TOO ADULT  -- 全日本シニア始末記 --


第一章
 1〜12回 >>
第二章
 13〜27回 
第三章
  28〜34回>>



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第二章  TOO ADULT



 ボールはあっと言う間に日本陣内深く入ってきた。
 フランスチームはキックオフからそのままパスをつなぎ、見る見る ゴールに迫る。まだ心の準備さえできていない日本ディフェンス陣 に行動の準備までできていようはずがなかった。
 長いホイッスルが響く。なんと、試合開始1分半での得点だった。
「見上さん…」
「ああ、ま、いいさ。エンジンのかかりが遅いだろうとは予測していた からな」
 遅いというより、果たしてかかるのかどうか…。片桐は倒れたまま の格好で今のシュートコースを睨みつけていたが、見上のいつもの 楽観的な言葉に、思わず苦笑しながら立ち上がった。
「まったく、体のあちこちがサビついてるって感じですよ。さすがに年 取ったものです」
「おいおい、最年少の君にそんなことを言われると立つ瀬がないじ ゃないか」
「最年少は私じゃありませんよ。田島くんです」
 長い髪をうるさそうに後ろに払いながら片桐はペナルティエリアの 向こうに呆然と立っている背番号3番の男を視線で示した。自費で ではないか、と陰口を叩かれながら今回のジュニアユースの遠征を 密着取材してきた東都スポーツ紙の田島記者は、事情も知らされ ないまま、試合開始の15分前にフィールドに放り込まれたのだっ た。
「適当に見繕って来ましたわ」
 酒のつまみでも持って来たかのように、あっさりと言ってのけたの は自称シニアチームのマネージャー、小泉女史だった。たまたま報 道関係で同宿していたというだけで一緒に引っ張ってこられた村山 アナなぞは、センターサークル付近で一歩も動けず -- のまま硬直 している。
「でも、ま、あちらさんにもそれ相応の穴場はありそうだな」
「そうですね」
 ゴール前の二人は、今の得点に飛び上がっているフランスチーム の中年プレイヤーたちを見渡しながら、うなづき合うのだった。
 ボールがセンターサークルに戻される。吉良が、審判の手が上が る前にちらっと自軍ゴール前を振り返った。



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「みんなぁ、大丈夫! 試合はまだまだこれからですよ !! 」
「キャプテン!」
 ロベルトが習いとなった呼び名で連呼するものだから、いつの間 にか本当にこのチームのキャプテンとなってしまった大空氏が、2点 目が入った自軍ゴール前で声を張り上げた。
「どっかで聞いたセリフだな…」
 ボソッと言う北詰に無意識にうなづきながら、ロベルトは得点板を 見上げた。0 - 2。時計は前半5分を指している。なるほど、残り時 間だけはたっぷりあった。
 試合前の見上の指示が、とにかくなるべく動かないこと、と言うの だから、世間様に顔向けできない。もっとも11人ギリギリしかいな いこのチームだから、スタミナ温存、と言う意味では納得もできたの だが、いかんせん、相手が攻め込んで来ても来る者は拒まず…の 式で傍観しているDF陣というのはやはり問題があるだろう。
 日本ボールで再開されたものの、ボールはたちまちフランスに渡 り、またも試合は日本陣内で展開する。実際忙しいのはGKの片桐 ばかりだった。
「田島さん! もっと右っ! あのハゲをマークして !! 」
 などとやっているうちに目の前にはもうボールが飛んで来るのだ。 関係者を急遽かき集めたラインナップとはいえ、フランスチームには 結構試合慣れしたおじさんたちが揃えてあるようだった。パス回し がとにかく速い。
 パンチングで凌いだピンチも、ボールがゴールラインを割ってコー ナーに移った。ゴール前に敵味方が密集してボールを待っている。 「…そろそろ、いいよ、本気出しても」
 見上がわざわざ来てささやく。互いにサングラスを外している目が 気になるのか、片桐はなるべく顔を合わせないようにそっぽを向き ながら答えた。
「あなたのほうはどうなんです、見上さん」
「ま、ボチボチさ。私はね」
 不気味な明るさを振りまいて、見上はまたファーポストのほうへ戻 っていった。片桐は無表情のまま頭をかく。
「やっぱりタバコは減らすか…。せめて日に6箱…。う〜ん」
 こういう時に禁煙の悩みに没頭するGKも貴重と言うほかないだ ろうね。



