TOO ADULT  -- 全日本シニア始末記 --


第一章
 1〜12回>>
第二章
 13〜27回>> 
第三章
  28〜34回 



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第三章  誰がために鐘は鳴る



 グラウンドの中はさながら収穫時のイモ畑だった。ホイッスルが響 くと同時に、選手たちが次々へたりこみ、転がり、大きな腹を空に向 けて大の字になっている者もいる。
 7対2…全日本シニアの圧勝だった。
「タツオ…」
 グラウンドに座り込んだ見上の背後から声が近づいて来た。
「え? あっ、ブルーノ、ブルーノか !? 」
「おまえ、全然気がつかなかったな。ま、おまえはずっとこっちのゴ ールに詰めてたから無理もないが…」
 にこにこと手を差し出してきたのは、キーパーのフリューベックだっ た。見上はあわてて立ち上がる。
「なんてこった、おまえがキーパーをやってたとは…!」
「久しぶりだな。元気か、…と訊くまでもないか」
 フリューベックは大きな体を揺すって笑い声を上げた。
「おかげで随分忙しい思いをさせてもらったぜ。7ゴールはキツかっ たな…」
「いつフランスに戻ってたんだ。…いや、それよりも今もプレイを?」
「日曜プレイヤーだよ。仕事もあるし、一年の半分はハンブルク、後 の半分はこっちで過ごしてる」
 ドイツ語で進む会話に、側のミントンが不審げに声を掛けた。
「知り合いかね、フリューベック?」
「ええ、20年前のライバルと感動の対面でね。ドイツに留学中に大 学チームの同僚だったんですよ」
 答えてからフリューベックは見上に向き直る。
「彼だろ、おまえの言っていたマコトは…」
 フリューベックは、見上の背後からいぶかしげに近づいてくる北詰 を視線で指した。
「ああ、よく判ったな」
「20年前から変わりがないらしいな。おまえが話してくれたプレイそ のままだったぜ。初対面の挨拶代わりとしちゃ、3ゴールは重かった が…」
 まだ何の説明もないまま、フリューベックはいきなり北詰の手を握 って、親しげに微笑んだ。
「噂通りのプレイ、見事でしたよ。そしておめでとう!」
「は?」
「キョウコの結婚ですよ! 実は私も招かれてるんです、今日の式」
 北詰が何か言おうとした時、タイミングよく話題の花嫁が飛び込ん できた。
「やったわね! おめでとう!」
「キョウコ!」
 振り返って手を差し伸べたフリューベックに気づいて、小泉女史は はたっと立ち止まった。



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「まあ、ブルーノ! あなた、キーパーやってたの !? 」
「気づいててくれなかったなんて、寂しいね、キョウコ。今は彼氏し か目に入ってないのかい?」
「どの彼氏…?」
 不吉な言葉に、その後ろに来ていた山本が引きつる。大柄なフリ ューベックとにこやかにキスの挨拶を交わしてから振り返って、小泉 京子さんはもったいぶって紹介した。
「和久さん、こちらはね、私がパリ留学中に住んでた部屋の大家さ ん、ブルーノ・フリューベック。見上さんの学生時代のお友達だった のよ、奇遇でしょ?」
「あなたの周りはいつも奇遇だらけですよね」
 山本氏は既に悟りを開いているに違いなかった。
「…と言うより、あの人自身が奇遇を発掘して歩いてるんだよね」
 口さがないのは、東邦生の共通カラーだという話である。とりわけ 小学部からの持ち上がりで既に8年半その空気を吸って生きてい る反町は、その典型と言えた。
「じゃあ、俺たちも発掘されたクチなんだ。ね、日向くん!」
 やはりスタンドから下りて来ていた翼が、父親の首ったまにかじり ついたまま振り返った。日向は少し離れた所でそっぽを向いてい る。
「あんたの場合、発掘された上にガラスケースに入れて陳列されて ますもんね」
 いい終わらないうちに飛んで来た拳をあっさりよけて、若島津は 人の悪い笑顔を浮かべた。確かに、3年前彼女に同時にスカウトを かけられた二人のうち、実際に東邦に進んだのは日向だったわけ だが…。
「さあ、まだ試合後の挨拶が済んでいませんよ、皆さん!」
 手を打ちながら声を張り上げたのは黒いウェアの主審だった。ま だフィールドに伸びていた者も、固まって話に興じていた者たちも、 その声にぱっと反応して、一列に整列する。
「シニア代表、フランス対日本の試合は、2対7で日本の勝利です。 父と子と精霊の御名によりて、選手諸君に恵みがありますように、 アーメン」
 フランス語の解らない外野の少年たちも、その挨拶の最後に主審 が十字を切ったのを見て首をひねった。キリスト教国ならではの習 慣かと思いかけた彼らだったが、並んでいたフランス選手たちまで その言葉におたおたと列を乱すのを見るに至っては、やはり悩まざ るをえない。
 しかし、仕掛人はまたしても小泉女史だったらしい。挨拶を終えた 主審につかつかと歩み寄って行く。
「じゃ、お疲れのところ申し訳ないですけど、続いてお願いしますわ ね、神父さま」
「いいですとも、さあ、教会に戻りましょう」



