Poisson d’avril
『四月の魚』





「三杉くん!」
 背後からそう呼びかけた岬の声を聞いて三杉は振り返った。
 小走りに駆け寄ってくる岬が追いつくのを、その場に立ち止まって待つ。
「もう、さっさと先に上がっちゃうんだから」
「何か用があったかい?」
 今日は主にベンチにいた三杉は一人ジャージ姿だった。ユニフォームのままの岬は、肩を並べたとた んに歩き出した三杉を横目で見る。
「あるよ。今日は4月1日なんだから」
 三杉はちょっと意外そうにこちらを見返した。
「ええと、エイプリルフール?」
「そう」
 岬はきっぱりとそう答えて今度は自分が立ち止まった。
「だから、君に一つ頼みたいことがあるんだ」
「…?」
 三杉も再び足を止める。
「4秒だけ、無抵抗でいてくれるかな」
「無抵抗…」
 それは怖い。怖いと思っていることを隠すことなく、そして相手にもその警戒が伝わっていることを前 提にしながらつぶやく。
「たった4秒で何をする気?」
「大丈夫だよ」
 岬は真面目な顔で人差し指を立て、三杉の鼻先に突きつけた。
「だからいい? 4秒だよ」
 三杉がうなづくのを待たずに岬は両腕を伸ばす。そしてその体をぎゅっと抱き寄せた。
「岬、くん?」
「――口も無抵抗」
「……」
 しかたなく三杉は黙る。
 1・2・3・4――。
 心の中で4数え終わっても岬はそのまま動かない。
「ねえ、4秒経ったから抵抗してもいいかな」
「どうぞ。できるもんなら」
 抱きしめているのは岬のほうだが、身長は数センチ彼のほうが低い。三杉の腕をかいくぐって体を抱 えれば、三杉には抵抗はやや不利だった。
「うーん、下手を取られてしまったな」
 相撲ではありませんけど。
 抵抗しないことを約束させられた4秒を過ぎても、三杉は抵抗ができなかった。
「これって、嘘じゃなくて罠って言わないかい?」
「それもエイプリルフールのうち」
 三杉の肩に埋めるようにした顔は見ることができないが、その下からくすくすと押し殺したような笑い 声が聞こえてきた。
「わかったよ。じゃあ、降参するから」
「それでいいの」
 岬はようやく体を離すと、三杉と顔を合わせてにっこりした。
 と、次の瞬間後ろに飛びすさるようにして先に駆けて行ってしまう。
 三杉はちょっと残念そうにそれを見送りながら自分の背中に手を回した。
「なるほど。四月の魚か」
 自分のジャージの背からはがした紙を見て三杉はうなづく。
 そこにはフランス語でエイプリルフールを表わす文字と岬の手による小さい魚の絵が描かれていた。 フランスではエイプリルフールに騙された者を四月の魚と呼ぶのである。
「愛のメッセージとしてありがたく受け取っておくよ」
 にこにことその紙を振りながら呼びかける三杉をずっと離れた向こうから見て、岬は悔しそうな顔をし た。その姿に向かって三杉はさらに声を上げる。
「じゃあ僕からのも受け取ってくれるよね、岬くん」
「えっ、何? ――あ、ああっ!?」
 岬は自分の背中に手をやってそこに貼られていた紙を引き剥がした。その文面をさっと読んで岬は顔 を赤くする。
「何てこと書くんだ、もうっ!」
 さて、そこに何が書いてあったかはわからない。岬は手の中で握りつぶしてしまったから。
「その言葉は嘘じゃなく、本気だからね」
「ば、ばかばかっ!」
 10ヤードの間をおいて大きな声で会話を続ける二人を中に置いて、他の選手たちはその脇をそそく さと通っていく。なるべくその危険区域に近づかないように両側へと避けながら。
「四月馬鹿って、バカップルのことだっけ?」
「しっ…!」
 見ないふり、聞こえないふり。
 これが4月1日の昼の部にすぎないことも、一部の者にはわかっていただけに。



[ END }






★2009年版エイプリルフール岬×三杉話でした★
念のために2005年版は「三月うさぎと四月馬鹿

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