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「ボク、もう悟ることにしたよ。あの人の得意技は、類まれなる順応 性…これしかないんだ」
 結局自分もそれをしっかり受け継いでいることを認めている岬太 郎は、珍しく投げやりな口調でつぶやいた。
「そうなの?」
 次第に熱を帯びてくる試合展開にわくわくしながら、翼はフィール ドから目を離さない。確かに、めったに見られないシロモノであるこ とには間違いなかったが。
「放浪画家、と言えば聞こえはいいけど、ああいう生活を何年もやっ て来れたってのは、単に自分が今どこにいるかを全く考えてないか らなんだ」
 なるほど、フィールドの中では、これまでボールに触ったこともな いはずの岬画伯が、大空船長からのパスを受けて、相手陣内に大 きく蹴り込んでいる。
「あの人に見えているのはいつも絵の対象だけ。自分の立ってる所 がどこなのかなんてきっと目に入ってないんだよ」
「今はその対象がボールになってるってわけか…」
 短期間とはいえ、その仕事ぶりを目にしたことのある松山が、多 少なりとも納得しながらうなづく。
「岬くんは逆だね。環境を正確に見極めた上で、自分をそれに合わ せちゃうんだ」
「えっ !? 」
 突然の翼の言葉に、周囲の者たちはもちろん、当の岬が一番意 表を突かれたようだった。彼が各地を転々とする不安定な生活の 中で何より自分を守る手段として一人胸のうちに秘めていた方法論 を、翼はあっさりと看破していたのだ。
「あれっ、三杉くん?」
 植え込みからスタンドに移った一同とは別に、連絡係として席を外 していた三杉が、そこへ戻ってきた。
「みんな見物したいそうだよ。まもなく来るはずだ」
 応援、と言わないあたりが平均年齢14才の少年たちの素直なと ころである。(注・ 全日本ジュニアユース21人中、15才10人、14才 9人、13才1人、12才1人)
「若林も気の毒にな…」
 日向がぽつりと言う。留守部隊を任された若林は、いかに適任と は言え、今頃相当苦労させられているはずだ。
「若林に同情はしても俺のことは心配じゃないと…?」
 日向の墓穴で、先程から沈黙を守っていた東邦の二人組の根暗 な夫婦漫才が再開された。



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「どう心配しろって言うんだ、おまえの!」
「こう見えてもしっかり落ち込んでるんですが、俺」
「見えんな」
「見えなくてもいいですから、慰めてください、キャプテン」
「……よ、よせっ、それ以上近寄るな!」
 みしみしっ、と鈍い音が聞こえる抱擁を横目で見ながら、三杉は 内ポケットから手帳を取り出した。
「さて…、で、掛け率だが…」
「み、三杉っ、賭けって…?」
「当然じゃない、ここはサッカーの本場だよ。トトカルチョは言わばそ の試合に対する評価だものね」
 あせる松山に比べ、岬は平然としている。
「……まず、スポンサー各社の間では、全75口、9対1でフランスに 集中している。これはまあ、身びいきも入ってるから当然だね。…あ と地元サッカー協会をはじめとするジュニアユース大会関係者が全 36口で4対6 ---- なぜか日本が上回っている。参加が少ないの は、賭けをパスした者が続出したかららしい…」
「気持ちはわかるなあ…。じゃあ増やそうか?」
「何だとぉ、岬! まさかおまえもう乗ってたってのか !? 」
 ようやく愛のリンチから解放された日向が息を切らしながら詰め寄 る。
「うん、ボクと翼くんで5口。三杉くんもだよね?」
「お、おまえら〜、ちゃっかりとまあ…。一体いつの間に!」
「あんたも乗るんで?」
 横からぬーっと現われた相棒に、反射的に逃げを打ってしまう日 向である。
「じょーだんっ !!  俺はカタギの中学生だ! おまえ、やる気なら勝 手にやれっ!」
「いや、興味はないこともないですが、これ以上加わっても率が悪く なりますから…。そうだろ、三杉」
「その通り。現時点で総比率が約7対3……倍率を考えればこれで 行きたいところだね」
 自分たちがどちらに賭けたのかは言わずもがならしい。おそらくジ ュニアユース大会関係者たちも、あの言語道断の優勝をとげたチー ムのプレイが脳裏をよぎったのだろう。まさに「この子にしてこの親 あり」理論に怯えているに違いなかった。
 試合そのものが賭けである上に、さらにその結果にこのような賭 けがからんでいる…という恐ろしい状況にも全く関係なく、フィール ドでは徐々に妙な展開を見せはじめていた。



