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俺は急いで顔を引っ込めた。不本意だったが、さっき石崎が教えてくれた
抜け穴からもう一度ガレージの中に潜り込むことにする。
古タイヤの山の陰に隠れて階段のほうを窺っていると、程なく足音が聞こ
えた。
「こっちだ、滝!」
滝は階段を使わず、廊下の端からガレージへ、一気に飛び降りた。
「腰が抜けたぜ、もう」
「おまえが抜かしてどうする」
安全な物陰に入るとすぐ、滝は体を横たえた。
「ケガしたのか!?」
滝は首を伸ばして後脚の傷を舐めている。
「なんてことないよ。かすっただけさ。ただ血が止まるまでは…」
俺ははっと廊下を見上げた。そうか、それで階段に跡を残さないよう用心
したわけだ。
「雪の上には出られないな」
「ここで待つさ。そのうち血も止まるだろ」
滝は案外平気な顔だった。その顔を見て、俺は迷いながらもさっきのこと
を打ち明ける気になった。
「ヤクルトおばさんが…!? まさか!」
「俺、何も信じられない気分だよ。あの人だけは俺たちと――秘密を守り合
ってるつもりでいたのに」
俺はうつむいて足元を見た。いくら思い返してみても納得がいかなかっ
た。あの人の協力は俺たちにとって何よりありがたいものだったし、それは
全部あの人の若林さんに対する個人的な好意から来ているのだと――俺は思
っていたのだ。
「連中のボスの…情婦!?」
滝は憤慨した口ぶりでつぶやく。
「俺たちを、ずっとだましてたってわけか? 若林さんを追うために…」
「………」
俺は不思議に怒りは湧かなかった。ただ、モヤモヤした思いが俺の中でぐ
るぐる渦巻いていた。
あの人は、若林さんがいた頃から時々見かけていた。ヤクルトおばさんと
して町で働いていたのは嘘ではないと思う。
「おまえは甘いんだよ!」
滝が決め付けた。
「そいつはつまり、もうずいぶん前から若林さんを監視してたってことじゃ
ないか」
「……若林さんって、監視されるようなこと、やってたか?」
俺が聞き返すと、滝はぐっと詰まった。俺たちの知る限り、若林さんは広
い畑で作物を作り、ニワトリやヤギを飼い、妻亡き後男手一つで翼を育て、
それはもう典型的な農場主以外の何者でもなかった。こんな物騒な連中に付
け狙われ、1年も行方をくらますようなところは何も。
「俺たち、イヌだもんなぁ…」
「バカ、井沢!」
滝はいきなり俺をはたいた。
「イヌでも人間でも俺たちは家族だぞ。イヌだからできない、イヌだからわ
からないことなんてないんだ、って、そう思ってたからこそこの1年、やっ
て来れたんじゃないか」
「滝…」
「そして、みんなを引っぱって、そう思わせ続けてくれたのはおまえだぞ、
井沢」
俺、泣きたくなってしまった。大変なことを大変だと思わずに来れたの
は、みんながいたからだ。そして翼がいたから――。
俺は瞬間、電気が走ったような気がした。
「翼だ!」
「え?」
滝もつられて目を丸くする。
「翼はオトリの人質なんかじゃないんだ。欲しがってるのは翼なんだよ、や
つらは!」
「けど、昨夜のやつら…」
「あいつらは下っぱだからな、そこまで知らされていなかっただけだと思
う。現にカーターは翼のことを一番に気にかけてた」
「なら若林さんはそのついで?」
「う、う〜ん、きっと両方揃ってはじめて意味があるんじゃないかな…」
だんだんボロが出て来る。そう一気に何もかもわかるもんか。
「でも翼が狙い、ってのは納得できるかもな。ヤクルトおばさんも、ただの
監視にしちゃ翼を可愛がりすぎてたもん」
「翼は可愛い!」
思わず言ってしまって、滝の冷たい視線を浴びるはめになる。
「でもよ、変だと思わないか?」
滝の声がマジになった。
「あいつら、若林さんが俺たちと一緒にいると思い込んでるんだろ? ヤク
ルトおばさんはそうじゃないってことよーく知ってるはずじゃないか」
問題はそこだった。この連中はそう考えると、目的についてはひとくくり
にとらえてはいけないのかもしれない。
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