●
新宿駅のロータリーを見下ろす吹き抜けをゆっくりと降下して、エレベーターは1階に着
いた。扉が開いたそこには、さっき電話で聞いた通り、数人の男たちが待ち構えていた。
「ああ、井沢先生ですね!」
地味なスーツに身を固めた彼らは、もうずいぶん待っていたのか、井沢を見てほっとした
表情で走り寄ってきた。
「先程はどうも――」
「何ですか、一体」
素っ気なく応じておいて井沢は半分眠りながらなんとか歩いている真弓さんを支えてエン
トランスに出て来た。男たちの視線がその真弓さんに一斉に注がれる。
「実は先生がお持ちの写真とその女性の件でお願いが――」
「ああ、ちょっと待っていただけますか。連れをタクシーに乗せたいので」
呼ばれたタクシーは既にビルの前で待っていた。男たちはそれを振り返ってあわてる。
「あっ、ですから、その方にもお話を伺わないと…」
「ごらんの通り、話ができる状態じゃないので失礼」
井沢は必死な様子で食い下がる男を無視してタクシーに近づいた。
「こちらの住所までお願いします」
真弓さんを後部座席に座らせてから、運転手にメモと料金を渡す。その声に真弓さんがぼ
ーっと目を開いた。
「――あ、先生?」
「大丈夫だよ、真弓くん。お宅には電話をしておいたから、このまま乗って行きなさい」
「その人たちは…?」
窓の外から自分に注目しているたくさんの視線に、彼女も不審に思ったらしい。
「仕事の話だよ。じゃあ、おやすみ」
「あっ…!」
と追いすがりかけた男たちをその場に残して、タクシーは構わず走り去る。
「あのう、先生、写真は返していただけるんでしょうか」
この状況にあせったのか、いきなり単刀直入な問いになった。井沢はここでようやく男た
ちに向き直る。
「どうもお話がわかりかねますが、さっきから」
「今は公開されては困ることなので、できればしばらく先生の胸に収めていただきたい」
「…とおっしゃっている方があるわけですか?」
井沢はあくまで穏やかなポーカーフェイスを崩さなかった。逆に相手の男のほうがぐっと
詰まる。
「どこから私の名前が出てきたのかわかりませんが、私はその写真とは一切関わりはありま
せんよ。うちの秘書がその場に居合わせたのは単なる偶然だと思いますが」
「――そ、そうですか」
その一団の代表者と思われる初老の男は当惑した様子で仲間をちらっと振り返った。
「それはつまり知らないことにしていただけると考えていいわけですね」
「どうお取りになるかはご自由ですよ。どなたかは知りませんが」
井沢としては突き放したつもりだったが、相手はどうやら一方的に安心したようだった。
順序がまったく逆だが、別れ際にあたふたと名刺を押し付ける。
「失礼しました。また後日直接ご挨拶する機会を整えますので、どうかよろしくお願いしま
す」
「ほんと意味不明だよねえ」
丁寧に頭を下げて男たちがぞろぞろと去って行った後、自分に掛けられたその声に井沢は
向き直った。
エレベーターホールの柱の陰の死角にその人影は現われる。
「あれが政治家さんたちの文法ってわけ? ああいう世界に住んでると、俺たち一般庶民の
日本語とは別モノになっちまうのかね」
「おまえはな…」
その顔を、井沢は呆れたように眺めた。
「ずいぶんマメな働きっぷりじゃないか。俺を完全にカヤの外にして」
「寂しかった?」
懲りるということを知らない笑顔に、井沢は自分なりの対抗手段を取った。問答無用で詰
め寄ってそのままエレベーターに反町を押し込んだのだ。
「いてて、もうちょっと愛を込めて頼めないかなあ」
「込める甲斐もない奴が何を言う」
エレベーターはさっきの店の階も過ぎてぐんぐんと上がっていく。
「事情聴取を始めようか」
「へえ、井沢、いつから検察に転職したわけ?」
片手で壁に押し付けておいて、井沢は冷たく相手を眺めた。軽口には耳を貸さず、いきな
り本題に入る。
「俺をあそこにおびき出すのが目的だったんだな。真弓くんを囮なんかに使って」
「そだよ」
まったく悪びれずに反町は即答した。
「だって、それくらいしなくちゃおまえは素直に協力してくれそうにないんだもん」
「なら訊くが、わざわざ彼女を歌舞伎町じゅう連れ回したのはどういうわけだ。散歩の犬み
たいにマーキングして回っただろう。あれはアリバイのつもりか」
「女の子にはちょっとハードなクロスカントリーだったかもな。でも、さすがはおまえんと
この秘書だけあって、鋭いっつーか、タフっつーか、よくがんばってくれたよ。また借りを
作っちゃったけどね」
すらすらと答えるのはいいのだが、要点が都合よくズレていくのは、やはりわざとだろう
か。
井沢はつかんだ襟元にぎゅっと力を入れた。
|