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「大らかというか…」
「人がいいんでしょうな」
「それに天気も上々ですしね…」
 縁側で茶をすすりながら、ではない。オンプレー中のフィールド内 での会話であった。
 ボールは例によって日本陣内で足蹴にされている。根が生真面 目な住友が、パス中心の速い攻撃に対して孤軍奮闘していた。あ とのディフェンス陣は何をしていたかと言うと、三々五々センター付 近に集まって模範プレイの見学をしているのだった。
「うーん、さすが元大学リーグのベストイレブンに選ばれた人だ」
「田島さん、調べてたんですか、この遠征のスタッフのプロフィール …?」
「当然ですよ。あなたのもね、見上さん」
 田島が意味ありげに目くばせする。
「北詰さんとの名コンビぶりは興味深かったですよ」
「ほう、初耳だ。いつのことです?」
 同じく報道代表の村山が、イヤホンを外して口をはさんだ。その襟 元のピンマイクに目を留めて、吉良がいぶかっている。
「20年前、ですよね。ユース代表チームで…」
「昔のことになったもんです」
 見上は感慨深げに頭を撫でた。そこへ声がかかる。
「こらーっ! いつまで茶飲み話してるんです !!  こっちの身にもな ってくださいっ!」
 煮詰まりきった怒号は片桐である。フランス11番ラクロワのほと んどPKまがいのノーマークシュートをあっさり正面で受け、ゴールキ ックの構えをとっていた。
「一人で十分防いでいるくせに…」
 にこにこと解散の合図をして走り出した見上に、吉良がさりげなく 駆け寄り、耳打ちした。
「そろそろ次、行ってみんかね?」
「は?」
「…あの二人、使ってみるんじゃ」
 吉良の視線は、仲良く並んで駆けていく10番と11番を捕らえて いた。



「あれ〜ぇ !?  いるじゃねえか、若島津」
 どやどやと人声が近づいて来たかと思うと、すっとんきょうな声が その中から上がった。
「えー、じゃああそこにいるのは…、まさか?」
 その石崎の言葉を受けて、来生がゴール前の長髪の人物を大袈 裟に手をかざして見つめる。井沢があわてた。



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「よ、よせよ。下手に刺激すると…」
 確かにスタンドに陣取る先客の中に、一人、背をこちらに向けたま ま肩を小刻みに震わせ始めている者がいた。が、そのタイミングを 絶妙に外して、翼が振り返る。
「やあ、みんな来たね! もうだいぶ始まってるよ!」
「…嘘じゃなかったのか」
 若林が心なしか肩を落とし気味なのは、朝からずっとこの13人の 引率にてこずっていたせいだけではなさそうだった。この中でもっと も長く見上との付き合いがある彼だけに、三杉から電話でこの事実 を知らされてなお、自身の目で見るまで信じたくない思いがあった のだろう。
「…でも、瓜二つ、ですね」
「まったくタイ」
 せっかく小声で言った佐野の気配りもあっさり吹き飛ばして次藤 が吠えた。若島津の肩がまたピクリと動く。佐野にしても常々誰かさ んのミニチュアサイズと言われているだけにこの場合、まるきり他人 事ではなかったのだが…。
「な、若島津、押さえて押さえて…。ほれ、日向、何とか言ってやれ よ」
 言っていることのわりに口調の明るい松山をじろりとねめつけ、日 向はまた無言でフィールドに目を戻した。その視線の先には、何や ら雄叫びを上げながらゴールに向かって行く男の姿があった。ボー ル持ったら一直線、次々襲いかかる相手DF陣を蹴散らしながら強 引なドリブルで突き進んで行く。
「…あんたはね、いいですよ。所詮あの人は他人なんだ。だけど俺 は血が繋がってるんですからね!」
 その日向の沈黙についにカチンと来たのか若島津が声を思い切 り落として八つ当たりを始める。血が…と言っても、もちろん言って いるのはゴール前に立つ日本サッカー協会強化部長のことではな い。(わざと話題から外しているに違いなかった…) スイーパーとし てペナルティエリア前に静かに立っている、チーム最年長の選手の 話なのだ。
 試合開始当初は度重なるハンドの反則で味方をピンチに陥れた 彼も、手刀を足技に切り換えて、その後は見事なカットプレイを見せ ている。もっとも、その蹴りが時たま相手選手の体に入ってしまって 既に2、3人の交替を余儀なくさせていたのだが。
 と、その瞬間、ホイッスルが鳴り響いた。
『入ったぁ! 北詰のロングシュート、見事フランスゴールに突き刺 さったぁ! これで早くもハットトリック達成 !! 』
 とても聞き慣れた声が彼らの側のラジカセから響いている。



