THE PHOTOGENIC --- 4












 内輪話のつもりで会話している二人だったが、こうなると内輪ではすまない。その場の、
特に女性陣からは声にならない悲鳴が上がっていたし、でなくてもスタジオ中の全員が遠巻
きにしたまま聞き耳を立てて注目している。
 酸欠状態になりかけた反町は、しかしいつもの無感動のままの若島津を前に大きなため息
をついた。
「あのね、健ちゃん、ちょっと聞くけど」
 若島津は椅子の一つに腰掛けていたが、そこから目を上げる。
「なんだ」
「娘、いくつ」
「歳か、もうすぐ5才になる」
「う!」
 反町は一瞬黙り込んだ。
「おまえが代表抜けてハリウッド行っちまったのが6年前だよな。計算合うな。――じゃな
くて!」
 自分の言葉でまたテンションが上がってしまったようだ。
「5年も黙ってたなんて、どーゆーことっ?」
「黙ってたんじゃなく、おまえとは連絡自体とってなかっただけだろ」
「…じゃあ、日向さんは? あの人は知ってたわけ?」
「知ってるも何も、あそこの子供たちとは幼なじみだ」
 比較的若いうちにとっとと結婚した日向はともかく、この年齢になると独り者はけっこう
連帯感があったりする。かなり一方的なものだったとしても。
 反町はしばらく絶句していたが、ここで身をかがめて声をひそめた。
「正直に言えよ。――おまえの子か?」
「失礼な。もちろんだ」
 若島津は平然と断言した。そこで内ポケットを探る。
「疑うならこれを見ろ」
 差し出されたのは写真だった。飛びつくように覗き込んで、反町は口をぽかんと開ける。
「そ、そっくり!」
「だろう」
 若島津は目を細めてうなづいた。
「これ、健ちゃんの姉さんでも妹でもなく、娘?」
「まわりを見ろ。そんな古い写真に見えるか」
「健ちゃんが子供の時のでもなく?」
 懲りない反町の手から写真を取り上げて、若島津はまたそれを内ポケットにしまった。周
囲の何人分もの好奇心が一斉に『み、見たい!』と嘆息するのも気づかずに。
「井沢が泣くだろうな」
 反町が天井を仰いだ。もっともそこはライトやケーブルがどっさり下がっている暗闇だっ
たが。
「なんでそこに井沢が出てくる。おまえらと一緒にしないでもらいたいな」
「俺たち、不倫じゃないもん」
 反町のささやかな反撃だった。もっとも、若島津のほうはダメージを受ける気配はなかっ
たが。
「そうだ、井沢と言えば…」
 若島津は見回して蒔田刑事を探した。蒔田は、彼らとは少し離れたスタジオの向こう側
で、捜査員たちから入れ代わり立ち代わり報告を受けているようだ。
「刑事さん!」
 若島津が手を振ったので蒔田が顔をこちらに向けた。
「外に電話したいんですが、構いませんか?」
「ああ、大丈夫です。ここにいてさえいただければ、外との連絡は問題ないですよ」
 向こうから叫び返す蒔田にうなづいて、若島津は反町に向かって手を差し出した。
「何?」
「携帯貸してくれ。俺は持ってないから」
「はいはい。外国住まいの方ですからね」
 反町が渡そうとすると、若島津は手を振ってそれをさえぎる。
「おまえに掛けてもらわないと。井沢になんだから」
「ホテルにじゃないの? 迎えが遅れるって」
「それは大丈夫。それより頼む」
 不思議に思いながらまず弁護士事務所に連絡を取って不在を確認し、それから本人の携帯
に掛け直す。表の井沢と裏の井沢を使い分けるいくつかの連絡先の一つとして反町が押さえ
ている番号だ。
『若島津が?』
 出先にいるという井沢はやはり驚いた声を出した。
「日向さんからの推薦で、だってさ。代わる」
「ああ、井沢か。反町は預かった。無事に返して欲しければ――」
「こらこら〜!」
 反町ががっくりするのは無理もない。いつの間にこんなにお茶目になったんだか。芸能界
ってコワイ…と思い知る。
「そう、早いほどいいんだ。至急頼む。ちょっと俺のほうは今動けないんで任せるが」
「え?」
 反町が目を丸くしている間に話はあっさりと終わったらしかった。
「なになに、何の話だよー。健ちゃん、先に連絡つけてあったんじゃん。初めて電話するみ
たいなこと言っといて」
「向こうから資料を送って依頼だけしてあったんだ。電話は今のが初めてだぞ。番号だって
知らなかったし」
「あっ、そう」
 反町は口を尖らせた。
「ま、どうせ聞いたっておまえらはほんとのこと教えっこないもんな。企業秘密だの、守秘
義務だのって」
「おまえら?」
 若島津の目がちょっぴり笑いを含んで光ったように見えた。
「おまえらこそ相変わらず妙なコンビだな。日向さんが言ってた通り」
「健ちゃんに言われたかないね。よりによって…」
 憎まれ口をたたいてそっぽを向いたそのすぐ前に、顔が迫っていた。反町はのけぞる。
