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「来たぞ!」
ほぼ同時に上がった二方向からの声に、俺たちはあわただしく行動開始し
た。
正面のゲートに付いていた岩見は、昨夜と違うワゴン車が1台、国道から
折れたすぐの場所に停まったことを報告した。一方、牧草地側の私道には昨
夜の乗用車が乗り入れて来た、と滝が駆け込んで来る。
いずれにせよ、連中も今度はそれなりの心の準備をしているはずだ。い
や、心だけならまだしも、装備にも万全を期している可能性が高い。
俺は森崎と高杉に翼を任せて、納屋に走った。対抗上、俺たちも自前の牙
以外に準備をさせてもらうことにする。
「おーい、井沢ァ!」
ひととおり揃えたところでタイミングよく石崎が呼びに来た。
「あっちの用意はいいぜ。おまえの方、見つかったか?」
「ああ、ばっちりさ」
長野と俺とで重い袋を引きずって行く。手ぶらの石崎は気楽な顔で先導し
てくれるが、せめてもう少し緊迫感というものを見せてほしいものだ。
「よーよー、近所に一言断っといたほうがいいんじゃねーかぁ? いきなり
始めたら苦情が来るぜ」
そうかもしれない。だが念のため言っておくと、うちと隣り合わせの農場
は境界からでも母屋は軽く1マイル離れている。誰に断りを入れる気か知ら
ないが、ま、人間なら微かに聞こえる程度だと思う。
「火は?」
ようやく裏庭に着いて、俺たちは組み立てにかかった。と言ってももとも
と組まれている小さなやぐらを雪の中から掘り出しただけだが。
「ここ。ソリに乗せたままだけどよ」
居間の暖炉から運んで来た数本のマキが風にあおられてほそぼそと燃えて
いた。
取り残された俺たちが一番苦労したこと。それは火の扱いだった。暖炉の
火はこの1年ずっと燃し続けて絶やしていない。それを俺たちなりに使いこ
なすために、「火のソリ」なるものを考え出したのだ。平たく言えば、暖炉
に備え付けてあった小型のシャベルに火種を乗せて必要とする場所へ引きず
って行くだけなのだが、これでも俺たちは試行錯誤をしてやっとマスターし
たんだ。もちろん、翼にはまだ一度だって触らせたことはない。
「じゃ、あとはここに火をつけるだけだからな、頼むぞ、石崎」
「ああ、どーんと任せときな。合図があったらいつでも行くぜ。俺、こーゆ
ーの大好きだかんな」
石崎、これは宴会の余興じゃないんだ。頼むから楽しまないでほしい。
「井沢ーっ! 早く来いよー!」
滝が駆けて来た。
「あいつ、あいつも来てるぜ。俺たちにアイスくれたヤツ」
カーターもまさか俺たちにそういう認識をされているとは夢にも思ってい
ないだろう。昨日来た連中のリーダーと二人、裏手の乗用車にいると言う。
「来るぞ、早く早く!」
飼料小屋の入り口で高杉が待っていた。俺たちが中に滑り込むと同時に、
大声が響く。
「若林くん、我々は完全に包囲した。もう逃げ道はない。家族や農場の無事
を望むなら、抵抗せずに出て来なさい!」
本当に飲み込みの悪い男だ。それとも思い込みが激しいだけなのだろう
か。
「うちの敷地、ほんとに全部包囲しようと思ったら何百人いたって無理だよ
ね」
「ほんと、勢子じゃないんだから」
くすくす笑っているのは小田だ。狩猟の時、獲物を囲んでじわじわと追い
込んで行く仕事はこいつらには馴染みだからな。
「いいか、あいつらは若林さんがここにいると信じてるんだ。それをできる
だけ利用しよう」
母屋は無人だ。連中がまず母屋をマークするだろうと踏んだからだ。が、
今回連中はいきなり非常手段を取ってきた。
「い、井沢ぁ……!」
森崎が息を飲んだ。母屋のほうに火の手が上がったのが見えたのだ。
「あわてるな。どうせ脅しだよ。勝手口のバルコニーあたりかな…」
「こりゃあ、ガソリン、だな」
滝がつぶやいた。多少は焦げかけてるかもしれないが、まだ木が燃える匂
いはなかった。持参の『偽火事セット』ってとこか。
「でも風向き次第ではヤバイぜ。俺、行くからな」
滝と小田が小屋から駆け出して行った。そう、『若林さん』を助けに、
だ。
「いたぞ! 2匹、中に入って行く!」
「尾けるんだ! 見失うなよ!」
足の速い二人だけに、わざと追っ手を引き離さずに逃げるというのは逆に
難しいかもしれないが、男たちの注意を家の中に向けるためにがんばっても
らわないと。
「高杉、翼を見ててくれよ」
「わかった」
俺は長野と正面ゲートに向かう。わざわざ目立つ人選をしたのはもちろん
こっちもオトリだからだ。留守部隊は高杉、森崎、岩見。中里は石崎と連絡
を取るために待機している。
「あれ、何だ?」
俺の先を走っていた長野が声を上げた。ワゴン車から長々と太いホースが
母屋に向かって伸びて、その側に手下の一人が付いている。
「あっ、こっちにも2匹います! 外へ逃げる気だ!」
「犬はいいから、装置から離れるな!」
「は、はい…!」
向こうから指示の声が飛んでいる。俺と長野は目を合わせると、Uターン
して母屋に走った。
「うわっ、ひどいな、こりゃ…」
一面、悪臭がたちこめていた。臭いだけではない、霧が地面を這うよう
に、いや、もっと重くて厄介な煙が母屋の周囲を覆っていたのだ。
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