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「よく入るものだね。最初のうちはさすがに舌が凍りついてたみたい だったが…」
 三杉が感心するのも無理はない。その実況は実は放送ではなく、 ワイヤレスマイクから直接信号を受信しているものだったのだ。そ の実況担当アナウンサーは事もあろうにフィールドの中にいるので ある。
「日向さん…」
 そーっと二人の間に立ったのは、同じ東邦の反町とタケシだった。 今の北詰のプレイを目撃して、全てを悟ったらしい。こわごわと、し かしいくばくかの同情を込めて、見えない火花を散らし合っている二 人に声をかける。
「僕、知りませんでした…。監督が…」
「タケシ…」
 日向が顔を上げた。
「俺だってな、知らなかったぜ! 知ってりゃとっくに…とっくに…」
「どうしてたって言うんですか? え?」
 からむ若島津の煮詰まり方を悲しそうに眺めながら、反町はこの 3年間に渡る北詰と日向の天災的反目のあれこれを思い返してい た。そこには何の論理も理屈もありはしなかった。単に、目には目 を、退部届けには退職願を…の世界があるだけだったのだが、そ れも当然だったのだ、と反町は納得した。彼らは磁石の同極同士 が反発するように、磁力を発揮しあっていたに過ぎなかったのだ。
「へえ〜、うちのDF、えらい過激なんばっかりやなあ…」
 同業者の早田がコメントする通り、攻め込むフランスチームはその 過激なDF陣に見る間に陣形を崩され、パス回しもヨレヨレである。 なにしろフランスFWのローザンタールとベルマンは、二人とも40代 に手が届いてしまっている。開始早々、日本チームのもたつきと反 則で2点をあっさり先取したものの、40分を経過してそろそろスタミ ナ切れなのが傍目にも明らかだった。最初の思惑と違って、存分に 振り回され続けているのだから無理はなかったのだが。
「お、マズイぜ。また12番が上がってきた…」
「あいつは元気だしな」
 自然、目立っているのは中で唯一の現役プロ選手、12番のクロ ード・ラヴィエであった。早田の前に座る立花兄弟が指摘した通り、 まだ20代半ばの彼はオフェンシブハーフとして先程からしきりに日 本陣内に攻め上がっている。



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「あ、行くぞ!」
 ベルマンが住友のタックルを辛うじて避けながらバックパスを出し た。それを受けたラヴィエが軽快なドリブルワークでゴール前に切り 込んで行く。
「あれでシニアなんてないぜ。どう見ても25、6だ」
「しょうがないよ。こっちにだって若いのいるもん…」
 滝が口を尖らせるのを、隣で森崎がぼそぼそフォローする。その 若手の筆頭、25才の田島がラヴィエの前に飛び出し、執拗にマー クを開始した。
「さーすがァ! あのネチこさはブン屋だけのことあるで」
 早田の言う通り、ここはパスを出さないと見た田島はラヴィエにピ タリと張り付く。ラヴィエもさすがのテクニックでボールはしっかりキー プしているものの、相手の一瞬のスキも見逃さないという田島の粘 りに、そのままじりじりサイドに追い詰められて行った。
「うーん、テクニックはまるでないのに、読みと食い下がりだけでプロ をあそこまで苦しめるとは…」
「フットワークがいいんだ、田島さんって」
「それってほとんど職業病じゃない?」
 腕組みしてうなる若林の隣にちょこんと座って、楽しそうにボケと 突っ込みをやっているのは翼と岬だった。
「あ、やられた!」
 ラヴィエもついに業を煮やしたらしかった。ボールを膝でリフトし て、わざと田島の肩口に当て、タッチラインを割らせる。そして素早く 自らスローインの構えをとった。
「ゴール前に上げてくるぞ!」
 言いつつ井沢は、後ろの席の高杉を振り返る。彼の強肩を生かし て南葛でも度々使った戦術である。高杉は黙ってうなづいた。代わ りにその隣の新田が指差して叫ぶ。
「あっちだ! カルボナーラ監督が!」
 逆サイドから走り込んで来たのは、彼らもよく顔を見知っているフ ランスJrユースチームの監督、ルネ・カルボナーラだった。かつてフ ランス国内リーグで「名将」とうたわれた彼は現役時代のままのMF に入っていたが、ここまでもっぱらディフェンスに徹していたのだ。 が、トップ連中がヨタつき始めた以上、見ていられなくなったのだろ う。
『…ルヴィエからのボールが8番カルボナーラに通ったぁ! 日本の マークが一歩遅れたところへ、中央突破か !? 』
 ラジカセからの村山アナの声のトーンが一段と上がる。



