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新宿の夜は極彩色だった。特にこの歌舞伎町一帯は、歓楽街などという表現では収まり切
らない圧倒的なパワーをみなぎらせて、ぎらぎらとした喧騒に存在を委ねている。
どちらを向いてもどの通りを抜けても、ネオンの光と看板の文字、そして音と人声の渦が
フルボリュームで押し寄せて来る。
ここを女一人で歩くのは、真弓さんにとってもかなりの勇気を要することだった。表面的
には単なる異分子の一つとして存在を無視されている形だが、それは単にここまで幸運だっ
ただけかもしれない、とビクビクと思い始める。目指す映画館のある一角は、あともう2ブ
ロックほど先だった。
『――先生もいつかおっしゃってたでしょ、ろくな男じゃないから関わらないようにって』
『もちろんわかってますよ。ただこのままにしておくと図に乗ってもっとちょっかい出して
来そうだし、ここは直接びしっとクギを刺しておいたほうがいいです、絶対!』
八鹿さんはもちろん引き止めたのだ。今思えばやっぱり言うことを聞いておけばよかった
かもしれない。
酒が入ったサラリーマンのグループの値踏みするような視線を振り払うように通り過ぎな
がら、内心ではそんな弱気な気分になっていた真弓さんだが、探していた映画館の名前を前
方の看板に見つけてようやくほっと肩の力を抜いた。
「ねえねえ、君!」
そういう瞬間を狙っていたかのようなタイミングで背後から別の声が聞こえた。真弓さん
の肩はびくっと固まる。
「君はどこの社のヒト?」
「は、い?」
振り向くと、スーツ姿の男がそこに立っていた。もちろん見知らぬ顔だったが、相手のほ
うはまるで同僚に出会ったかのような親しげな態度で話しかけてくる。
「君のトコでは何かつかんでるわけ? カメラまで連れてるなんて」
「えっ、カメラって?」
男の視線の先を振り返ろうとした真弓さんは、自分のすぐ背後で別の声がして今度こそ飛
び上がりそうになった。
「東都ですよ」
「ああ、東都さんね。女性の番記者は何かといいネタを持ってるから羨ましいよなあ。で、
誰が来てるわけ? 教えてよ」
「さあ、どうでしょ」
ぬっと現われた望遠付きのカメラ。それを胸に下げてとぼけているのは、紛れもなくあの
指名手配男だった。肩からもう一台、重そうなカメラを下げて、いかにも取材中というスタ
イルを見せつけている。
『――いつ来たんですか!』
『さっきからずっと。君の後ろを歩いてたの、気づかなかった?』
ひそひそと内緒話に入った二人を見て、話しかけてきた男は別の意味に取ったようだっ
た。
「まあいいや。口が固いのは上司の教育のたまものってね。コマ劇場って当たりをつけてき
たウチもいい線行ってるってことで。ま、お互いがんばりましょ。じゃ」
「うす!」
応じた反町に苦笑しつつ手を上げて、男は去って行った。反町と真弓さんが見ていると、
少し離れた所で待っていた別の男と合流して、そのまま新宿コマ劇場の楽屋口方面へ消えて
行く。
「何だったんですか、あの人。何かすご〜く勘違いしてませんでした?」
「いいからいいから。害はないよ。俺の同業者なだけだから。ま、君のおかげで楽しい演出
ができたってわけさ」
井沢法律事務所では要注意人物指定を受けているこの自称フリーカメラマンの反町一樹
は、改めて真弓さんに向き直りながら今夜もとびきり陽気な笑顔を見せた。
「あなたって新聞社の人だったんですか?」
「いや?」
「だってさっき東都新聞って…」
「ああ、取ってる新聞が東都なだけ。俺は社員だなんて一言も言わなかったもんね」
「サギ〜!!」
抗議する真弓さんにも動じる様子はなく、反町はカメラを肩から下ろしてズームレンズを
取り替えた。
「君のその格好も誤解の元だったんじゃない? デートだってのにまるで弁護士の秘書みた
いなお堅いスーツでさ」
「誰がデート! それに、みたい…じゃなくて本物です、一応! 第一仕事帰りなんだから
仕方ないじゃないですか!」
「ごめんねー、ちょっと計画がうまくいきすぎてそのデートもゆっくりしてられないみたい
なんだ」
だからデートのつもりなんかないんだって…と言い返そうとした真弓さんは、反町にいき
なり手を引っ張られて走り出す羽目になった。
「な、何がどうしたんですか!?」
「しっ、取材開始だよ」
「はぁ?」
新宿コマ劇場。レトロとも言うべき正面の看板には時代劇の華やかな衣装が躍り、ベテラ
ン演歌歌手の名前がその中心に大きく書かれている。
が、テーマは芸能ではなかった。
劇場の裏側へぐるりと回ると、そこには既に小さな人だかりができていた。さっき話をし
た男の顔もある。彼らの緊張した視線は楽屋口に通じる車寄せに向けられていた。
「来るぞ」
ささやき声が広がって波となる。人垣の先頭でフラッシュが一つ閃いたその瞬間、次々と
引火するようにフラッシュが重なって真弓さんは思わず目を細めた。
黒服のSPに守られてベンツに乗り込む人物の顔がしかしその一瞬に照らし出されるのを、
真弓さんも見た。
反町は他のカメラからワンテンポずれる形で数回シャッターを切ってから、しばらくじっ
と動かなかった。不思議そうに真弓さんが振り仰ぐ。
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