「あのな、小野田。これ。これ、飲んでみ」
 早田は意味ありげにニヤつきながら小野田の猪口になみなみとついだ。小 野田はちょっと眉を動かしたが、素直に受ける。
「な、な、どや?」
「………!」
 さすがに噴き出しこそしなかったが、小野田の表情がこれほど動くのはそう あることではなかった。
――そーだっ!!」
「えへへー」
 期待通りの反応に、早田は上機嫌であった。
「えへへやない! 何なんや、これは!?」
「効いたやろ。オレのパワーアップの秘密て、これなんや」
 小野田はまじまじと早田の顔を眺め直し、次いで屋台のおやじをまたまじま じと観察した。
「これ、ご禁制の、人間のアレ――やな?」
 さらに、早田の猪口に揺れている酒にじっと顔を寄せる。
「赤こ、ないな。酒に見える」
「酒ですヮ。ワシもこの商売長いコトしてまっさかいな、イロイロと、そら、イロイ ロとですヮ」
「そーかー」
 これで会話が成立してしまうあたり、こいつらさすがに関西人である。
「オノ、このおっちゃんな、長いコトてどれくらい長いコトかわかるか?」
――いや?」
「太閤さんがおらはった頃からですヮ」
 おやじはがはははと笑った。
「まだ今の大坂城のあたりが全部海やったもんなぁ。ワシ、それからずっとー、 淀川から離れんとおりますのや」
『おい、大丈夫か、このおっさん…』
『大丈夫やて、オレらの仲間なんや。吸血鬼とは違うみたいやけどな』
『ほな、何や』
『ムジナて、言うてたで』
『……ムジナて、どーゆー化けモンやったかいな?』
『さあ……』
『さあ、て、おまえなぁ!』
 などとひそひそやっているうちに、おやじは小さな土鍋を2つ、それぞれ二人 の前に並べた。
「へぇ〜、フグ鍋(てっちり)かぁ」
「熱いで、ヤケドしんときや」
「おまえに言われとないヮ!」
 騒ぎながら、さすがに味のほうは保証付きだけあって、会話は二の次にな る。特に小野田は久しぶりの地元の味を楽しんでいる様子だ。
「けどまだ季節前やのに、よう手に入ったもんやな」
「ワシらにはワシらのネットワークちゅうもんがありますねん。これは無免許の 板前が練習用にさばいたやっちゃから安うでまわしてもろたんですヮ」
「こっ…!」
「殺す気か、オッサン!」
 二人いっぺんにむせる。
「そんな危ないモンを――!」
「危のーないですて。そら普通のお人には出されしませんけどな、早田さんら やったらかえって体にエエて、よう喜んでもろてますねんで」
「オレら、そんな無茶な体してたんか――
「時々自覚さしてもらうんもエエかもしれへんな。おっちゃんには感謝するヮ」
 ややぐったりとしながら、二人はまた例の酒を口にした。
「これの原料も、どこから来てるか聞かんことにするヮ。おっさんとこのネットワ ーク、ようわかった」
「うまかったらええねん!」
 早田は元気よく叫ぶ。小野田と違って回り方がかなり早い。
「オレはなぁ、ここんとこどこ行ってもメンが割れててな、生の血ぃ、もう全然拝 んでへんのや。オノはええなあ。地元やなかったら何してもバレへんし、モテ るもん、女の子とはやり放題やし」
「なんちゅう言い方すんねん、誤解されるやろが!」
 小野田はぽかりと早田の頭をはたいた。こちらもかなりいいペースだ。おや じの腕がいいせいだろう。
「おまえこそ、花のJリーガーやろが。女の子かて、さっきみたいになんぼでも 湧いてくるのん、片っ端から血ぃ吸うたったらええねん」
 それでは間寛平である。
「無茶言いなや。第一、そのへんちょっとでも歩いてみ、おっさんやらガキやら がやいやい言うて囲んで、女の子口説いてるスキあるかい」