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「ひゃ〜、こらホンマ、見上監督、信じられへんなー」
 スタンドですっかり解説者している早田が、そのカルボナーラに襲 いかかった見上の鋭いタックルに目を丸くする。ドリブルで持ち込む ところへスライディングで相手のバランスを崩しておいて、さらにファ ウルぎりぎりの当たりでボールを奪い取ったのだ。後ろから石崎が 面白そうに口をはさんだ。
「お株を奪われてるんじゃねえのか、早田ァ」
「そりゃそうよ、見上さん若い頃なんて呼ばれてたか知らないでし ょ?」
 唐突に背後から声をかけたのは、おなじみのオペラグラスを手に した小泉京子女史だった。
「…小泉さん !? 」
「『カミソリの辰』…ってね」
「だぁ〜っ !! 」
 早田が倒れる。
「ついでに、彼、神戸の出身だから、当時はバリバリの関西弁でな かなかの迫力だったらしいわよ」
 ここで刺さんでいいトドメを刺すのが彼女なのだ。横から手を貸し て起こしてやりながら、高杉もにやにや笑いかける。
「道理で監督、おまえに好意的だったわけだよな」
「…ど、どこがや! オレは合宿でめちゃめちゃしごかれたんやで!  そうか、そういう訳やったんや…」
「随分お詳しいようですね、小泉さん」
 席をついと立って近寄ってきたのは三杉であった。
「もちろんよ」
「今度の『賭け』についても詳細をご存知なんでしょう?」
 年長者の余裕を見せて胸を張る小泉女史に、三杉はまじめくさっ た顔で尋ねる。
「あら、あなたらしくもない。もう情報はしっかり集めてあるんじゃなく て?」
「ええ、僕のできる範囲では。でも限度がありますからね。なにしろ 僕がこの話を知ったのは今朝のことですし、2日前から直接関わっ ていらした方にはかないませんよ」
「まあ、謙虚なこと」
『さぁ〜、見上からのロングパスが渡るかー、6番村山、右サイドに 走る! おっとー、村山、これをスルー! 単によけただけとも言え ますが、これでマークをかわして7番吉良にボールが通ったァ !! 』
 フィールドでは相変わらず常識外の試合が繰り広げられていた。



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「いくよっ、岬さん!」
「うんっ、大空さん!」
 吉良が送ったボールを楽しげに追って、大空、岬コンビが走り出 す。その変則ドリブル、変則パスにはフランスチームの誰もついて 行けないのだった。
「ふふ…、読めんじゃろう。なまじサッカーを知っている者にはな。… …このワシにも解らんのじゃから」
 よく分からない自信にほくそえみながら、吉良は敵陣に入って行く 二人を目で追う。2点先取された後、彼は徹底してこの二人にボー ルを集めたのだ。なぜか息だけはピッタリ合っている彼らは、サッカ ーの常識がない分、天然で破天荒なプレイを繰り出し、次に何をす るのか、ボールはどこへ飛んで行くのかまるで読めないフランス選 手たちの度肝を抜いて、みごと試合の主導権を奪ったのだった。
「そらっ、大空さん!」
「ナイスだっ、岬さん!」
 へろへろと左にそれたパスを難なく受けた大空氏は、ちらっと前 方に目をやり、ゴール前に走り込む北詰に向けて長いセンタリング を放った。
「これ以上点はやれるかーっ !! 」
 その北詰に付いていた二人のDF、C社の専務ミントンとフランス サッカー協会ユース部長のジャンメールが突進する。案の定ノーコ ントロールで飛んで来たセンタリングに合わそうとダッシュした北詰 は、両側からスライディングしてくる二人を見て、それをノートラップ で右に折り返した。そこにはロベルトが顔を伏せたまま待ち受けて いる。
「俺には感じる、風を切り飛んでくるセンタリングが…!」
 視力の極端に落ちた彼は、しかし今回度付きのサングラスは外し て試合に臨んでいた。同様にトレードマークのサングラスを取った 北詰、見上、片桐とともに、その分だけはかなり若返って見えた… …かもしれなかった。
『やったぁ〜! やりましたぁ! 華麗なオーバーヘッドシュート〜 !!   日本5点目〜!』
「…だから僕らに判っているのは、フランス側のスポンサー各社が 今度の大会の結果に、今になって出資を渋り出したってことと、見 上さんがそれを撤回させるために日仏両国関係者で組んだチーム での賭け試合を申し出たってことです」
「結論から言えばそれが正確なところね」
 小泉女史は一息おいて、微笑んだ。



