「やば!」
が、逆にテンションを上げた反町は、ジョッキを置いていきなりぱっと立ち上がった。
「な、なんですか?」
「追いつかれちゃったみたいだ。じゃ、俺行くわ。――君はもう少しここにいたほうがいい
よ!」
「ちょ、ちょっと!」
捨て台詞と共に颯爽と立ち去る計画だった真弓さんは、逆に自分のほうが取り残されてし
まった。一瞬、後を追おうと思いかけたがその真弓さんの動きがぴくっと止まる。少し身を
乗り出すとフロアの横手から乱暴な怒鳴り声が響き、何やらドタドタとした足音や壁を蹴る
ような音までしている。必死になだめる声もそこに加わって来て、これはどうやら店のスタ
ッフらしい。
「まんまと逃げちゃったのね、あの人。ほんとにもう…」
まともな稼業とはとうてい思えない。あまりにも自分のいる世界と違うことを噛み締めな
がら真弓さんはしばらく騒ぎが治まるのを待つことに決めた。
争う声はまもなく聞こえなくなったものの、あわただしく人が動く気配はなかなか消えな
かった。
ステージではそんな騒ぎの間も特に動揺する様子もなく相変わらずのやる気のあるような
ないようなショーが続いている。
「もう大丈夫かしら…」
そう言えば時間も気になる。終電も近いし、いつまでもこんな危なっかしい所に居続けた
くはなかった。
身を沈めていたソファーから立ち上がり、目立たないように通路に向かった。
「ちょっとあんた」
出口のところの薄暗いレジカウンターで呼び止められて、真弓さんはびっくりして足を止
める。そこにいたのはタイトなドレス姿の背の高い女性だった。何やら険悪な雰囲気が漂
う。
「さっき反町っちゃんと一緒だったの、あんた?」
「えっ、は、はい。あの、お会計ですか?」
睨みつけられて、条件反射でびくついてしまう。
「違うわよ。どうせあの人はツケなんだから。そうじゃなくて、どういう関係か聞いてん
の」
「そのー、関係とかそういうのじゃなくて、私、勤め先の用事で会っただけなんです。なん
かその前にトラブルか何かでここに隠れてたんですけど」
「…ふうん?」
女は疑わしげに真弓さんを観察した。
「ビジネスの相手にしてはカタギっぽい気はするけど、置いてけぼりにされるくらいだか
ら、たいしたこと、ないわよね」
「はい」
つられてうなづいたが、よく考えると失礼な言われ方ではないか。ワンテンポ遅れて一人
憤慨する。
「なら教えてあげるけど、正面はまだごたついてるから、左の階段のほうを使ったほうがい
いわ。じゃあね」
「ええと、左?」
店を出てから言われた通りに奥の階段に向かう。なぜか上りしかなく、3階に上がるとい
きなりドアがあった。
「あら、ここは…」
なんとそこはマンガ喫茶になっていた。かなりの数の客が席を占めて静かな熱気の中それ
ぞれの世界に没頭している。真弓さんが開いたドアはもちろん業務用のものだったので、エ
プロン姿の店員たちも黙って見過ごしてくれている様子だった。
「じゃあ、せっかくなのでこのまま失礼しちゃいますー」
などと口の中でつぶやきながら真弓さんがマンガ喫茶のドアを開けると。
「よう、お姉ちゃん待ってたよ」
「――!?」
まさに待ち伏せというかっこうで彼女の前に詰め寄った若い男たちが4、5人、それぞれ
に凄みをきかせて行く手を塞ぐ。
「あんたの連れを探してるんだ。どこに行ったか、教えてくんないかなあ」
「えっ、私、し、知りませんけど」
「なわけねえだろ? なあ」
じりじりと迫って真弓さんを廊下の壁に追い詰める。
「あいつには何かと借りがあってね。今夜も派手にやらかしてくれた礼を言いたいんだ」
「ふ……」
恐怖のあまり視界が霞んでくる。それなら本人に直接どうぞ、と言いたいのはやまやまだ
がとてもそんな余裕はない。
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