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                   ●


「え〜、俺もかぁ?」
「ワシも絶対、場違いタイ。佐野や新田や若島津に任せておけばよ かと」
「なんで俺がそこに入る!」
 ぶつくさ言う高杉と次藤に、若島津がずいっと詰め寄る。ちなみに 全日本ジュニアユースチームの中では、この3人が長身ベスト3な のだ。しかし次藤はひるまなかった。
「…そ、そいば、背の高さだけ言うたらそうかもしれん。ばってん、お まえ十分おなごに見えるばい」
 言ってはならない一言を口にしてしまった次藤の運命やいかに …、という局面でタケシが捨て身で飛び出した。
「じ・と・お〜、きさまぁ…」
「や、やめてください、ボクが、ボクがやりますからっ !! 」
 一同がはた、とその仲裁者を見た。12才。当然童顔…。目の大き さにかけては他に例を見ない。…とは言え。
 まず当の若島津が噴き出したのを合図に、次藤をはじめ全員が一 斉に爆笑に包まれた。ああ、かわいそうなタケシくん…。
 ここ、先程のC社グラウンドからそう遠くない教会の一室で彼らが もめにもめている問題とは、花嫁の付添い人の衣装を誰が着るか …ということだったのだ。ちなみに、当地の習慣では、この役は未 婚の少女が務めることになっている。
 役目をおおせつかるのは4名…。最後の手段、クジ引きに踏み切 るか否か、というさなかのやりとりだった。
「これは僕の個人的な提案なんだが…」
 しばらく沈思黙考していた三杉が、笑いが収まるのを待って静か に口をはさんだ。
「ここはやっぱり、花嫁の意思を最優先すべきだと思うんだよ」
 全員が真顔になり、しばしの沈黙の後、視線が一ヵ所に集まり始 めた。ぼーっと考え込んでいた日向は、一瞬遅れてその居心地の 悪さに気づいたらしい。
「な、何だってんだよ! 何だ、その目は! ええ !? 」
「…確かに三杉の言う通りです。この際、似合う、似合わないより、 彼女の趣味を尊重しましょう…」
 背後から静かに肩に手を置いたのは、若島津である。よくよく考 えてみれば、多くは声変わりもすませた少年たちにこういう役を押し つけようとすること自体、尋常の趣味の持ち主とは言えないのであ って、その要望にいちいち真面目に取り組むこともないのだ。しかし て、結論…。被害者は一人で十分である。松山も口を出してきた。
「そう言えば、この結婚の媒酌人は北詰さんだろ? なら、いよいよ 身内で固めるのがスジってもんだ。なあ、日向」
「俺は身内じゃねえっ !! 」
「東邦はみな兄弟、って言わなかったっけか?」
「ありゃあ、中・高・大の兄弟優勝…だよぉ」
 その理屈で行けば第二候補にもされかねない、とビクビクしなが ら、反町が立花のどちらかに答えた。もう一人の立花が念を押す。 「で、北詰さんって、あの人の何だ?」



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「叔父になるんだと! 衝撃の事実 !! 」
 これでも情報通を自負していた彼には悔しい話だったが、個人で ある小泉京子の母の弟にあたるのが誰あろう北詰誠氏であること が、ここにきて判明してしまったのだ。
「多少、似てなくも…ないな」
「おまえもだぜ」
 滝の無責任な指摘にコケたのは、南葛で彼とシルバーコンビを組 んでいる片割れである。ついでながら、田島記者やロベルトもお仲 間と言えなくもない。
「天パはみな兄弟かよっ !! 」
 だんだん話に収拾がつかなくなってきた。
「そのままでいいって言われてもなぁ…」
「おまえ、まだいいよ。俺なんてTシャツだもん…」
「じゃあ、佐野、あれ着るか?」
 新田の指差す先にあるのはレースひらひらの話題のドレスであ る。髪につける花飾りまでちゃーんと用意されているのが悲しい。佐 野はうつむいて首をぷるんぷるん振った。
「で、これが翼くんと僕の分ね。点差が5点あったから、配当もさら に跳ね上がって…」
 騒ぎをよそに、頭を寄せ合っているのは岬と翼である。
「えー、いいの? そんなに」
「全日本不利の情報流して、最終的に倍率を変えさせてたの三杉く んらしいわね」
「そうですか? 単にメンバーの紹介を詳しく聞かせただけって聞き ましたけど」
 なぜここに今日の主役が衣装もあでやかにしゃがんで話に加わ っているのか、何の追及もせずに答える岬だった。
「単に、ですって?」
「小泉さんっ! あんた何やってんですか !! 」
 代わりと言ってはナンだが、かなり素直にできている日向が、岬 に成り代わって驚いてくれた。
「だめだめ、もう小泉じゃなくなるのよ。今日からは京子って呼んで ね、日向くん♥」
「や、山本…さん、でいきます」
 語尾のハートマークはいつも彼に不吉な予感をもたらすのだ。
「だめよ、どっちか判らなくなるでしょ、和久さんと」
「判らなくて結構です !! 」
「おや、山本さん、お迎えですか?」
 入り口近くにいた若島津が、ドアを開けかけて立ち往生している 新郎に声をかけた。
「……」
「お分かりになってたはずでしょうに。ああいう人だって」
 二人してそれぞれの思いに黙りこくりながら、部屋の中央でわー わーやっている純白のウェディングドレス姿の花嫁とその付添い人 を見つめた。