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「でも、これって、結局中年の意地なのよ。見上さんもほら、後に引 けないタイプだし」
 三杉が後ろに立つ若林を振り返った。
「そうなのかい?」
「俺は中年の気持ちなんか解らんぞ、三杉」
 わざわざ断るくらいだから、若林も一応自覚があるのだ。
「売り言葉に買い言葉だったのよね。最初はネチネチ嫌味を言われ てて、で、あなたたちの世代が突然変異のヴィンテージイヤーなだ けだろう、って」
「目に浮かぶようだ…」
 若林が視線を落とす。何といっても長年の付き合いである。若き 日の呼び名までは知らなかったが、売られた喧嘩は買う、という人 柄だけはよーく知っている。なにしろ自分の師匠だった人なのだ。 「…それにしたって、何だってこんな……こんな顔ぶれにしなきゃな らんのです!」
 目いっぱいの抗議を込めて叫んだのは日向であった。
「仕方なかったのよね。同行してた大人って数が限られてたし、事 情を話して協力をしてもらえる人となるとやっぱり赤の他人じゃ無理 でしょ?」
「…小泉さんがスカウトしてきたんですか?」
 仕方ないと言っているわりに口調が楽しげなのに気づいた若島津 が声を落として尋ねる。彼女のスカウトが、かなりの個人的趣味に 支えられている点、常々定評があるのだ。
「私と片桐さんでね」
 最悪の取り合わせと言うべきだろう。若島津はそれ以上言いつの る気力も失せて、唇を噛んだ。
「にしても、かなり無理のある人もいるみたいですけど…」
「いいのよ、それなりに活躍してるでしょ?」
 松山の進言にも動じない。もっとも、ある意味では彼女の言う通 り、いや、それ以上の結果を生んでいるケースもあったわけだが。 「…あれ? そう言えばもう一人顔が見えない人がいるな…」
 つぶやいたのは反町であった。
「小泉さん、山本さんは? 確かずっとご一緒でしたよね?」
 小泉女史と同様に東邦学園のスカウトとして働いている山本は、 しかし実のところ、永田町方面でやたら力のある小泉家の、この何 をしでかすか判らない問題児(という年でもないが…)のお目付け 役兼ボディーガードとして常に彼女に同行しているのだと、もっぱら の評判だった。



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「ああ、彼なら今頃教会じゃないかしら」
「教会…?」
「あの方、クリスチャンでしたっけ…」
 反町とタケシがひそひそやっているうちにホイッスルが響いた。全 員があわててグラウンドに注意を向けなおす。
「あら、前半終了だわ。大変、ベンチに戻らなくちゃ!」
 本気でマネージャーになりきっている。通路に消えていく後ろ姿を 見送りながら、岬が隣の三杉にささやきかけた。
「キミはどう見る? この試合…」
「そうだね、…勝つんじゃないかい」
 別段視線を合わせるわけでもなく、さりげなく奥深い会話を交わす 二人に、周囲にふとおののきが走るのだった。



