南 葛 農 場        5
















「来たぞ!」
 ほぼ同時に上がった二方向からの声に、俺たちはあわただしく行動開始し た。
 正面のゲートに付いていた岩見は、昨夜と違うワゴン車が1台、国道から 折れたすぐの場所に停まったことを報告した。一方、牧草地側の私道には昨 夜の乗用車が乗り入れて来た、と滝が駆け込んで来る。
 いずれにせよ、連中も今度はそれなりの心の準備をしているはずだ。い や、心だけならまだしも、装備にも万全を期している可能性が高い。
 俺は森崎と高杉に翼を任せて、納屋に走った。対抗上、俺たちも自前の牙 以外に準備をさせてもらうことにする。
「おーい、井沢ァ!」
 ひととおり揃えたところでタイミングよく石崎が呼びに来た。
「あっちの用意はいいぜ。おまえの方、見つかったか?」
「ああ、ばっちりさ」
 長野と俺とで重い袋を引きずって行く。手ぶらの石崎は気楽な顔で先導し てくれるが、せめてもう少し緊迫感というものを見せてほしいものだ。
「よーよー、近所に一言断っといたほうがいいんじゃねーかぁ? いきなり 始めたら苦情が来るぜ」
 そうかもしれない。だが念のため言っておくと、うちと隣り合わせの農場 は境界からでも母屋は軽く1マイル離れている。誰に断りを入れる気か知ら ないが、ま、人間なら微かに聞こえる程度だと思う。
「火は?」
 ようやく裏庭に着いて、俺たちは組み立てにかかった。と言ってももとも と組まれている小さなやぐらを雪の中から掘り出しただけだが。
「ここ。ソリに乗せたままだけどよ」
 居間の暖炉から運んで来た数本のマキが風にあおられてほそぼそと燃えて いた。
 取り残された俺たちが一番苦労したこと。それは火の扱いだった。暖炉の 火はこの1年ずっと燃し続けて絶やしていない。それを俺たちなりに使いこ なすために、「火のソリ」なるものを考え出したのだ。平たく言えば、暖炉 に備え付けてあった小型のシャベルに火種を乗せて必要とする場所へ引きず って行くだけなのだが、これでも俺たちは試行錯誤をしてやっとマスターし たんだ。もちろん、翼にはまだ一度だって触らせたことはない。
「じゃ、あとはここに火をつけるだけだからな、頼むぞ、石崎」
「ああ、どーんと任せときな。合図があったらいつでも行くぜ。俺、こーゆ ーの大好きだかんな」
 石崎、これは宴会の余興じゃないんだ。頼むから楽しまないでほしい。
「井沢ーっ! 早く来いよー!」
 滝が駆けて来た。
「あいつ、あいつも来てるぜ。俺たちにアイスくれたヤツ」
 カーターもまさか俺たちにそういう認識をされているとは夢にも思ってい ないだろう。昨日来た連中のリーダーと二人、裏手の乗用車にいると言う。 「来るぞ、早く早く!」
 飼料小屋の入り口で高杉が待っていた。俺たちが中に滑り込むと同時に、 大声が響く。
「若林くん、我々は完全に包囲した。もう逃げ道はない。家族や農場の無事 を望むなら、抵抗せずに出て来なさい!」
 本当に飲み込みの悪い男だ。それとも思い込みが激しいだけなのだろう か。
「うちの敷地、ほんとに全部包囲しようと思ったら何百人いたって無理だよ ね」
「ほんと、勢子じゃないんだから」
 くすくす笑っているのは小田だ。狩猟の時、獲物を囲んでじわじわと追い 込んで行く仕事はこいつらには馴染みだからな。
「いいか、あいつらは若林さんがここにいると信じてるんだ。それをできる だけ利用しよう」
 母屋は無人だ。連中がまず母屋をマークするだろうと踏んだからだ。が、 今回連中はいきなり非常手段を取ってきた。
