逆襲のスノーホワイト    4
















「つまり対立する2つのグループの両方に手を出してたってわけか、ここのオジサン」
 入った所はガランとした広くて無愛想な空間だった。一角に撮影用らしいセットが組ま れているが人影はない。
「ヤラセ事件で名を売った男だしな。陰でそれぞれに資金援助をして対立を煽るくらいは お手のものだろうな」
「金になるならなんでもやるさ」
 いきなり声が響いた。ぎくりと振り向くと撮影機材の陰から30代半ばの男が姿を現わ したところだった。短く刈り込んだ髪にスーツをラフに着崩したスタイルでにやにやと笑 いかける。
「あんたたちと同じだよ。俺はスキャンダルを提供し、あんたらはそれを世間に売る。共 存共栄ってやつだろ」
『――俺たち、誰なんですか?』
『誰だろう…』
「あんたたちが一番乗りだね」
 ひそひそ話し合う2人をイベント屋は手招きした。先に立って歩き出す。
「情報屋を通じて数社に連絡を回しておいたんだが、その鼻の効き方を見ると、俺とどっ こいどっこいじゃないのかい、若いのに」
 山本は眉をしかめて反町を見た。どうやらどこかのスキャンダル記者と間違われている らしい。反町はニッと笑い返す。
『誉められちゃいましたよ、せんせ』
 イベント屋はセットの前に足を止めた。ソファーが2つテーブルをはさんで置いてある だけの簡単なセットだ。
「もう間もなく女史が着くはずだ。ここの席でゾクのヘッドと衝撃的な対面をしていただ くからね。暴走族だった代表選手、そしてそれを金でもみ消そうとする学校関係者…って 演出さ。これこそオリンピックの汚点!ってわけだ」
「げっ!」
 反町が口を押さえる。敵も先手必勝がモットーだったとは。山本はぐいと前に出た。相 手をまっすぐ睨みつける。
「スキャンダルは金になる、だって? 売るのはマスコミだけじゃないだろう! スキャ ンダルで京子さんをつぶせばいい目を見る連中がいる以上な!」
「な、何を…?」
 予想もしていなかった指摘を受けてイベント屋が顔色を変えたその時だった。爆発のよ うな衝撃音と同時にいきなり外の光が弾けた。シャッターを突き破って轟音と共に転がり 込んで来た黒い塊にセットにいた3人が棒立ちになる。
「――れ?」
 それは二人乗りしたバイクだった。闇雲に突っ込んで来てセットの寸前でギリギリ止ま り、かろうじて転倒は免れたようだ。
「わー、壊しちまったか? ハンドル、曲がっちまった…」
「ばーっか野郎ぉ!! 危ねえだろが!」
 タンデムシートから飛び下りたほうがヘルメットのシールドを上げて怒鳴った。
「ひゅ、日向さん!?」
「――ん?」
 これで人間には何の損傷もないのが怖い。運転していたほう――松山にダメージがない のはいつものことであるが。
「おまえが後ろでごちゃごちゃ言いやがるから、見ろ、借りモンを壊したじゃねえか」
「突っ込んだのは自分だろうが! どういう運転をしてんだ、おまえは!」
 騒ぎに驚いて奥から駆けつけてきたスタッフたちも唖然として見ている。凶暴な目つき の2人組のののしり合いは、こういう状況下でなくても心臓に悪い。
「あ〜、あの…」
「なんだ、反町か。どうした」
 振り向いたらいきなりぽかんとした表情になる日向だった。
「どうしたはこっち。どーなってんすか、これは…」
「俺たち、若島津を追っかけて来たんだ」
 松山もヘルメットを取って神妙な顔になった。
「若島津ぅ〜!?」
「あの車がクラブハウスに来ていきなり若島津を乗せて行っちまってよ。で、追いかけて きた…」
 犬じゃないんだから、何も考えずに追いかけてこれじゃあ…。
 と思いつつシャッターの外に視線をやる。「あの」と言われたモノがそこにあった。
 ビルの入り口のすぐ脇、電柱の根元に白い乗用車が突っ込んでいた。それ系の改造車 だ。浮いた車輪から外れたホイールが空しく回っている。運転席で仰向けにのけぞった男 が放心状態で宙を見ていた。
「――おい、若島津はっ!?」
「ここですけど」
 車の背後からぬっとジャージ姿が現われる。叫びかけた日向は口をポカンと開けた。