 後半に入っても、試合の大勢にたいして変化はなかった。目につ くことと言えば、選手たちの消耗度の差くらいだった。なにしろシニ アと言うくらいだから、両チームとも45分ハーフをフルに戦うのは体 力的に相当キツイ仕事のはずである。フランスチームは負傷退場し た3人の代わりに入った選手で辛うじて持ちこたえている…という 状態だったが、11人きっかりしかいない日本チームは、先発メンバ ーそのままで来ているにもかかわらず、まだまだ元気なものだっ た。ジュニアと違い、ポジショニングをとことん忠実に守っている彼ら は、はっきり言ってほとんど動いていないのである。
「行ったぞー!」
「若島津さんっ !! 」
 住友が振り向きざま叫ぶ。攻めあがるラヴィエと16番デュプレの ワンツーが決まって、ゴール前でノーマークになったのだ。デュプレ のシュートはしかし飛び出した片桐がスライディングで弾いていった んはしのいだかに見えた。が、それが反対側のラヴィエに渡り、キ ーパーは完全に逆を突かれてしまったのだった。
「きえええええーっ !! 」
 気合いと共に、若島津氏の身が宙に舞った。
『ラヴィエのミドルシュート !!  おおーっと、これを4番若島津がジャ ンピングボレーキックでクリア! み、みごと空手技が決まりました ーっ !! 』
 スタンドを重〜い沈黙が支配する。ややあって、若島津から一番 遠い位置に座る来生と滝がぼそりとつぶやいた。
「…やっぱり、あれはあれで良かったんだ」
「そだな…」
 彼らに限らず、一同の胸に、若島津健がとりあえずゴール前に繋 ぎ止められていることへの感謝の念が湧いていたのは確かであっ た。
「だから、なっ、若島津!」
 心なしか上ずった声で無謀なフォローを試みたのは、隣に座る反 町だった。
「今のってさ、飛び蹴りだろ? 三角蹴りやればよかったのになー。 俺、一瞬キーパーのほうがやるかと思っちまったぜ、三角蹴り…」
 バキッという鈍い音が響いて、反町の言葉はそこで途切れた。冥 福を祈りたい。



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『さあ〜、ここでフランスボールのスローインです。日本ピンチが続 く! おーっと、ラクロワが折り返して、ゴール前に上がるぞ! これ は競り合いになるぅ…!』
 村山アナの声が、突然空白に -- 珍しいことだが -- なった。なる ほど、スタンドからも何が起こったのか、見極められないほどの密 集戦だった。土煙がもうもうと上がり、しばしの間をおいてそれが収 まった頃には、ゴール前で片桐がボールをしっかり胸に抱いてい た。見れば、その側にはフランス選手たちがごろんごろんと多数転 がっているではないか。
『これはなんと形容すべきか…! ボールが来たところへ飛び込ん だキーパー片桐、猛然とスライディングして敵FW陣を弾き飛ばし、 一番低い位置でこれを捕りました! 地を這い豪快に砂塵をまきち らす…これは、北国…いやイーグルセービングだぁ !! 』
 ゴンッと重い音がして、最前列にいた松山が手すりに頭をぶつけ ていた。
「…また被害者が出たな」
 隣で心底気の毒そうに視線を投げる日向だった。
「若林さん、ああいうの…アリですか?」
「……」
 元修哲組に囲まれた若林は、腕組みをしたまま無言である。滝が 隣の森崎をつついた。
「見たか、格闘技サッカーってば、ああいうのだぜ」
「…俺、ふつーがいい…」
 ふつーが許されない世界にいることを知りつつ、それでも言ってみ たい森崎であった。
 その時だった。通路門から突然姿を見せた人物が、性急にスタン ドを見渡したかと思うと、大声を上げて駆け降りてきたのだ。
「日向っ !!  日向はどこだ!」
「山本さん !? 」
 驚いて振り向いた日向は、あっと思う間もなく、首を締め上げられ ていた。周囲がどよめき、若島津、反町、タケシもそれを止めようと 立ち上がる。
「彼女をどこへやった !?  おいっ! 答えろ!」
「な、何だって言うんです、一体…?」
 辛うじてその手から逃れた日向は、当惑と怒りを込めた目で下か らぐっとにらみつけた。常人ならそれだけで完全にすくみ上がってし まうだろうその視線にもたじろがず、山本はさらに日向に詰め寄る。 「とぼける気か !? 」
「や、山本さん、落ち着いてください!」
「訳を言ってくれないと解りませんよ」
 普段から物静かな印象で取り立てて目立つこともなかった山本だ けに、両側から引き剥がそうとするタケシと反町も当惑気味である。