「い、井沢ぁ……!」
 森崎が息を飲んだ。母屋のほうに火の手が上がったのが見えたのだ。
「あわてるな。どうせ脅しだよ。勝手口のバルコニーあたりかな…」
「こりゃあ、ガソリン、だな」
 滝がつぶやいた。多少は焦げかけてるかもしれないが、まだ木が燃える匂 いはなかった。持参の『偽火事セット』ってとこか。
「でも風向き次第ではヤバイぜ。俺、行くからな」
 滝と小田が小屋から駆け出して行った。そう、『若林さん』を助けに、 だ。
「いたぞ! 2匹、中に入って行く!」
「尾けるんだ! 見失うなよ!」
 足の速い二人だけに、わざと追っ手を引き離さずに逃げるというのは逆に 難しいかもしれないが、男たちの注意を家の中に向けるためにがんばっても らわないと。
「高杉、翼を見ててくれよ」
「わかった」
 俺は長野と正面ゲートに向かう。わざわざ目立つ人選をしたのはもちろん こっちもオトリだからだ。留守部隊は高杉、森崎、岩見。中里は石崎と連絡 を取るために待機している。
「あれ、何だ?」
 俺の先を走っていた長野が声を上げた。ワゴン車から長々と太いホースが 母屋に向かって伸びて、その側に手下の一人が付いている。
「あっ、こっちにも2匹います! 外へ逃げる気だ!」
「犬はいいから、装置から離れるな!」
「は、はい…!」
 向こうから指示の声が飛んでいる。俺と長野は目を合わせると、Uターン して母屋に走った。
「うわっ、ひどいな、こりゃ…」
 一面、悪臭がたちこめていた。臭いだけではない、霧が地面を這うよう に、いや、もっと重くて厄介な煙が母屋の周囲を覆っていたのだ。
「い、いぶし出す気かぁ? 連中…」
「俺たちと、それに『若林さん』をね…」
 そりゃあ本当に火をつけるわけにはいかないにしても――法律では放火は かなりの重罪だそうだし――よくまあこんな機械まで持ち込んだものだ。
 それ以上先にはとても進めそうになかった。煙いのも煙いのだが、とにか くこの臭いは我慢できない。連中がそこまで読んでたのか知らないが、人間 よりずっと鼻の利く俺たちは、嫌な臭いに対してもダメージが大きくなって しまう。
「なあ、この分だと飼料小屋の方へもすぐ回るんじゃないのかぁ?」
 長野が咳き込みながら周囲を見渡した。滝と小田は2階にいるはずだか ら、煙の被害はむしろ地上にいる俺たちのほうがひどいということになる。 「おーい、こっちに犬が出て来てるぞ!」
 まずい。こんな中では逃げ場を確保するのもひと苦労だ。声と逆の方へと りあえず走り出そうとして、いきなり誰かとぶつかりそうになった。
「中里!?」
 中継点で待機していたはずの中里だった。パニック顔になっている。さっ きの追う声は俺たちではなく中里を追っている声だったんだ。
「石崎は?」
「わ、わかんないよ! 母屋の周りは人間だらけなんだ。こっちに来るのが やっとだった…」
「お、いたぞ!」
 中里の言葉が終わらないうちに、煙の中から別の連中が現われた。これじ ゃ挟み撃ちじゃないか。
「うぇえ…!」
 妙な悲鳴を上げた中里だが、これは恐怖ではなく感動だったかもしれな い。俺たちの前に立ち塞がった二人の男が突然雪ダルマに変身したのだか ら。
「滝っ、またおまえそんなとこに登って!」
 俺が怒鳴っても滝はどこ吹く風で屋根の上を跳ね回る。言うまでもなく屋 根の上には雪が積もっていて、そういう真似をするとその雪は軒下に落ちて くるのだ。そう、大量に。
「俺はこんなのヤなんだよぉ…!」
 下を見るのも嫌、という感じで顔を引きつらせている小田は、しかしあと ずさりしたはずみに第二弾を男たちに命中させてしまった。なかなかのコン ビネーションだ。
