逆襲のスノーホワイト    3
















「大体、なんだ反町、その高校生にあるまじき格好は」
 降りかかってくる雨を避けるように、山本は閉まったシャッターに身を寄せた。駅前に 近い表通りから1本入った狭い飲み屋街は、この雨の朝、人通りはほとんどない。
 その山本とそっぽを向くように背中同士を合わせながら、反町は向かいの雑居ビルにじ っと目を向けていた。
「先生こそ教育者にあるまじき格好じゃありません? それって…」
 大きなベルベットのキャップの下からスプレーで染めた前髪を覗かせた反町は、肩越し にちらりと視線を投げる。東邦きっての遊び人の名を誇っている彼としては、自分のほう が意表を突かれたと言いたいわけで。
「これは……変装だ」
 普段バックに流している髪を前に下ろしただけで人間これほど印象が変わるものだろう か。細見のシルエットのエスニック調ジャケットからサングラスまで全身黒で決めて、レ ザーのリストバンドが過激なワンポイントになっている。もっとも、実直を絵に描いたよ うな、と言われがちな山本の正体がそう生易しいものでないことくらいサッカー部のメン バーなら承知の上だ。
「最高にクレイジーですよ。惚れちゃうな」
「黙ってろ」
 スタジオ・オメガ。表向き広告代理店らしきことをやっているが、実態はかなりうさん くさいイベント屋であった。H市街に下りて直接オフィスに乗り込んだ二人は、一人電話 番をしていたアルバイトの少女にすっかりギョーカイさんだと信じ込まれて、頼みもしな いのに現場に通してもらえることになったのだ。「変装」が思った以上の効果を発揮した ことに関して、彼らはその功績を互いに押しつけ合っているのだった。
「乗り込むのはいいが、バレたらどうする」
「このカッコじゃ今さらコソコソしても無駄ですよ、せんせ」
「――気になるな、あのバイク」
 反町の言葉は完全無視して、山本はビルの非常階段をくぐり、脇に停めてある派手な改 造バイクに目を止めた。善良な一般市民のものとはとても思えない。
「どっちのゾクのものでしょうね」
「…反町」
 つくづく隠し事のできない相手だということを悟らずにはいられなかった。














