120分プラス23分の死闘だった。
 前半終了前から突然降り出した強い雨と共に、試合は文字通り消耗戦とな ったのだ。体力的精神的疲労が増すにつれファウルは激しくなり、そのコント ロールの悪さからケガに倒れる者も続出した。
 一対一のスコアのまま延長戦も終わり、PK戦に入った。後半途中にGKが 負傷退場したため代わりに入った控えGKはその経験不足が心配されたが、 逆に相手チームに外せないというプレッシャーがかかったらしく、3人目、4人 目がワク外に外してしまう。最後、勝利を決めたガンバの5人目は、この夜た だ一人最後まで驚異的なスタミナでプレーを引っ張っていた新人DFだった。
「早田、ここや!」
 メインスタンド側の駐車場と違って、こちら敷地の北隣、名神高速のたもとの 小さな個人駐車場はさすがに人気がなかった。試合が終わって既に1時間以 上経っていることもあり、あれだけ勝利に気勢を上げていたサポーターグルー プも姿はない。
 照明灯からは一番遠い片隅に、1台のガンメタリックのスポーツ車が停まっ ていた。その脇に、妙に細身の男が立って手を上げている。
「オノー!」
 嬉しそうに声を張り上げてこちらの陰から走ってきたのは早田だった。少々 ダボッとしたチノパンツに、ボートネックの変わり編みセーターというクダケた服 装である。
「来てくれてたんやな。伝言聞いて、びっくりしたワ。帰ってるて知らんかった し」
「雨やてわかってたら来んかったぞ。天気予報、大外れや」
 こっちは早田とは対照的にイタリアンスーツをびしっと着こなして見事に体に 馴染んでいる。肩口まで伸ばした髪は相変わらずで、それがまたいかにも風 ヤンエグの嫌味っぽさを消していた。
「もうやんだし、エエやないか」
「俺は良うても、こいつが気難しいてな」
 小野田は目で自分のクルマを指した。ポルシェ928S。クルマにはとんと興 味のない早田は、そう言われても何がどうスゴイのかわからない。小野田もそ れは知っての上だが。
「なんや、おまえ、手ぶらか」
「ユニフォームとかはチーム任せやし、他には別に要るモンあれへんもん」
「気楽なやっちゃな」
 苦笑しながらドアに手を掛けた小野田が、はっと顔を上げた。
「あっ、あのぉ…!」
 早田が何やら不穏な気配に振り向いた時、もう女の子たちは完全に逃げ道 を塞いでしまっていた。
「早田サン、今日もステキでしたー、これー、プレゼントですぅ」
 暗いので色まではよく見えないが、とにかくとりどりのバラであった。大きな 花束にしてリボンがかけてある。早田は一瞬あっけにとられた。
「お花なんて、キライですかー? え、と、早田サンにバラて似合いそうやて思 って…」
「あ、ああ、ありがとう」
 1年目とは言え、異色の新人と呼ばれて何かと目立っている早田は、実は 女の子のファンも少なくはない。このようにかなり勘違いしたのも含めて、試合 や練習の合間にプレゼント攻めに会うことも多かったのではあるが。
 とにかく早田はよく考えず、その花束を腕に抱き取った。小野田が制する間 もなく。
「きゃああっ――!?」
 悲鳴が響いた。視界が、一面にさえぎられる。
 香りの渦だった。小さな爆発のように花弁が四方に弾け飛び、白い吹雪とな って舞い上がる。夜空に、音もなく散りながら。
「アホ。忘れてたんか」
「うん〜」
 早田は助手席で肩をすぼめてうなづいていた。
「しかもあんな派手にやってもて…。オレら、バラは触られへんて、常識やろ が」
 カーブを右に切りながら、小野田は横目で見る。
「人前で、あんなドジ…。まさかたびたびやってんのと違うやろな」
「あの娘ォら、悪いことしたヮ。びっくりさせて、それにせっかくプレゼントしてく れた花、吹き飛ばしてしもたし…」
 小野田はあわてて咳払いをした。
「確かに、すごい勢いやったな…。おまえ、よっぽどパワーアップしてるで」
「そうかな…」
「試合、昼の時とナイターの時と全然違うて、評判になってもたらマズイやろ。 今日かて、あんなファウルされといてすぐ走り回って、怪しまれるやないか」
「けど、ホンマに痛ぁもなかったし」
 悪びれるふうもなく頭を掻いている早田を見やって、小野田は深いため息を ついた。
「そら、オレら夜は体力底なしやし、キズしたかてすぐ治る。けど、そやからこ そちょうどええトコでセーブせなあかんのや。――目立たんためにな」
「小野田…」
 早田にいきなり右腕をつかまれて、小野田はぎょっとした。
「あっこや! あっこで止めてくれ!」
「なんや〜?」
 せっかく久しぶりに会えて真面目に話をしているのに、早田のほうは全然聞 こえていないようだ。 目を輝かせて道路わきを指さしている。
「屋台?」
「そや、おまえをいっぺん連れて行きたかったんや。まえ、言うてたやろ」
「そやったかな」 
 阪急のガード下の、小さなノレンの灯がとぎれたあたり、煤けたレンガがア ーチになっている脇に、屋台が一つ出ていた。小さい提灯がぽつんと下がって いる。
「おっちゃん、また来たヮ!」
「おお、今晩は〜」
 勢いよくノレンを跳ね上げた早田を見て、屋台のおやじは愛想よくうなづい た。他に客はいない。
「今日もようがんばってはりましたなぁ。テレビで見てましたで」
「ほんまか? あ、いつもの1本な。…オノ、おまえもオンナシでええな?」
「あ、ああ」
 早田にならって腰を下ろし、小野田はちらちらっと屋台の様子を眺めた。特に 変わったところのない、ごく普通の店構えである。
 ごわごわした髪を短く刈り込んだ太めのおやじは、手早く燗をすると徳利を 二人の前に置いた。




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