 と感心している余裕もなく、今度は反対側の男たちがすごい形相で襲いか かって来た。別にわざと怒らせようとしているわけではないのだが、昨日か らの累積分があるからな。連中のプライドはボロボロ寸前だろう。
「うわ、放せよっ!」
 叫んだのは長野だ。体を両側から押さえ付けられている。俺たちは首輪を していないのでつかむ場所に窮したのか、とにかく覆い被さるように体重を 掛けて抱え込んでいる。
「長野!」
 俺が助けようとそこへ飛び込みかけその時だ。耳をつんざくものすごい音 に、その場の誰もが一瞬凍りついてしまった。
 母屋の向こう側からさらに轟音がもう1回。
「あ…ンのヤロー、石崎っ!」
 男たちの手が緩んだそのスキにするりと身をかわして長野が走り出す。
「勝手に始めちまったな、あいつ」
「でも、助かったよ…」
 長野がチラと後ろを振り返った。煙と轟音の中、男たちが叫びながら走り 回るのが見える。若林だ、やっぱり若林がいるんだ、という声が飛び交って いた。まさかこれが農場の夏の必需品、カラス脅し爆音機とは気づくまい。 俺も火薬玉の適量がイマイチわからなくて適当に入れたのがどうやら多すぎ たらしいけど。
 俺たちは道具小屋の陰に駆け込むと、ぜいぜいと息をついた。とにかく新 鮮な空気を補充する。
「石崎(あいつ)、止め方知ってんのか?」
「俺だって知らないよ。火薬玉がなくなったらそのうち止まるだろ」
「井沢ぁ…」
 長野が白い目で見返したが俺は無視した。
「早くみんなのところへ戻ろう。作戦を立て直さなきゃ」
「どんな作戦?」
 雪まみれで濡れそぼった俺たちを屈託のない顔でまじまじと眺めていたの は、人騒がせな手品師、来生だった。














 滝と小田が同じく駆け込んで来た時、俺たちは必死で来生の話を聞いてい るところだった。
「てめ、この、心配させやがって! なんだってあんな時に…!」
 ほとんど殴りかからんばかりの滝を、長野と中里が押しとどめた。
「若林さんのことが、わかりそうなんだよ!」
 滝は目を丸くして絶句し、そしてゆっくりと来生に目を戻した。来生は深 呼吸を一つしてから話の続きに戻る。
「――ヤクルトおばさんが行ったのは、港町の病院だよ。俺、おばさんの後 をついて入ろうとしたけど駄目だった。病院の人に追い返されちゃった…」 「そこに、若林さんが…!?」
 結論を急ごうとする滝に、俺は今朝2階で森崎と見つけた写真のことを説 明した。
「若林さんと病院、ってのは昔から何か関係があるんだよ。俺たちが来るも っと前から」
「でも大学って、若林さんが行ってたのは農大だぜ。病院ってのはちょっと 違うんじゃ…」
 長野が首を傾げた。俺も決め手があるわけではないのだが。
「若林さんが自分の子供をいつまでも置き去りにしておくような人だと思う か? 俺たちと別れた時、若林さんはすぐ戻るつもりだったんだ、絶対。そ れがこんなになっても帰らない、てのは…」
「帰らないんじゃなく、帰れない…?」
 滝が俺の言葉を引き継いだ。
「やっぱり、ヤクルトおばさんが若林さんを閉じ込めてるんだ、ボスの命令 かなんかで!!」
「病院に?」
 中里に聞き返されて滝は詰まったが、すぐ勢い込んでうなづく。
「そうさ! ひょっとすると病院全体がボスの仲間かもしれないぞ」
「――もう少し時間の余裕があったら」
 来生が表情を曇らせた。
「俺、なんとかして中に潜り込んで若林さんを探したかったんだけど、やっ ぱりお前たちに知らせるほうが先だろうと思って…」