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「差し支えなければ俺も聞きたいですね、ご決心のきっかけを」
 いつの間にかそばに来ていた反町が目くばせする。
「なにしろ、俺たちサッカー部員全員の好奇心がかかってますから」 「金目当て…、なあんて」
「あ、それはないでしょうね」
 聞こえないように、のつもりでも石崎の声はしっかり通ってしまう。 急いでフォローするタケシであった。
「山本さんって、小泉家とは古くからの付き合いの名家の出だそう ですから。むしろ家同士で決められてた許婚かも」
 最年少の割に古めかしい思考回路の持ち主らしい。
「あら、もう準備できた?」
 花嫁が振り返った。
「あなたのほうが先に入るんでしょ? 私、マコおじさまと日向くんと 一緒に入場だもんねー」
 ワンテンポずれてその『マコおじさま』なる人物が誰なのか思い出 した日向が棒立ちになった。
「い、嫌だ! あんなのと…! 俺ぁ、絶対ごめんだあ !! 」
 しかし、若島津の怪力に引きずられ、その声も徐々に遠ざかって いく。一つため息をついて後に続こうとした花婿が、戸口でふと思い ついたように反町に向き直った。
「ああ、さっきの質問に答えるとだね、理由は一つ、ボランティア、 さ」
「…はあ」
 なるほど、東邦の人材はとことん豊富であった。



「見上さん、お訊きしたいんですが…」
「ん、何だね、源三」
 新郎新婦のたっての希望で、親類縁者の列席は一切ない、くだ けた式ではあったが、当日飛び入りの参列者たちの服装は確かに この荘厳な教会の中では相当浮いていると言わざるを得なかった。 シニアの日仏両チームの選手たちは試合直後のスポーツウェアの ままであったし、少年たちにしても、フォーマルなスーツをサッカー 遠征に持参して来るような不届き者は、せいぜい三杉くらいのもの だったからだ。
「本当に、あの試合、勝つことを信じてたんですか?」
 見上はサングラスの奥から見つめ返した。
「おまえらしくない質問だな。負けるつもりでやる試合なぞあると思 うか?」
「……」
 若林の目が疑わしげに細められる。
「はぐらかさんでください、見上さん」
「んー、なんのことかな…」



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 祭壇上では、神父さまが厳かに祝福を与えているところだった。 ひざまづいて頭を垂れ、それを受けている二人の両側で、さながら 狛犬という感じで憮然と立っているのは、北詰と、レースのドレスか らだけはなんとか逃れた日向である。
 その北詰から受け取った指輪を交換し、誓いのキスを交わすと、 いよいよ退場である。列席者はその前にゾロゾロと教会の外に出、 ウェディングモールを作る。
「ほら、手ェ出せ」
「…何? おっ、米じゃん! よく手に入れたな、早田」
「カッコがカッコやったやろ、せめてこういうんくらい本式のやってや ろ思てな」
 石崎からさらに他の者たちにも、カップルに投げつける米が回され る。ボロボロに負けたフランスチームのおじさんたちも、事がこう一 気にめでたく展開するともうフテる気力も失せたのか……大体、こ こまで付き合っていること自体そうであろう……半ばヤケ気味に大 声で聖歌をがなり立てていた。
「日向もけっこう神妙にこなしてたじゃないか」
「ドレス姿をスクープしたかったなあ…」
 見上の横で、田島がいつも通りの私情をはさんだ取材に没頭して いた。先ほどから彼のカメラは新婚カップルよりその付添い人ばか り狙っているように見える。
「日向はいいが、若島津があれ着なくて幸いでしたよ」
 一人訳のわからんことをつぶやいているのは片桐だった。
「…俺が何か?」
 心底嫌そうに、しかし、下手なことを言ったら只では済まさん…と いう迫力で若島津が詰め寄った。
「下手すると北詰氏に迫られかねんからさ。学生時代のことだが、 試合で東邦学園大に出向いた時、彼が私を女と間違えて口説こう としたことが会ってね。まあ、青春によくある過ち、だよ。以来私は グラサンを愛用してるんだ」
 若島津が胸を押さえてへたりこむ。いっそ殺してくれっ!
「さぁー、いよいよカップルの登場です。おーっと、これは意表を突い て、花嫁をエスコートするのは付添い人の日向小次郎くんだぁ!」
 エスコートというのは、嫌がるところを強引に腕を取って引きずっ てくることだったろうか…。今度はワイヤレスマイクの類いは付けて いないはずの村山明氏であったが、もはやこれは習い性というやつ に違いない。見るもの全て実況の対象になってしまうらしかった。