「衝突する前に勝手に降りさせてもらいました」
 ――こいつら、人間じゃない。
「小泉京子はどうした! 連れて来なかったのか!?」
 駆け寄って来たイベント屋が怒鳴ったが、運転手と後部座席のもう一人はがっくりとし て答える気力もなさそうだった。それなら、という顔で若島津が口を開いた。
「こいつら、俺のことを小泉理事と勘違いしてたみたいでして」
「――なにぃ!?」
 東邦組プラス松山がげんなりした顔になる。
「あんまり笑えたんでそのままついて来ました」
 にこりともせずに言う若島津であった。このガタイ、この不気味さを小泉女史と考えた イベント屋の部下もそういう意味では大物かもしれない。
「あ〜あ、これ、校長のバイクじゃないか。知らんぞ、俺は…」
 東邦学園高等部校長の趣味の愛車、ヤマハドラッグスター400を見下ろしてため息を ついている山本の言葉を耳にして、イベント屋はパニック顔で振り返った。
「じゃ、じゃ、あんたら、東邦の…!?」
「俺の婚約者を勝手にメシの種にしないで欲しいもんだな。でなくてもお守りは疲れるん だ」
「俺たちだってオリンピックは苦労して手に入れたキップなんだぜ。ボツにされちゃ困る もんね」
 帽子をとってぱたぱたと扇ぎながら反町がそらっとぼける。実はまだマトモに事情を知 らされていない松山が、後ろからその反町の肩をつかまえた。
「ボツって何だよ。俺が東邦に押し込められてたのと関係あんのか?」
「取材攻勢をかわすため、って言ってたのは、そうすると俺たちをだましてたってわけだ な」
 さらにその横で若島津が組んでいた腕をほどく。反町はすくみ上がった。
「は、話が急でしかたなかったんだよぉ。ね、健ちゃん、すごまないで…」
「――おい、おまえらっ、聞いてんのか!」
 東邦の関係者というよりそのまんま当事者であることをようやく知ったスタジオ・オメ ガの社長は声を張り上げた。自分たちからわざわざ飛び込んできてくれたのはいいが、今 回のオリンピックの目玉の一つになっているこの史上最年少サッカー代表たちはどうも日 常的な常識が欠落しているのでは…という疑いがどんどん大きくなる。まさに敵地のど真 ん中で何人もに囲まれたこの状況でこの連中はあくまで自分勝手なまでにマイペースだ。
「え? ああ、はいはい」
「う…まあ、予定とはかなり違ったが、少なくとも切り札は確保した、ってことだ。さ あ、あとは小泉京子だ。正直に答えろ、どこにいる」
 気づいて振り向いた反町に、社長は必死に取り戻した優位を振りかざす。
「さあ、どこなんだか」
 山本は真顔で反町に向き直る。反町は上目遣いになった。
「あの…、怒りません?」
「なに?」
「今、淳とホテルに行ってます。そのぉ、スイートルームを用意して」
 無言で山本はぐいっと反町を引き寄せた。サングラスで目の表情が隠れているので余計 にコワイ。
「そ、り、ま、ち…!!」
「ちょっと待てよ!」
 救いの手は意外な所から差し延べられた。割って入ったイベント屋の社長が顔を引きつ らせている。
「ホテルって、まさか――例の会合のことか!?」
「おや、オジサンやっぱり知ってたんだ」
 なんとか山本の手から逃れ、そそくさと日向の陰に隠れる反町であった。
「さっき連絡した時は、今から『パーティ』に出るとこだって言ってたよ」
「なんて連中だ、くそっ!」
 皆まで聞かず、イベント屋はくるりと背を向けて奥の事務室へ駆け込んで行った。ガラ スの仕切り窓の向こうで電話に飛びつく姿が見える。
「説明を続けてもらおうか、反町」
「や、やだなあ、せんせ。まさかマジに受け取ってません?」
 後ずさりながら日向にすり寄ろうとして、反町はいきなり後ろに倒れた。日向ががばっ と立ち上がったのだ。同時にその向かい合わせに座っていた松山が飛び起き、2人でもの も言わずにダッシュする。
「…日向さんっ」
 とがめるような若島津の声がその背に投げられたが、もちろん一旦走り出した猛虎が止 まるはずはない。
「俺はなぁ、おとなしく人質なんざやってられるほど暇な性格してねえんだ! あーばよ っ!」
「待て、日向! そいつは俺の役だぜっ!」