「あ、わっ!?」
「あのー、ちょっとすみません」
 おおみね咲だった。こんな状況にあってさすがにショックだろう…と思っていたが、どう
もその天然ぶりだけは変化がないようだ。
「私もケータイ、借りたいんです。自分のは楽屋に置いたままだから…。お願いします」
「あ、ああ、どうぞ」
 二人の前で咲は携帯をかけ始める。じっと耳を澄ませて待っているが、録音の声が響いて
どうやら繋がらなかった模様だ。見るからにがっかりした顔で携帯を反町に返した。
「お父さん、出ないです。電源切ってるみたい。変だなあ」
「あのさ」
 ちらっと周囲を見渡しておいて反町は身を乗り出した。
「警察で探してるんだし、君が勝手に連絡取っちゃいけないんじゃない?」
「だって、私、自分で確かめたいですもん。直接話をしたいんです」
「まあねえ、気持ちはわかるけど」
「――若島津さん?」
 そこへ近づいてきたのは、真島かおりだった。娘がいようとプライベートがどうだろう
と、売り込みは別、という合理的な性格らしい。
「この間の作品、素晴らしかったですわ。毎回そうですけど発想がとにかくユニークで。も う大ファンなんです。次の作品も楽しみにしてるんですよ」
「この間と言いますと?」
 反町がはらはらと見守っている。一般人にはただのキレイなオジサンに見えるかもしれな いが、この男、そんなに生易しいものではない。
「制作した順に公開されるわけではないので、自分でもよく混乱するんですよ。特に年末に 3本同時進行でやったものでね。ファンの方のほうが詳しいですよね。どれですか?」
「あっ、えーと…」
 真島はとたんに言葉に詰まった。ファンと言ってしまった以上、下手なことを口にしては 売り込みも台無しになる。そう思うと余計に身動き取れなくなったようだ。
「『猫にかつぶし』…は違いますわね。ええ、『電離層カラー』でもなくて――。あら、ち ょっと度忘れしたみたいですわ、私ったら。…じゃ、お邪魔しました」
「健ちゃんってば」
 顔を赤らめつつそそくさと席に戻って行った真島を見送って、反町は非難の目を若島津に 向けた。
「ちょっとキツイんじゃない?」
「厚化粧は苦手なんだ」
 しかし若島津は涼しい顔だ。
「当たり前のことを当たり前に言えないで飾り立てようとするからな。俺の映画は複雑に形 容できるほど単純じゃない」
「あーあ、作品は素直なのになんで作ってるプロデューサーはこんなにひねくれてんだか。 俺みたいに正直に生きてみれば?」
 どちらもどちらであった。
「おまえが監督も兼ねてる時のが俺は好きだな。あのデビュー作もそうだったけど、新しい のでは『上院下院』、あれよかったよね。カメラの緩急がスリリングで」
「私もそれ好きです」
 反町が振り返ると、おおみね咲がまだそこにいて、にこっと笑った。
「あれって若島津さんの映画だったんですね。お父さんがこれいいぞ、って言うんで一緒に 観に行ったんですけど。同時上映の『よし、この石段』もそうですか? あれ、ストーリー が逆から巻き戻っていくのがいいですね。あ、これお父さんの受け売りですけど」
「お父さんが?」
 大峰竜二。元時代劇役者。そして現在殺人容疑で手配中。咲の胸中はどうだろうか。反町 はそっと表情を窺うが、深刻なようで深刻になりきれない天然ののんきさのほうが勝ってい るらしくてどうにもつかめない。そういう意味では若島津といい勝負だったかもしれない。 「お父さん、ビデオでたくさん集めてるんです。この人の作品が好きなんだ、って言って。 若島津さんのことだったなんてびっくりです。すごいマニアっぷりなんで」
 話の脱線っぷりも豪快だった。が、そこで咲もはっと気づいたらしくぱたぱたと手を振り 回す。
「ごめんなさい、私、外国の映画だと思って観てたんです。監督や俳優さんはアメリカみた いだったし、まさか、そんな、日本の人が作ってたって知らなくて」
「プロデュースというのは、そんなもんですよ。裏で威張ってるのが仕事ですから」
 企画を立て、監督その他を指名しそして制作活動全体を動かす。映画プロデューサーは全 権を握る立場にあるが、しかし名前が大きくフィーチャーされるのは限られた実力者だけと 言える。それを映画の本場でやってのけているのだから、並大抵のことではない。
「その上、裏のもっと裏でも動いてたりするんだもんね」
 反町は心の中でそう付け加えた。映画業界はもちろんビジネスの部分抜きに語れないが、 この若島津はそのさらに上を行く豪快なスケールで資金の動きをコントロールしているとい う噂が、同じく裏世界で囁かれている。スポンサー企業からひいては政府中枢に届きかねな い勢いで。
「あ、あれ相馬だ。打ち合わせ終わったかな」