26 

「これが落ち着いていられるか! 京子さんはどこだ!」
「え? 小泉さん…?」
 ここで初めて、彼が純白のタキシード姿なのに気づいた少年たち である。
「横取りしようとはどういう了見だ、日向っ !! 」
 日向はすっかり点目になっている。こわごわこの騒ぎを見守って いた全日本ジュニアユースの面々は、話が妙な雲行きになりかけ たのを見て、わさわさと身を乗り出してきた。
「…まさかと思いますが、日向さんが、小泉さんと駆け落ちでも…」
 妙にタイミングを狂わせる抑揚で、若島津が口を出しかけたとた ん、日向が我に返ってがなり始めた。
「て、て、てめえ、何てこと言い出すんだ !!  お、俺が…、何で小泉 さんとーっ!」
 日向が視線を外したすきに一つ深呼吸した山本は、曲がったネク タイをもったいぶって直し、改めて日向に向き直る。
「教会に行ってみたらもぬけの空、ホテルにあわてて電話を入れた ら京子さんは朝早くからいない。…挙句、聞けば日向、おまえから の電話があったと言うから…」
「ひょっとして…、今日が結婚式だったんですか… !? 」
 横から反町が口をはさむ。
「そうとも! もう2時間も前にな!」
「試合そっちのけで何騒いでるの?」
 その騒ぎの元凶が現われた。
「あら、来たの? 時間を遅らせるって連絡したのに…」
「京子さんっ !!  何やってるんです、こんな所で… !? 」
「日向くんは関係ないわよ、残念だけど」
 花嫁はにっこり微笑む。日向の肩から一気に力が抜けた。
「…関係あってたまるか」
「やっぱりそうだったんだ…」
 反町がつぶやいた。日向が聞きとがめる。
「何だ、そのやっぱりってのは?」
「いえ、小泉先生が近々結婚なさるんじゃないかって噂がしきりだっ たもんですから…」
「あら、どうして?」
 まだ興奮さめやらぬ山本をせきたてて席の一つに掛けさせなが ら、小泉女史は面白そうに尋ねる。



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「今お住まいのマンションを引き払う準備や、資産分けの話やらが 聞こえてきてたんですよね」
 小泉女史は肩をすくめて苦笑してみせた。
「ほんとに困ったものね、持ち上がり組の情報網にも…」
「俺ぁそんなの聞いてねえぞ」
 日向は一人不審顔である。
「ああ、それで部員の間で噂が持ち上がって…」
「何のだ…?」
 反町は一息分ためらってから答えた。
「その相手が日向さんじゃないかって…」
「な、な、な、なんで俺が小泉さんと、け、結婚せにゃならんのだ っ !! 」
「…だって、優勝したし…」
「優勝記念に、んなことしてたまるか !! 」
 日向の言うことももっともである。全国大会に優勝するたびキャプ テンが学校関係者と結婚していたのではたまらない。ここで日向は はたと気づいたことがあったらしかった。
「……! だからか? 大会の後、おまえや島野たちが俺に結婚が どうのって、訳の解らんことばかり持ちかけてたのは?」
「そうです。もし本当なら、日向さんはシラを切ったりとぼけたりはで きない人だし、カマをかけてみようってことになって…」
「なんてやつらだ。第一っ、俺は未成年なんだぞ! おまえらの常 識はどこへ行っちまったんだ!」
「日向さんって、いったんその気になったらそういうことは気にしな いに違いないから、って…」
「気にするわいっ !! 」
 全日本の面々はその突然降ってわいた東邦の思わぬスクープ と、普段とてもお目にかかれそうになり日向と反町の漫才に大喜び で、既に試合はしっかり忘れ去られていた。
「うれしいわー、私たちのこと、そんなふうに見ててくれたなんて…」 「先生っ! そういう余計な誤解を招くようなことを言わないでくださ い!」
「本当に誤解を招いてるのはどっちかな…」
 三杉がにこにこと岬に話しかける。
「小次郎の場合、誤解よりトラブルだよ、招いちゃうのは」
「じゃあ、招き虎だねっ !! 」
 翼が嬉しそうに声を張り上げる。日向の招き猫ポーズを思わず想 像してしまった周囲の連中が、こらえきれずに噴き出した。
「て、てめえらっ! 何がおかしいんだ!」
 日向が八つ当たりを始めようとした途端、フィールドでは泥沼の試 合に決着が着いたようだった。長いホイッスルに全員が振り向く。


                                 〔第二章 終〕