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空がようやく白みかけた時刻だった。
「ミサキさま。コーヒーをお持ちしました」
「頼んでないよ、ボクは」
「……」
「わかったよ、飲むから! そんな目で見ないでくれる? ほんとにもう…」
執事は銀の盆を静かにテーブルに置いた。
「ああ、そうだ。ここの電話、もう使えるの?」
「はい、どちらへなりと」
軽く頭を下げて執事は下がって行った。岬は不機嫌そうに電話に近づいて、国際電話の
コードを押す。
わずかな呼び出し音の後、相手が出た。
『やあ……おはよう、だね?』
「そうだよ。こっちは夜明け。寝てないけど」
『岬くん』
声がほんのわずかに揺れた。
『やっと、生の声で話せたね』
「うん、別にいいけど」
ちょっと会話がかみ合いにくい。ずっと一方通行に慣れてしまっていたせいか、別の理
由なのか…。
『マダム・ブルーのオフサイド・トラップにはかからずにすんだね。君をふところに呼び込
もうとゲームメイクをしたようだけれど』
「まあ、ギリギリね」
サイバーテロ計画は寸前でついえた。岬の秘密のネットワークとデータベースと、そし
て岬自身も奪われずにすんだのだ。
『攻撃と守備のバランスが大変だっただろう、岬くんでも』
「人のこと言えるわけ…?」
こちらで小さくつぶやいたところで岬は現実のことを思い出した。
「テストマッチは? 勝った?」
『もちろん勝ったとも。――翼くんのシュートのおかげでね』
「まさか! 翼くんが出たの?」
片手でコーヒーをつごうとしていた手がびくっと止まった。
『いいや、翼くんは球拾い。最強の球拾いさ。日向には気の毒だったかもしれない』
三杉は思い出してくすくすと笑った。
「反町はどうだった? もう必要ないのにボクの役をやったんでしょ? 物好きなんだか
ら…」
『彼には必要だったんだよ。それに、翼くんにもね』
「翼くんに…?」
岬は眉を寄せた。
「どういうこと? 意地悪しないで教えてよ」
『翼くんからの伝言にヒントがあったんじゃないのかい? 機密扱いで僕は読ませてもら
えなかったんだが。君がダンジョンの奥から出てくる気になったのも、あれを読んだから
なんだろう? ゲームを途中でリタイアして』
岬に届けられた翼からのメッセージ。それが、あのゲームを介しての最後の通信となっ
た。岬は自らを拉致から解放したのである。
「あのゲームにはもともと結末なんてないのさ。これからもずっと未完。だから途中なん
てものもない。でも、それだからこそ、ボクはこのゲームが好きなんだ」
『君の趣味は理解しがたいなあ。でもそれはそれで尊重するよ。きっとまたすぐに別のゲ
ームの別のダンジョンに籠もってしまうんだろうけどね』
「そしたら、また君がそれをわざわざ引っぱり出しに来るってわけ? ――もうウンザリ
だよ」
『なあに、僕ばかりじゃないさ。次は翼くんかもしれないだろう? なにしろ僕は今回で
懲りたからね』
「嘘ばっかり」
その憎まれ口が、岬の復帰宣言となった。
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