「面白いわ」
 カクテルを受け取りながら京子がつぶやいた。仮面パーティ用のカーニバルマスクの下 で目が輝いている。
「お気に召しましたか?」
「イブニングドレスって理由がわかったわ。時差、だったのね」
 壁の一方に大型スクリーンモニターが用意されているのを京子は目で指した。
「今、夜ってことは、向こうはヨーロッパかしら?」
 三杉は微笑することで肯定を伝えた。会場となっているホールにはそれぞれマスクで素 顔を隠した正装の男たちがそこここに固まって低く話をしている。ホステス役の女たちを 除けば、招待客の中でカップルなのは彼らだけのようだ。一見なんということのないパー ティだったが、舞台装置を見ただけでこの集まりの真の目的を彼女は早くも見抜いたらし い。
「モノは、なあに?」
「見ていればわかります。ほら、始まりますよ」
 三杉がささやいた。スクリーン下の演台に男が一人静かに歩み寄る。同時にスクリーン に画像が現われた。こちらとほぼ同程度の数の出席者が、画面の中静かに座っている。
「あら、フランス?」
 学生時代の2年間をパリで過ごした京子の観察眼に狂いはない。フランスと日本をネッ ト回線で結んだ電子会議ならぬ電子競売会が今まさに始まるところだった。
「あの男に注目していてください」
「……?」
 日本側の招待客もスクリーン前に用意された席についた。三杉がこっそり指したのは、 画面の右端に映っている、太り気味の実業家らしい男だった。さっきから少々落ち着きの ない様子で懐中時計を何度も目の前にかざして見ている。
 進行役の黒服の男が英語で開会を告げ、いよいよ競売が始まった。
「なぁんだ、現物は出さないの」
「この場合はそうはいかないんですよ」
 いわくありげな美術品や宝飾品が静止画面で映し出され、二人がささやき合っている間 にも日仏双方から競りの声が次々上がる。問題の男はまだ動きを見せず、席に深く身を沈 めたままじっとその様子を眺めているようだった。
「ちょっと、あれ――!?」
 正規のルートを通すことのない品だけに、順に落札されていく金額は世間の常識を遥か に越え、会場は次第に異様な興奮をはらみ始める。が、いよいよ最後の一件となった時、 男がついに動きを見せた。黒真珠のリング。ここまでのどの品より地味でシンプルなそれ がモニターに出たとたん、男はぐいと身を起こした。同時に京子も口を押さえる。
「あ、やっぱり気がつきました?」
「つくわよ!」
 見覚えがあるかないか以前の問題だった。今、ここに、自分の指に、それがあるのだか ら。三杉はちょっと目くばせをして京子の左手の上に自分の手を重ねた。
「どういうことなの、これ」
「あなたの指輪は実は大変ないわくつきだったんです。日本に輸入される時点で既に各国 の裏世界のバイヤーが目をつけてましたから…」
 それが突然裏ルートから姿を消し、どう間違ったのか一般の店舗に出てしまったのだ、 と三杉は説明した。
「それを私が買っちゃったってわけ?」
「ええ、そして狙われたんです。それを奪うためならどんな手でも使う連中です。昨夜の パーティであなたを挑発したのもその一つだったんでしょう」
 京子は目を丸くした。なぜ昨夜のことまで知っているのか。
「首謀者は…あの連中です」
 彼らとはちょうど反対側の位置だった。さっきから競りに加わって巧妙に金額を釣り上 げていた日本側のコンビが、素早く動きを見せた。
「5万ドル!」
 進行役がまず示した1万ドルに対してまっ先に応じる。フランス側で問題の男が身を乗 り出した。
「10万だ」
「では15万」
『――もう、ちょっと待ってよ。あれは私のなのよ。勝手に値段をつけないでほしいわ。 第一、私が買った時は20万円そこそこのお買い得品だったのよ』
 念のため、当時のレートで換算すると1500ドル、である。
『こういうものは欲しい人があってこその価格ですからね』
 三杉は画面の男を目で指した。その執着こそが主催者側の狙い目であった。欲しがる者 すなわちカモ、というわけだ。
『に、したって…』
『あなたも加わってはどうですか?』
 京子は一瞬びっくりしたように目を見開いた。それからゆっくり微笑む。
『――それもいいかもね』
「20万」
「25万だ!」
「――40万」
 割って入るように京子の凛とした声が響いた。皆が一斉に振り向く。
「では、ご、ご、50万ドル!」
 フランス人が顔を紅潮させている。日本側の2人はあっけにとられた様子で振り返り、 京子のほうを見た。しかし京子は笑みを浮かべて画面を見つめているだけだった。
「60万」
 京子の余裕綽々の様子にフランス人はちょっとたじろいだようだった。連れの男と素早 く言葉を交わし、そして勝負に出た。
「75万だ!」
 釣り上げ役だった2人は予期せぬ展開にひとまず傍観することにしたらしい。売りつけ る相手は最初から決まっていたものの、何もしなくても値がどんどん上がっていくこの状 況はむしろ歓迎すべきなわけで、最初の筋書き通りフランスの顧客が最終的に競り落とし さえできれば金額は高いほどいいというわけだ。
「そう、ね。せっかくだからキリのいい所で――」
 両会場ともがシン、と静まった。いよいよ100万の大台に乗るのか。落ち着いた態度 で座っている女性の口元に全員の視線が集まっていた。
「200万ドル。いかが?」
 凍りついたような静寂だった。息をつくのを忘れていた司会者がはっと我に返る。
「え、で…ではこのブラックパールはそちらのレディに――」
「待ってもらおう!」
 いきなり大声が飛んだ。あっけにとられていた周囲はぎょっとそちらに顔を向ける。
「ハッタリだ! そんな金額が払えるものか! 今の落札は無効だ!」
 釣り上げ役の2人のすぐ背後に座っていた男が自分の仮面をむしり取るようにして床に 叩きつけた。顔が青ざめている。なるほど、これがこの会の主宰者というわけだった。
「まあ、失礼なおっしゃりようだこと」
 京子はつんとして自分のポーチを開けた。小切手帳を取り出し、さらさらとサインす る。
「これでよろしくて?」
 進行役の男にすっと手渡す。また周囲が低くざわめいた。
「…三杉くん?」
 隣で三杉がぐっと体を折り曲げる。京子が見下ろすと肩が細かく震え、殺した笑い声が 漏れ始める。
「あ、あなたってかたは…本当に。山本さんのご苦労がわかりますよ」
「三杉くん、あなたねえ、けしかけたのは誰だったの?」
「こ、小泉京子――!?」
 司会者の手で額面200万ドル、日本円で3億円の小切手がぶるぶると震えた。サイン の文字は見間違いようはない。京子はそこでつかつかと歩み寄ると、その手から小切手を 取り上げ、にっこり笑った。
「もちろんこれは持ち主に支払うお金ですからね。わ、た、しがいただきます」
 指輪をはめた手をわざとらしくひらひらさせながら京子は小切手をポーチにしまった。
「さ、いつまで笑ってるの。行きましょう」
「そのほうがいいみたいですね」
 三杉も真顔に戻って、すい、と京子に肩を並べる。
「走れますか?」
「まっかせなさい!」
 まさにこれが京子の必殺スマイルだった。










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