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「とにかくあいつは正気じゃないんだ」
窓の外に手を振りながら、反町は過激な言葉を吐いた。先に右折しつつ、山本の車に併
走している二人乗りバイクに方向を合図しているのだ。が、その言葉は彼らのことを評し
ているわけではない。
「こと光に関してはね」
助手席からくるりと振り向き、反町はシートの背にちょこんと顎を乗せた。話はさっき
の若島津の問いへの答えに戻る。
「そりゃこういう時まず目をつけられがちなのは日向さんさ。けどあのお山にいる限りち
ょっかいは出しにくいだろ? 光はあの気性だし、自分が狙われてるなんて知ったら張り
切って飛び出してくに決まってんだ。淳はそれを避けたかったんだよね」
「…人質か」
若島津は不満そうに眉を寄せた。オリンピック出場をダシにされたとなると、当事者と
しては怒りは当然である。
「うん、光は代表チームの人質、代表チームは小泉せんせの人質、そして、小泉せんせは
――」
「まったく…」
反町の言葉が耳に届いていたのかどうか。山本が低く唸り出した。
「ワガママで、気まぐれで、プライドは人一倍高くて――」
甲高くブレーキをきしらせ、180度の方向転換。UターンではなくVターンだ、これ
では。反町と若島津は同じシートの前と後ろから必死にしがみつく。
「だから好きなんだ! ちくしょー!!」
「はいはい、お幸せでうらやましいですよ、せんせ」
振り返ると、不意を突かれて急停車した追っ手のクルマの鼻先を松山のドラッグスター
がわざとかすめて切り返して来る。
「ね、せんせ」
反町がちらりと視線を戻した。
「ゆうべのパーティ、先生は遅刻したわけじゃないんだ。そーっと監視してたんでしょ。
わざと相手をフリーにして、出方を見るために」
「――」
しばらくの沈黙の後、山本はむすっと話し始めた。
「相手の狙いが絞れなかったんだ。小泉グループを敵視するゆえか、京子さん自身が目的
か…。あのイベント屋がどうからんでくるかもはっきりしなかったし」
いきなり左手を伸ばして反町の頭をぐい、と押しつける。
「最初からおまえらのほうを押さえとくべきだったな。ちゃんとその両方をマークしてた
んだから、おまえらは」
「真珠は横取りしたい。ついでにスキャンダルで小泉グループにも打撃を与えたい、なん
て欲張り過ぎだっつーの」
シートに体を沈めたまま反町の目がふと険しくなる。
「ね、先生って、東邦なんでしょ、出身は」
「そうだ」
「部活は何やってたんですか、高等部の時」
「――ヨット部」
「こらこら」
各種スポーツに力を入れている東邦でも、さすがにマリンスポーツだけは無理だった。
睨み返す反町に山本はにやりと笑ってみせる。
「俺は部活には熱心じゃなかったからな。一人でふらふらしてたよ。東邦生としちゃはみ
出しモンだ」
「へーっ、見るからに模範生って感じしますけど」
「だとよかったんだろうけどな」
山本は今度は自分で松山に合図をした。さっき話題になっていた新青梅街道に入る。
「突っ張ってたんだ。ま、その自分のいる状況とかにな。京子さんとのこともあったし」
小泉家の一人娘の婚約者であることのプレッシャー。山本ははっきり口には出さなかっ
たが、それはおそらく外からも内からも、というやつだったのだろう。
「けどな、その相手が京子さんで、正直俺は助かったんだ」
山本はまっすぐ前を見続けている。
「なんだかんだと振り回されてあたふたしている間はそのプレッシャーから開放されるん
だな、これが。それに気づいてからは俺も突っ張る必要をなくしたってわけだ」
普通のお嬢さまをあてがわれてたらもうとっくにギブアップしてただろう、と山本は楽
しそうに付け加えた。
「そりゃー、屈折だなあ」
反町はうらやましそうにつぶやいた。我が身を振り返って、というわけでもないだろう
が。
「俺は京子さんを守ってるのかどうか時々わからなくなるんだ。もしかすると、京子さん
から周りのトラブルを守ってるのかもな…」
「そのトラブルがまた来たみたいですよ」
窓の外、遠方を眺めていた若島津が無感動にぼそりと言った。
「うっわー、壮観!」
こちらは大いに感動している。無理もない。車線いっぱいに進路を塞ぎながら、二、三
十台のバイクの集団が待ち構えていたのだ。
「すまねえなぁ、ここで通行止めなんだよな」
山本は車を止めると黙って道路に降り立った。立ち塞がっている連中の前にまっすぐに
対する。その横を追い抜くように松山のバイクがすーっと並んだ。そのさらに背後からは
ボロボロになって追いついて来たイベント屋のクルマが退路を斜めに塞いで止まる。
「で、どうしようってんだ?」
日向がバイクから先にポンと飛び下りた。松山も続いて降り立つ。
「俺に用があるんだろ、さっさと済まそうぜ」
「2人とも待て!」
山本があわててそれを押しとどめようとする。最初からこうも喧嘩腰では収まるものも
収まらなくなる。
が、双方が殺気立ちかけたその時に、松山がいきなりぴくっと向きを変えた。誰も注目
していなかったあらぬ方向に向かって、一人で背伸びをしている。
「…松山?」
「ね、あれって――!?」
反町が、山本の車の中から首を出してつぶやいた。松山が見つめる先、道路の後方から
バイクが1台、こちらに疾走してくる。
松山の顔が紅潮し、眉がぎりっとつり上がった。ものも言わずにひたすらそのバイクが
近づいて来るのを凝視している。
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