「来生、それで良かったんだって。若林さんのことは今すぐ手出しのできる ことじゃない。それより俺たちは今、翼(ここ)を守らなくちゃいけないん だから」
「おい、あの車だ!」
 こわごわと小屋の陰から様子を窺っていた小田の叫び声で、俺たちの束の 間の休息は終わる。
 リーダーの車が行き過ぎかけて急ブレーキをかけた。走り出て来たのはカ ーターだ。気は進まないが、逃げ込む先はあの煙方面しかない。
「俺、小屋のみんなに知らせてくる!」
 来生の声が、途中で離れて行った。どうか見つかりませんように。こうな ったら注意をそらすためにわざとワンワン大きな声を出し続けるしかない。  リーダーの車は止まったが、カーターと部下がさらに迫る。俺たちは家の 中を目指した。
「あっ!」
「行き止まりだ…!」
 台所の勝手口は中からロックされていた。その上、ベランダと並びのマキ 小屋からは既に火の手が上がっていて、母屋との間を通り抜けることもでき そうになかった。石崎でもない限り。
「い、井沢ァ…?」
 なんとその本人が、その隙間を擦り抜けて現われた。向こうからくぐって きたのだ。
「バカ、今になってこんなとこに来るなんて! こっちも追い込まれちまっ たんだぞ!」
 滝が咳き込みながら怒鳴る。石崎はちょっと困ったような顔で――しかし 口調はいつものままで答えた。
「けどよ、もう火薬玉がなくなっちまったんだ。つまんねえから様子見に来 た」
「あのな、おまえこの状況見てみろよ。このままじゃ俺たち丸焼きなんだ ぞ!」
「やだやだ、そんなの〜!!」
 小田と中里は腰を抜かしたみたいにへたり込んで、ぼーっと炎を見ている ばかりだ。中身がマキなだけに、小屋はますます燃え盛る。
「あー、そーかァ、そだよな〜」
 石崎の言葉を聞いている者など誰もいない。追っ手の連中も近くまでは来 ていながら、炎に気を取られて俺たちの存在を忘れたように立ちつくしてい る。
「うっわ――っっ!!」
 小屋に一番近い位置にいた石崎が飛び上がった。バキバキバキッとものす ごい音を立てて、燃えるマキ小屋を突き抜けてきたものがあったのだ。火の 粉が高く舞い上がり、炎がその瞬間まっ二つに割れる。
「ヤクルト・バギーだ!?」
 叫んだのは滝だったろうか。
「こっちだよ! 早く来て!」
 頭上に降ってくる燃えさしと火の粉を片方の腕で防ぎながら、制服姿のヤ クルトおばさんが叫んでいた。完全に意表を突かれた俺たちだが、もうため らっている余裕などない。ぽっかりと俺たちの前にひらけたわずかな空間 を、息を止めて一気に走り抜ける。
 野生動物ほどではないにしろ、俺たちイヌも火に対する本能的なアレルギ ーがある。その火の中をくぐった時に、どうやら俺の思考回路は完璧に焼き 切れてしまったようだ。
 並んで走るヤクルトおばさんのバギーが燃え落ちてきた梁にぶつかりか け、俺のすぐ後ろでタイヤが大きくバウンドした。
 俺は反射的に振り返った。地面に投げ出されたヤクルトおばさんと目が合 う。バギーはあっと言う間に炎に包まれて青白い火花を散らしたかと思う と、ボンッと燃え上がった。背後で男たちの怒号が遠く聞こえる。
 俺はおばさんが起き上がるまでわずかに間をおいた。それからぷいと前に 向き直り、また駆け出す。ヤクルトおばさんが俺についてきたのを耳で意識 しながら、なんとか飼料小屋までたどり着いた時、俺たちは完全に放心状態 になっていた。







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