 どっちもどっちだが、松山はぐいっと肩をチャージして先に出た。スタジオの真ん中に 残してあったドラッグスターにひらりと飛びつく。日向は足を止めると、手近に転がって いる撮影用機材を嬉しそうに眺めた。
「こ、この野郎っ!」
 男たちが凄むのもどこ吹く風だ。もっとも予想外の出来事にアタフタしている彼らに比 べると余裕という点で完全にリードしていたが。この騒ぎに気づいてイベント屋は電話を 叩きつけておいて戻って来た。
「やめろ! 逃げられると思ってるのか!」
 返事の代わりに脚立だのライトフレームだのが投げ返されてくる。さっきからエンジン の調子を確認するように空ふかしをしていた松山もひょいとシートにまたがると中腰の姿 勢でそろそろと走り始めた。次第にスピードを上げながらスラロームを繰り返し、スタジ オ内をぐるぐるとイベント屋のスタッフたちを追い回している。
「いいから早くやめさせろ!」
 部下たちに命令するがそう簡単にいくなら苦労はない。と、その社長の背後から若い男 が飛び出して来た。黒レザーのライダージャケットを着たパンチパーマのお兄さんだ。そ の場の光景に棒立ちになる。
「松山――!?」
 叫んでドラッグスターに駆け寄る。松山は不思議そうな顔で振り返った。
「あの約束はどうしたんだ! 条件を守るなら、うちの幹部になってもいいって言ったよ な!」
「はぁ〜?」
 松山は目を丸くした。
「先週だよ、新青梅の、ほら、狭山湖に入るとこのロータリーでよ、ちょいとモメた時に ナシつけたじゃねえか!」
「知らねえな。第一、俺あんたに会うの、初めてだぜ」
「なんだとぉ!」
 イベント屋いうところの『小泉京子の密会相手』として用意された暴走族のリーダーは 顔色を変えた。が、松山につかみかかろうとしたその背に、つん、とタイガーキックを受 けてつんのめる。
「もー。日向さんも光もやめときなよー。疲れるだけだって」
 手でメガホンを作ってその1対2の乱闘に向かって反町がのんびり呼びかけた。若島津 が後ろから軽くその肩を叩く。
「さ、行くぞ!」
 あっちの騒ぎは無視ですか。
「俺の車はあの向こうだ」
 山本が先頭を切ってシャッターをくぐった。
「ねえ、先生。さっきの話ですけど――」
「松山のことじゃないとしたら、あとはアレしか考えられんな」
 走る3人の背後から、争う声を引きずりながらドラッグスターが追いついてきた。日向 もしっかりタンデムシートに復活している。反町はそれを振り返ってつぶやいた。
「光の生霊――」
 そう呼べる男は、この東京にあと一人しかいなかった。














「――駄目ですね、正面はもうブロックされている」
 エレベーターホールに出て見透かす。
「中央突破、する?」
「いいえ、いったんサイドに開きましょう」
 ゴールを狙っているのではないのだが。
「何だか急に元気になりましたね、小泉さん」
「そ〜お?」
 イブニングドレスとディナージャケット姿で駆ける光景というのはなかなか見ものだっ た。居合わせた宿泊客たちが思わず振り返ったのも無理はない。
「何かずっとトーンダウンされていたみたいでしたから」
 京子は足を止め、じっと三杉を見返した。敷地内のパーキングである。霧のような細か い雨が彼らの上にも降りそそいでいる。
「はい、これを」
 三杉がヘルメットを差し出した。京子は目を丸くする。
「あなたのフェラーリは後で回収しましょう。こういうことも予測して用意しておいたん です」
 三杉はにっこりし、それから着ていたジャケットを脱いで京子の肩にかけた。
「ね、三杉くん」
 ロードレーサータイプのごついバイクにまたがった三杉の背に、京子はちょっと心配そ うに声をかけた。
「私、そんなに変だった?」
 振り返った前髪からぷるっと水滴が飛んだ。わずかな間をおいて三杉の口元が緩む。
「いいえ、メランコリックで色っぽかったですよ」
 背後からぽかりと頭をはたかれ、三杉はくすくす笑い始めた。










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