだ、翼くん」
「えっ!?」
 突然そこから日本語になって翼が絶句した。
「ブラジルからもチームが入国してたのは知ってたが、まさか君が大統領と逃避行中とはね」
 ステアリングを握りながら、運転席の反町氏は振り返ってにやりと笑った。
「怪我が怪我たるゆえんを無視しきってるあたり、大空翼は健在だね」
 そうしてトラックは総理府へ向かってひた走ったのだった。










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