 うんうん、大阪ならではやなぁ…。
「おっちゃん、こいつ、親父(おやっ)さんの仕事で東京の会社任されてな、ほ とんどこっち帰ってきーへんねん。東京と、ヨーロッパ、行ったり来たり―― 「しゃーないがな、今さらプロになんかなれへんし、働かな食われへんし」
 早田はちょっと焦点の合わない目で小野田を見返し、それからまたぐいっと 杯を仰いだ。
「なったらええ。Jリーグやのうても、ヨーロッパのチームのテスト受けてでも、 入ったったらええのや。小野田なら、なんぼでもできる」
「無茶はどっちや、ホンマに」
 またいつもの議論の蒸し返しだった。めったに会えない者同士、たまに会っ ては早田は諦めず小野田は折れず、同じ話の繰り返しになる。
「ヨーロッパでっか…」
 おやじが妙なタイミングでつぶやいた。
「ヨーロッパゆうたら、本場ですなぁ、ほれ、吸血鬼の」
「ああ、そやそや。オノ、おまえ、向こうで会うたことあらへんのか、ホンマモン と」
「そらルーマニアやろ。オレは大概ドイツやし、あこは行ったことあれへん、いっ ぺんも」
 ネクタイをゆるめ、襟元を引っ張る小野田であった。
「それに本場て、あっちは伝説やろ。オレらと同じとは限らんで。……おまえ、 ニンニク怖いか? 十字架見て逃げとなるか? ならへんやろ」
「オレ、焼肉好っきや!」
 手を上げなくてよろしい。
「あとはホレ、棺桶で寝てるんと違ごたか、昼の間。朝の光が当たったらギャ ー、て死によるん」
「それ映画のドラキュラやがな」
「違うのんか? まあどっちにしてもオレら昼間かて平気やし、イメージがだい ぶ違うヮな、よう知らんけど」
「あっちのはキリスト教の関係があるからな。神が絶対やからその反対の『悪 魔』的なモンに極端な反応しよる。吸血鬼でも魔女でも徹底的に悪者(ワルモ ン)扱いせなあかんわけや。イメージからしてな」
「えらいむつかし話やな」
「要するに、日本のンはほどほどでてきとーでぼちぼちの吸血鬼やっちゅーこ とや」
「なんや、ちょっと情けのーなってきたな…」
 二人してすっかり考え込んでいるのを見て、おやじが笑った。
「ボチボチでよろしがな。長生きすんのならボチボチが一番ですヮ。自分のため にもまわりのためにもなりまっせ」
「けど、オレ血ィ欲しい」 
 早田はカウンターにがくっと体を預けた。
「血ィ欲しいて、おまえ今のンで十分元気やがな。ここの酒かてしょっちゅう飲 んでんのやろ? これ以上強おなってどうする」
「そういうんとちゃうねん」
 早田はアゴをおしぼりの上に乗せたまま、目でおやじの手元を追った。おや じは小さなあたり鉢で木の芽をごりごりやっているところだった。頭につーんと くる香りが漂う。
「オレな、どんどん飼い慣らされてきてるて感じ、すんねん。これがもうちょっと カタギの仕事でもしてたらエエで。けどサッカーて、やっぱりどーぶつなとこ、 あるやろ」
 早田は光景を呼び覚ますかのように、目を細めた。
「カウンターでな、スルーパスがピターッちゅうとこに決まって、ディフェンスライ ン完全に抜いてゴール前で1対1になんのや――周りがパーッと開けて、オ レ一人や。スタンドの声も顔も全部消える。キーパーかて見えへん。ただ、ご っつい圧迫感と開放感といっぺんに来る。体と頭がギューッて絞られて、それ と同時にカーッと広がって――。なあ、小野田、わかるやろ」
「そやな――
 早田のその浮かされたような勢いに、小野田はただ低くうなづいた。 






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