 衣装替えをした相馬将人がちょうど現われた。さっきのカジュアルな服装からは一転して スーツ姿である。それとちょうど鉢合わせする形で、蒔田刑事も隣のスタジオから入ってく る。
「どうも、皆さん」
 軽く頭を下げた蒔田の白手袋をはめた手に、大きな封筒状のものが抱えられていた。
「鑑識から分析結果が出たので、お知らせします。おおみねさんには気の毒な結果なのです が――」
 めいめいに息を飲む音が重なった。視線が咲に集まる。
「大峰竜二さんを先ほど緊急手配したところです。凶器であるナイフから出た指紋が一致し たためです」
「…そんなー」
 咲もさすがに言葉を失う。蒔田は封筒からビニール袋を引っぱり出し、咲に示した。それ は血の跡も生々しいナイフだった。ざわめきが広がる。
「おおみねさん、このナイフに見覚えはありますか?」
「いいえ、それ、うちのじゃありません。お父さんのでもありません」
「そうですか」
 咲の言葉には何のコメントもせずにごく事務的に再びナイフをしまい、蒔田は一同を見回 した。
「付いていたのは2人分の指紋でした。川崎さんのと、大峰さんのです。したがって、皆さ んはこれでお帰りいただけるところなのですが、実はもう一つ問題がありまして、もうしば らく時間をいただくことをお許しください」
「なんでです。凶器も見つかって、容疑者もわかったんなら――」
「共犯、ですね」
 抗議する横井の言葉をさえぎるように、静かに若島津が言った。
「共犯者がこの中にいる可能性がまだあるとお考えなんでしょう、刑事さんは」
「そんな馬鹿な! 私たちずっとここにいたじゃない、収録してたんだから」
 真島がとんがった声を上げた。
「ここにいたから、じゃないですかね」
 若島津がやはり冷静に応じる。
「犯行があったGスタジオは今日は使わない日だったから動きはない。もしそこに誰か近づ けばかなり目立ちます。犯人としてはそういう危険は避けたいでしょう」
「となると人もいっぱいいて、ずっと誰かしら動いてた隣のスタジオのほうなら全然目立た ない――つまりこっちにいたこと自体、アリバイどころか共犯の可能性になっちまうってわ けか」
 反町がその後を引き継いだ。
「犯行または闘争に手を貸した者がこの中に? うーん、参ったな」
 どまんなかのキュウが大袈裟に腕を組み直した。
「あら、共犯って言うなら、簡単じゃない。犯人の身内がいるのよ、ここに」
 桜坂が意味ありげに咲に目をやった。ちょっと重い空気が流れかけるが、蒔田がすぐにそ れを否定した。
「あくまで可能性ですよ。共犯が必ずいたとは言えない。それに、皮肉なことにこの中で一 人だけ犯行が不可能なのがおおみねさんなんですよ。皆さんが1回かそれ以上、楽屋その他 に移動しているのに対し、彼女は収録の最初から最後までこのスタジオにい続けていたんで す。これでは隣のスタジオに行くことすら無理です」
「なんでまた!」
 呆れたように森永が言った。
「休憩時間だってあったのに、スタジオを出てないって、どういうことなんだ?」
 先はマネージャーを振り返ってから、うつむいた。
「あのー、私、台本がなかなか覚えられなくて、マネージャーさんとずっと練習していたん です」
「まったく何が幸いするかわからんね。怪我の功名って言うか」
 毒舌コンビのもう片方、横井がそう言って苦笑した。
「僕はトイレが近くて何往復もしちまった。こんなことならもう少し我慢しとくんだった よ」
 森永の場合、出番があまり多くなかったことも災いしているのだが。
「防犯カメラって、なかったんでしょうか。コンビニ強盗とか、けっこう鮮明に映ってるの ありますよね」
 相馬が隣の草津アナに話しかける。
「ああ、どうだろう。外回りにカメラが設置されているのは確かだけど、局内ではあまり見 ないね」
「ああ、防犯カメラでしたら」
 その会話が耳に届いたのか、蒔田がメモに目を落とした。
「川崎さんらしき姿が確認されていますよ。あいにくカメラの位置が遠くてしっかりとは見 えませんが、午前中に3回、この廊下に姿を見せています。そのいずれも、二人連れでね」 「2人!?」
 草津が声を上げた。
「じゃあ、それが…」
「犯行と結びつけて考えるべきでしょうね。誰にせよ、外部の人間だということはわかって います」
 その時、スタジオに警官が一人駆け込んで来た。必死な顔で蒔田に何事かを耳打ちする。
 蒔田も顔色を変えた。警官に短く指示を出してから、こちらに向き直る。
「大変なことになりました。Gスタジオの現場検証中に、もう一人、遺体が発見されたそう です」
「なんだって!!」
 全員が立ちすくんだ。









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