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「おめでとう!」
「いいぞ! 公認の不倫がんばれー!」
 祝福の声の中にはどうも無責任なものも含まれているようだ。満 面笑みの新郎新婦に届いているかは謎だったが。…いや、きっと 届いているのだろう。
「ほーら、ブーケよ!」
 花嫁が、手にしていた白いブーケを高く投げ上げた。男しか出席し ていないこの中へ、次の花嫁を占うブーケを投げてどうすると言うの だろう。が、青い空に放物線を描いて、ブーケはすぽんと人垣の中 に落下した。わあっと声が上がる。
「俺…?」
 大きく目を見開いて、手の中のブーケを見つめているのは翼だっ た。
「次はあなたね、翼くん!」
 よく通る花嫁の声に、きょとんとしていた翼の顔がぱっと輝いた。 そのブーケを握り締めて、力いっぱい叫ぶ。
「うんっ、俺、日向くんときっと幸せになるよ!」
 どーっと崩れるのは少年たちの列だった。中には目いっぱい引き つっている者も何人かいたし…誰とは言わないが…、名指しされた 当人はと言えば階段の上で硬直しきっている。それに対し、大人連 中はどうも様子が変だった。
「そうだ、翼! 男なら思い切って行け!」
「翼、世界がおまえの舞台だ、一緒にブラジルへ行こう!」
 どうやら、ここへ繰り込む車中で、日仏両チームは相当のアルコ ールをきこしめしたらしい。何を見ても何を聞いてもひたすら盛り上 がっている。
「まったく困ったPTAだ…」
 若林が腕を組んでうなる。はっきり言って、この場で一番貫禄を見 せているのが、14才のこの若林源三だった。明日にはこの一行も 日本へ発つ。それを見送る立場の彼としては、盟友たちの環境を案 じずにはいられないのだ。
「早く18になりたいね」
 18才になれば無条件でプロ入りができるのだ。隣に立った岬を 見やって若林はにやっと笑いを返す。
「ああ、早く大人になりたいもんだ」
 見上げるパリの空に、教会の鐘がよっこらせ、と鳴り響いていた。


                                   《おわり》



日本 7  |5−2|  2 フランス   
|2−0|     


  1 片桐     GK      1 フリューベック
  2 見上     DF      2 マリオン
  3 住友             3 ジャンメール
  4 若島津            5 ミントン
  5 田島             6 ブリーム
  6 村山     MF      8 カルボナーラ
  7 吉良             10 ラマン
  10 大空            11 ラクロワ
  11 岬             12 ラヴィエ
  8 ロベルト   FW      13 オーギュスタン
  9 北詰             9 ローザンタール


得点:オーギュスタン(1分、アシスト=ラヴィエ)、ラヴィエ(5   分、PK)、北詰(12分、吉良)、北詰(20分、住友)、北詰(32   分)、大空(37分、岬)、ロベルト(41分、大空)、住友(72分、
 吉良)、住友(80分、北詰)
交代:(フ)13・オーギュスタン(7分→7・ベルマン)、10・ラマン  (15分→4・マルティノン)、9・ローザンタール(45分→16・デュプ  レ)
警告:(日)若島津
主審:アンリ・ベルクリュース(フランス)
観衆: 63人        





作者コメント:
もう気が遠くなるくらい昔に書いた小説を今さら、という感 じです。まだまだサッカーがマイナーな時代…(笑)。時 代に合わないところはちょこっと変えました。私もサッカ ーの知識がほとんどない頃で、最後の試合結果は、詳 しい友人に頼んで作ってもらいました。(岩田さん、感謝 です) 実はまだ原作がちょうどこのあたりをやっていた 時に書いたので、見上さんや片桐さんの設定が独自設 定のままなんです。もちろん彼らの過去とか、全部オリ ジナルですから。ちなみに小泉さんと山本さんは、四つ 子のほうではまだまだ結婚してません。かわいそー。 (どっちが?)