「風が吹いてくんねん。耳元でザーッて鳴るねん。今日みたいなんとは比べも んにならんくらいに。――な、そういう時、オレ、どーぶつやーって感じンね ん!」
 見えないその瞬間を見つめて、早田の目はぎらぎらとした光を放った。
「けど――
 その目が一転、現実に戻った。ゆっくりと、小野田を振り向く。
「やっぱり、オレは計算してまうのや。どっかで、どーぶつなとこ、押さえてしま うんやな。そうせな、て思うような、そんな飼い慣らされ方してもーたんや」
「早田――
 小野田はゆっくりと息を吐いた。
「そう思えるだけ、おまえは幸せや。自分で、実感できる場所を持ってんのや からな。オレなんか、悩むより前に忘れてしもてる。人間のふり、しすぎてな」
「ほな、おまえも悩め!」
 いきなり、早田の顔が輝いた。
「おまえも悩んだらええのや、そやろが!」
「なんやて?」
 あまりの切り替えの速さに小野田は面食らう。早田は顔をぐいっと近づける と、小野田の胸元に人差し指を突き立てた。
「おまえ、オレの血ィ、吸え! オレ、献血したる! これ吸うておまえもどーぶ つになってまえ!」
「そ、そーだ、あのなぁ…」
 切り替えが速いだけならまだしも、論理の飛躍というものはどうすればよい のだろうか。
「遠慮しとくヮ。オレ、べっつに不自由しとらんし…」
「いや、十分しとる! ほれ、早よ飲め、ほんでオレとサッカーすんのや!」
「やめぇ、て。――おっさん、何とか言うたってーや、このアホに! …あ れ?」
 屋台のおっちゃん、消えている。
「ふふん、気ィきかしてくれたんやな。さ、小野田、ごたごた言うてんと。ほれ …」
「あー、事故でっせ」
 また見事に抜けたタイミングでおやじの声がした。ノレンの外である。小野田 は早田の腕を振り払いながら、がばっとノレンを跳ね上げた。
 ガード下の同じ並び、ほんの数十メートル先でなるほど騒ぎが起きていた。 飲み屋の客たちが皆飛び出してきて事故を囲んでいる。おやじは自分の屋台 の前でそれを見ていたのだ。
「どっか、クルマが突っ込んだらしいですヮ。あ、なんや火ィ吹いて来ましたで ぇ」
「嘘やろ、オレのクルマ、あの辺に置いたんねん。冗談やないで!」
 小野田は椅子から飛び上がった。
悲鳴や怒鳴り声も混じる中、確かに真っ赤に照り返しが見え、ボン、と小さな 爆発音さえ上がっている。
「そっち行ったら危ないで! おい、兄ちゃんて!」
「プロパンがあんねん、もう間に合わんぞ!」
 最初に爆発したのは店の前に停めてあったミニバイクらしかった。既に倒れ て炎にくすぶっている。小野田は人垣を押し退けてその先へ飛び込んだ。
「あーっ、マズイがな! よりによってあんなトコに…」
 突っ込んだ乗用車は、飲み屋の前の屋台を半分押し潰してレンガ壁に鼻先 をめり込ませていた。後部から火が出て、バイクに引火したのだろう。そのわ ずか2メートル横に、屋台のプロパンがひとつ転がって、今にも火に飲み込ま れようとしている。なんと小野田のポルシェはそのすぐ横にあった。
「ガス爆発だけはごめんやぞ!」
 火を食い止めることはもう無理だった。小野田はプロパンのコックを閉めて、 力任せにホースを引き抜く。
「手伝う(てっとー)たるヮ」
「早田…!?」
 ぎょっと振り向くと、早田が平然とした顔でそこに立っていた。
「せーの、やぞ」
「よし」
 レンガ壁を支えに、二人してプロパンに足を掛ける。
「せーのぉ!!」
「いったれー!」
 最強のキック力がプロパンを蹴り出した。虚ろな衝撃音を轟かせて炎をなぎ 倒しながら、アスファルトの道を横切って行く。その先、ネットフェンスで仕切ら れた分離帯に向かって何度もバウンドしながら突っ込んで行き――
 そして。
「ひゃ〜、ごっつい花火やったなぁ」
「耳、のーなるかと思たでぇ」
 ガソリンの匂い、焦げた匂い、それに目がチクチクするような煙の名残の中 で野次馬たちが興奮気味にしゃべり合う。その横で警察官に答えているのは 壊された屋台の店主だった。
――そーです、ワシ、クルマが火ィ吹きよるの見てすぐ逃げたんですヮ。プロ パンが危ないとは思たんですけど、もう怖おおて…」
「いや、若い男が二人、走って行きよりましてん。こっち側からは煙もひどうて ようは見えんかってんけど」
 救急車のサイレンが遠ざかる中、別の目撃者が証言する。
「一人はちょっと長髪の、きれいげな顔の男やったな。スーツのえらいぱりっと したカッコしてましたで。でー、もう一人は同じくらいの年かっこで、けど学生風 っちゅうか、ああ、サッカーのなんたら言う選手によう似た顔してましたヮ」
「そや、オレもそう思た。ガンバの、ほれ、なんたら言う…」
「なるほどな」
 ケイサツのおっちゃん、それでわかるのかいな。
「ケガはしてたはずでっせ。あのごっつい爆発のまん前におったんやし、道に ちょっとの間ァ転がってましたしな。死んだか思いましたヮ。けど…」
「気がついたら、いてへんようになってた、と」
 大阪府警の警官は、メモを取りながらふと顔を上げる。
「他に誰か、その二人に心当たりある人いてますかー。あ、そちらさん、どうで す?」
「さあー、ワシとこは客もおらんかったし、そういう人らはわかりませんなあ、全 然」
 とぼけた顔で首をひねっているのは、誰でもない、ムジナのおやじさんであっ た。








「なあ――
 淀川を越えると道路の両側は一気に明かりが高くなった。ネオンの谷底で は、クルマのライトが列を作ってそれぞれの方向へぐずぐずと流れている。
 点滅し、反射し、そのすべての混沌が、フロントガラスの向こう側で静寂を作 っていた。
「クルマ、どこもなんともあれへん?」
「ああ。無キズや」
 それだけが慰めだった。初志貫徹。たとえ自分がボロボロに焼け焦げてしま っても。
「な、小野田」
 左手の甲のヤケド跡をぺろりとなめておいて、早田は隣を振り向いた。小野 田の顔にはまだ黒い汚れがついたままだ。鋭い目付きで、ただまっすぐ前を 見ている。
「オレ、本気やぞ」
――何が」
 小野田の表情は動かない。
「おまえになら、押し倒されてもかまへんて言うとんのや」
 キャーッ!! という悲鳴にも似た急ブレーキ。
 前後左右から嵐のような抗議のクラクションを浴びつつ、ポルシェはかろうじ て体勢を立て直した。
「せやから! そーゆー妙な言い方すな、て言うたやろ!」
 ぜいぜい。
「なんで? オレ、おまえとどーぶつになんねん。なっ?」
 どこまでもヘビのようにしつこい…とかつて言われたエース殺しの早田であ った。





END 



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作者コメント:
ヴァンパイアシリーズの中で唯一シリアスにならなかっ た話。当人達は大真面目なんですけど。大阪弁のせい です、全部。あまり正確な大阪弁じゃないのは目をつぶ ってください。訳が必要な所、あります?